令和4年11月に子宮体癌初期の宣告をされ、
何処か自分毎ではない感覚が拭えない。
食事にも気を配っていたし、特にミネラル摂取は心掛けてた。
ヨーガや舞で程よく体も動かせていた。
まぁまぁ好きな事させてもらってた。
それでもガンになった…
宣告された瞬間、心の奥底で『時が来た』って言ってた。
癌三代治療以外での体験本やレシピ本沢山の本を読む中で、心に響いたのは
梯谷 幸司氏著書
本当の自分に出会えば、病気は消えていく
病気は、やっぱり体からのメッセージとしか思えない。本文中にもあるけど、この体験を通して何に気付こうとしてるのか…。何を教えてくれているのか…。
に焦点を合わせていく。
結婚して23年…直ぐに建て替えると思い込み、何の躊躇いもなく長屋の様に3棟連なった家を寝る部屋と生活する部屋、仕事場と出入りする同居。
前妻の子3人を受け入れ、2人の実子。5人の子育てと夫の仕事を補佐。いつか建て替える日が来ると思い込んで、後半は夫の両親の介護をし、最後義父を看取り、昭和づくりの底冷えのする、壊れた窓も落ちた床も簡易修理で受け入れて、物に溢れた生活環境に、私の心は限界が来た。
キャラが濃ゆくて見てて面白く、毎日野外イベントでも平気で元気で明るい怪力君な夫が大好きだったし、子ども達もそれぞれ色々ありながらも仲良く成長してくれてたし、両親からも特に干渉されずに好きに生活させてもらってたし、ヨーガの指導やアロマの施術…も隙間時間に好きな仕事をさせてもらえてたから充分幸せだと思ってた。
だけど…
子ども達も結婚や大学で家から巣立ち、夫婦二人になって、気持ちにゆとりが出たからこそ湧き上がって来た家に押し潰されそうな感覚。
あーーー😮💨私。
良くも悪くも見て見ぬふりして、生活して来てしまってた。
本当はこの、物に溢れた空間。
寝る部屋と生活する部屋をいちいち外に出ないと行き来出来ない。お隣のタワマンが出来る時期にはG君が大量発生して家中運動会状態。
片付けても片付けても直ぐに散らかる日々。嫌だった…のに無頓着になってしまい、本当にやりたい事を心の奥に押し込んで、できてない自分に憤りを感じ、コロナのお陰で色んな気持ちが溢れ出た。
結局…日々の生活や自身の在り方って、
自分で決めていくしかない。
私、夫頼りにし過ぎてた?
いつのまにか我慢が当たり前になって、
夕飯の片付け終わってからの遅い時間までのPC作業は体を冷やす対価でしかなかった。
皆さんに褒められはするけど…報われない感覚。
そんな自分を再確認し、本来の自分を取り戻すために終止符を打つと決め、半ば強引に仕事の大半になっていたNPOの作業を全て退き、夫と上手く向き合えないまま家出〜家庭内別居〜再出発。
そして分かった癌。
いつしか体は耐えきれなくなっていた…
私って…ここまでにならないと…わかっていても、向き合えず、動けない人なんだなぁ😮💨😮💨😮💨
やっと覚悟ができて、
これから先の人生は直感にだけ従って生きよう❣️
本当にやりたい事だけをしていこう❣️
狭くても良いから快適な住環境に住もう❣️
自分がどういたいか。
癌のお陰で揺るぎない思いになった。
個人的な主観ですが癌は、我慢とストレス、冷え、そして酸素不足が大きな要因なのでは?と思ってる。食事や運動には気を配って来ていたつもりだったけど…結果、癌細胞を誘発してしまいパートナーへの不満の溜まり場、子宮を傷つけてしまった。
出産というスペシャルなエクスタシー体験をさせてくれた子宮ちゃん、本当に本当にごめんなさい。
癌を含め、全ての病気は栄養失調だと書かれている『ジョナサン・ライト博士の栄養療法』
「すべての病態、すべての疾病、すべての病気を追求するとミネラル欠乏にたどりつく。」
と言われた量子化学者でノーベル賞2回受賞しているライナス・ポーリング博士
の考え方を取り入れて野菜はもちろん、今まで面倒であまり食べなかった果物も積極的に朝食で摂取、大好きなドテラのミネラルも今迄の倍に増やしてサプリも取り入れた。
1年やって変わらなければ…腹腔鏡で出来ると言われてるから…手術してもいっかな…。
と思ってた。
本当は栄養療法で何とかしたかった。
奇跡が起きて欲しいと思ってた。
でも、結果…
1年経って、全く変わらない初期状態で進行せずに共存してた。ある意味、意味があるし、奇跡だとも思えた。だから本当は一年環境を変えて一人で自由に過ごしたら、なくなってるかも?と思い、主治医にも同意してもらったけど…。
たまたま、三つ目となるご自身も癌になり多数の書籍を書かれたDr前田 華郎氏の癌活性消滅療法(CEAT)を実施しているアバンダンス・クリニック福岡で診療してもらい「今、初期の段階で早く手術されて後のケアをしっかりされる事を勧めます。このままだと、お金も時間もかかりますよ」と強く勧められた。
矢山クリニック、下津浦クリニック…
自由診療をされる先生から同じ事を言われて、ここで三箇所目「あー、そうだよね。 なんか、すっともう考えるのやめて、手術を受け入れて、全て委ねよう❣️」と覚悟出来た
その間、私の前に癌初期で手術で完治されている方の話や子宮全摘した友人、たまたま知り合った人とこちらが何も話してないのに…出会わされていく。
まるで、「手術して大丈夫だよ。」
と言わんばかりに…???
本当にそうなのか?
何度も何度も自問自答した。
主治医からのは子宮全摘、と付属器の摘出。
親からもらった体を傷つけてしまうのは本当は嫌だ…。
だから、私は私の潜在意識の力、自然治癒力を信じて、私の細胞は正常な働きに戻るって何度も何度も自分に言ってた…
他にもレイキヒーリングやレインボーエンジェルアチューメント、アワ唄、ひふみ祝詞、ひふみいろは呼吸書、玄牝(げんぴん)治療、鍼治療、温熱治療、酵素風呂、大根干葉蒸し、遠赤外線マット、音波治療、心の趣くままにヒーリングやセルフアロマタッチ・テクニックを体ちゃんに施した。
なのに…
もっと根っこの方で「任せてごらん。」って言われてるように感じてた。
何だろう? 何故かな? 謎。
結局のところ…思い返すと
やっぱり人生は思ったようになった…のかな
反省も込めて痛感。
元気で活動してる自分よりも
癌が消える事の方を願い、思ってた。
結局、癌があると思ってたから癌は消えなかった。
手術しても大丈夫だよって言ってるように思ったから
手術しないといけないようになった。
この体験で、もっと強く思ったのは
ガマンをしない自分本来の生き方を貫き、
自分を精一杯生きたい。
って事。
その為に手術を受け入れよう。と思えた。
結果、自分の体を元気にする
正解には辿り着けなかったようだけど…
思いつく限りの出来ることを、
夫に色々言われながら
約一年間、精一杯やってきた。
私、落ち込まずに明るく良くやって来たよ。
しかも、消えもしなかったけど…
全く進行もしない癌初期維持…
だから術式は体に負担が少ない腹腔鏡手術で保険適応内✨🙏✨
それも…ある意味奇跡じゃない?
今は、初めての出産が分かった1999年7月7日を挟む7日間、魂の師王麗華先生率いるエジプト巡礼前日と同じ気持ち。全ては神様に委ねよう❣️
この経験がきっとこの後何かに繋がる気がしてる。
早く委ねてこっちの世界においで❣️
って言われてる感覚。
その感覚が手術を受け入れる
最大の後押しになってた✨🙏✨
…いよいよ子宮を天に帰して宇宙と統合だ〜🪷
つづく