DV経験ありのカウンセラー 加藤菜々です^^
《逃げないんじゃなくて、逃げられなくなる・・・》という記事に、 「それは姉です」
というコメントをもらいました。
今、姉が「逃げないのではなく、逃げられなくなる。」この状況です。
分っているのに抜け出せない・・・。
「お母さん嫌い!でも、私がいないと・・・。」
本人は違うと思っているようですが、私から見れば共依存だと思っています。
(プロではないのでそう思ってるだけですが・・・。)
私は、自分で勝手に「カウンセラーです」なんて言ってるだけだから、プロではないけど、
このコメントを見る限り、私も「お姉さんは、お母さんと共依存にあるのかなぁ・・・」と思ってしまいました。
信田さよ子さんの本、「《夫婦の関係を見て子は育つ ―親として、これだけは知っておきたいこと》 」を久しぶりに読んでるよって書いたけど、
共依存についても書いてあるから、ちょっと引用しますね^^
愛情とは、与える側と受ける側の双方にあって成り立つのです。
受ける側がそれを苦痛や拘束と感じれば、それは愛情ではなく支配なのです。
おまけにその支配は、受ける側の自尊心を奪い、抵抗不能に陥らせるしかないのです。
共依存とは、困らせたり、心配をかけたりする人を、世話をし面倒を見たりすることで支配すること。
日本の常識から見て、それほどおかしなことではありません。
むしろ、「愛情」と呼ばれることも多いのです。
見捨てるのは、愛情を断つこと です。
どうでもいいと思うことです。
でも、手を放すとは、愛情を持って見守り、そして待つことなのです。
手を放すということは、その人への信頼がないとできません。
それはその人が「自分で生きる力を持っている」ことへの信頼なのです。
手を放すことは、その人の生きる力を蘇らせることなのです。
信田さよ子著 「夫婦の関係を見て子は育つ ―親として、これだけは知っておきたいこと」より引用
胸に、きますね・・・
みなさん、どう思われたかな。
共依存のこと、なんとなーく知っていたけど、、
こうして本を読み直し、書き出すと、いろいろ考えさせられるなぁと思った私です。
受ける側がそれを苦痛や拘束と感じれば、それは愛情ではなく支配
これは、DVの時の私の状態。
私は暴力を受けても、それがこの人の愛だと、とんでもない勘違いをしていました。
手を放すとは、愛情を持って見守り、そして待つは、私の母ができないこと。
そして、私もまだ、充分にできていないこと・・・
夫に・・・
ある先生がいっていました。
「愛とは信頼なのよ」
って。
「信頼していないから、心配したり不安が出てくるのよ」
って。
アダルトチルドレンだったり、機能不全家庭育ちの私たちは、「信頼する」って、ちょこっと難しいことだったりする。
そもそも私は、自分すら信頼&信用できてなかったし・・・
だって、苦しい関係は、愛じゃないんだよね。
苦しい関係は、支配なんだよね。
信頼することって、なかなかできないかもしれない。
私もまだ完ぺきじゃない。
相談者様のことは、なぜか100パー信頼し、信用してる。
けど、身近な夫に対してはまだ100パーとは言い切れない。
信頼できるようになると、本当の愛を知れる気がする。
本当の愛の世界って、あったかい優しさに包まれてる気がする。
私もそういう世界にいきたいな。
そういう世界の人と、一緒にいたいな。
だからね、私はまだまだ自分を変えるんだ^^
旦那さんよりも先に、愛の世界にいって、旦那さんを迎え入れるんだ^^
だから私は、ただ今進化まっ最中^^
一緒に進化していけたらいいね^^