《ここに書いた記事に続いて》、ぢんさんが追伸記事も書いてるよ^ ^
この気持ちもとてもわかる。
■毒親 追伸
■毒親を責めて問題が解決するのであればずっと責めていればいいさ
12時すぎたらパワーをもらえるように、両手を開いてスタンバイします♡
コメント、メッセ、メールでパワーを送ると言ってくださったみなさま、待っております(o^^o)
朝からね、おじいのにおいがずっとしてたの。
弟の結婚式を喜んで、私のところにも「菜々さん、うれしいのぉ^ ^」ってたぶんいいにきたんじゃないかな。
いまは準備中であろう、弟のそばにいそうだけど^ ^
おじいは私がハタチになる四日前に死んじゃったの。
突然脳梗塞で倒れて、倒れてからは一度も意識を戻してくれなくて、倒れて10日目にいっちゃった。
数回危篤になって、病院から呼び出されたときは、これ以上ないくらいの動悸を経験した。
全部夜中だったし、たぶん、家族全員を一度に呼びたかったんじゃないのかなぁって思ってる。
死んでからは、涙が止まらなくて、お通夜が終わっても一ヶ月以上、毎日帰ってくると仏壇の前でぽーっとしてたの。
私より参ってたのが一人娘である母親だったけどねσ(^_^;)
私がいうのもなんだけど、もうちょっと気丈になれんかねってくらいひどかった(笑)
私は本当に悲しくて、ずっとおじいの亡骸のそばにいたの。
葬儀の手伝いもできず、病院から戻ったら笑顔になったおじいの写真も撮ってた。
…母親のこと、気丈にしろだなんて言える立場じゃないよねσ(^_^;)
おじいは、私にとっては父親みたいだった^ ^
婿養子のお父さんは、じじばばに子育てをとられちゃってたから、私の両親はじじばばみたいなもの。
小さい頃から母親に、「私のお父さんとお母さんはおじいとおばあだもん!」と何度も言い放ってたくらい(笑)
大好きだったおじいの死は、私に二つのことを教えてくれた。
おじいのお通夜は、おじいが一生懸命働いて建てた、実家でやったんだけど、すごいたくさんの人がきてびっくりした。
定年越えてからは、依頼があるときに仕事をしていたんだけど、勤め先のバイトの学生さんまできてくれてた。
私服だったから、聞いて急いできてくれたんだなぁって思った。
たくさんの人にお辞儀をしながら、「おじいはこんなにたくさんの人に慕ってもらえてたんだ…」ってびっくりしたし、誇りに思いました。
「私のお葬式に、こんなにたくさんの人がくるかな…」って考えた。
お葬式は身内だけでもいいんだけど、私が死んだときに、どれだけの人が悲しんでくれるかな…って思ったのね。
そして、最後に笑って、「ありがとう。いってらっしゃい^ ^」って見送ってもらえるかな って…
そのためには、今生を一生懸命生きる必要があるなって思いました。
私の知らないところでたくさんの人に愛を与えていたであろううちのおじいみたいに、たくさんの人を愛して生きたいと思ったの。
これが一つ目^ ^
もう一つは、限りある人生について。
人はいつか死ぬんだなってことをものすごく考えて、おじいの死から時間を大事にするようになった。
限られた人生の時間を無駄にしたくなくて、やりたかったことにチャレンジしたり、バイトをめっちゃやったり、とにかく動き回るようになった。
この頃から周りに、アクティブだねって言われるようになったんだけどね^ ^
限りある人生という時間を、できるだけ健康に楽しく過ごしたい^ ^
これが二つ目でした^ ^
さてさて、あと一時間もすれば着いてるね。
どんな化学変化があるか、客観的に楽しんできます(o^^o)
朝ごはん抜いたからおなかすいたよぅ。