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原則として、情報空間そのものである抽象度の階層性は絶対的なもので、下から上は見えず、また書き換えは上から下にしか起きえないことを確認しましょう。
下からだとランダムに見えることが、上の階層ではパターンに収斂していきます。だからこそ、僕たちは抽象度を上げていくことを至上命題とします。
本家ブログより引用します。
下の階を書き換えるには、上の階からが効率的だという話です。
なぜでしょう?
一寸先は闇という言い方があります。
未来に何が起こるかはもちろん未知です。
世界はランダムに満ちています。
しかし、、、、パターンというのは存在します。
起こりやすいことは起こりやすいのです(絶対は存在しませんが、確率論的には考えられます)。
そのパターンというのは、同じ階層性では見えにくいのですが、上の階層性からは良く見えます。
マンションの上の階から道路を見下ろすイメージです。
あの2人はそのまま歩いていけば、建物の角あたりで出くわすだろうということはすぐに予想できるのです。
これは頭が良いのでも、未来が見通せる占い師なのでもなく、視点が異なるからできることです。
視点の位置が高いということはパターンを見通せるということです。
視点の位置が高いとは抽象度が高いということです。抽象度が高いとは、上の階層性で現象を観察しているということです。
パターンが見えれば、操作は可能となります。
次に起こることが予想できるので、たとえばマンションの上から歩行者に向かって、止まるように言うこともできます。もしくは急ぐように。
これが書き換えです。
これが抽象度の高いところから低いところへ書き換えるという感覚です。
多くの人は悪い意味で航空写真のように、世界を認識しています。
何が言いたいかと言えば、あたかも階層性が無いかのようにベタッと世界を認識しているということです。
実際は3D(3次元)なのに、2D(2次元)のように見なしているということです。一階も二階も三階もベタッと同じ階かのように考えています。
(これを上品ではない言い方をすれば、味噌もクソも一緒となります。月とスッポンが同じに見えるのです)
航空写真の鳥瞰図的な視点から、地上に舞い降りて、世界は立体的であることを正確に理解すると、縦方向の移動ができるようになります。抽象度方向への移動です。それを抽象度が上がるとか、頭が良くなると言います。
抽象度を上げたい、頭を良くしたいと思うのであれば、まずは全体のルールを正確に理解することです。抽象度の階層性に関する理論を手触りを持って理解することです。
そして、次に実際に上から書き換えるということを実践すると、「書き換える感覚」を手にすることができます。
(「まといのば」本家ブログより引用)
例えば自分が唐突に倒れて救急車で運ばれたり、肉親と予期せぬ死別といった情動優位になりがりな時も、T理論と気功を通じて抽象度を上げてパターンとしてそれらを把握できれば、心身の回復を加速させることができます。
また何かを学ぶときも、この抽象度の階層性を踏まえると、さらに加速できます。
抽象度の階層性というのを人間社会で具体的にいうならば、人間の格の違いということになります。僕たちが学びを乞いたい教師や、道先を聞きたいメンターという存在は、明確に僕たちより抽象度は上で(だからこそ依頼している)、僕たちよりも先が見えている存在です。
そして提示されたそれは現状の外であることが多いので、よく知らないと脊椎反射で拒否してしまうことがありますが、それはネガティブ・ラポールなので戒めて、受け入れていきましょう。
また教師やメンターに褒められた時に拒否するのもダメです。素直に受け入れてお礼を言いましょう。
それもSemanticsに考えるのではなく、Syntaxにシステマチックに行いましょう。
本家ブログより引用します。
話は唐突に変わりますが、たとえば超加速学習をしたいと思ったときに、学ぶ姿勢というのはきわめて大事になります。
「教師を敬え」というとちょっとニュアンスが違うのですが、ポイントはもっと表音文字的です。
シンプルに、「教師の言っている言葉を否定しない」こと。
教師の言っている言葉に全面的に同意しているという姿形を取るということが重要だと思います。
具体的に考えてみましょう。
たとえば、あなたが気を出すワークをしているとします。
そこに通りかかった教師が「お、ちゃんと気が出ているね」と言ったとします。気が出ているのを褒めているという文脈です。
そのときなぜか「日本人的謙譲の美徳」モードが発火して、あなたが「いえいえ、全然、まだまだです。もっとがんばります」と言ったとしましょう。
そのとき教師はどう思うでしょう。
「この生徒は何と謙虚なんだ。そしてなんと理想が高く、ゴールの抽象度が高いことか」と感銘を受けるでしょうか?(そういう先生もいらっしゃるかもしれません)。
でも、「まといのば」ではそう考えません。
教師の言っている評価を、生徒が全否定して見せた、と認識します。
教師の投げたボールを取りこぼしたのです。
「いえいえ」と否定して、「ちゃんと気が出ているね」という教師の見識と評価の表現を無碍に否定して見せて、自分としては「まだまだ」だと自己評価をしたのです。すなわち教師の存在の否定をしてみせたのです。
それについて、教師がどう思うかはどうでも良く、ただ残るのは機能としての教師、そして関係性としての師弟関係の否定をしてみせたということです。
そしたら、師弟関係ではないので、学ぶ機会は失われます。いや、自分からチャンスをドロップ(落と)したのです。
このときに内面から変えようとするのが、表意文字的な対応です。
「まといのば」ではもっとシンプルな表音文字的対応を薦めます。
ただ単に「ありがとうございます」と頭を下げることを薦めます。
教師の評価を身体に浴びて、それを肯定してみせて、指導にお礼を言うという態度を取ることです。外に現れる言動のレベルを修正することです。外面が内面にもたらす効果は甚大です。内面から変えようとせず、礼節や基本動作の1つとして、身体に染み込ませることです。
そこに付け加えて「先生のおかげです」と言えば、なおさら良いのではと思います。
(「まといのば」本家ブログより引用)
それを凡事徹底していたら、世界的なシンガーと世界一のダンサーとそのパートナーと日光に旅行している世界線に移動できるかもしれません。
そして世界線の移動の前提となるのが、当然ながらゴール設定です。生きている以上誰もがゴールを持っていると思いますが、それでもそのゴールは手にした瞬間に失われます。
二車線の国道をまたぐように架かる虹を 自分のものにしようとして カメラ向けた 光っていて大きくて 透けてる三色の虹に ピントが上手く合わずに やがて虹は消えた 胸を揺さぶる憧れや理想は やっと手にした瞬間にその姿消すんだ でも何度でも 何度でも 僕は生まれ変わって行く そしていつか君と見た夢の続きを 暗闇から僕を呼ぶ 明日の声に耳を澄ませる そうだ心に架けた虹がある...
「胸を揺さぶる憧れや理想は やっと手にした瞬間にその姿消す」ので、更新が要請されます。
そしてその更新も最近はまたパラダイムが変わり、より集団で協調的にやれば良いのではないかと思います。シンプルに仲間の夢を自分の夢にしてしまって、それになんらかの形で複数同時並行でコミットし続けていけば、ゴール(夢)が枯渇することはなくなるはずです。
誰かを応援したりサポートすることが、そのまま自らを生かすのです。
リチャード・ドーキンスの主著『利己的な遺伝子』のタイトルの代案は『協力的な遺伝子』だと、ドーキンス自身が書いていたことを思い出します。
『利己的な遺伝子』から引用します。
本書のタイトルのもう一つの良い代案は、『協力的な遺伝子』だろうか。正反対のものに見えるかもしれないが、本書の中心的な部分は、利己主義的な遺伝子のあいだにおけるある種の協力を主張しているのだ。このことは、遺伝子のあるグループが自分たちの仲間を犠牲にして、あるいは他のグループを犠牲にして栄えることを意味するわけでは断じてない。そうではなく、各遺伝子は、遺伝子プール──一つの種内で、有性生殖によるシャッフルの候補となる遺伝子のセット──に含まれる他の遺伝子が作る背景のもとで、自己の利益という課題を追求していると見なされる。こうした他の遺伝子は、天候、捕食者や獲物、生命を支える植物や土壌細菌が環境の一部であることと同じ意味で、それぞれの遺伝子が生き残るための環境の一部だ。一つひとつの遺伝子の視点から見れば、「背景」遺伝子は、世代を超えて行く旅で同じ体を共有する道連れである。それは、短期的には、その個体のゲノムに含まれる他のメンバーを意味する。長期的には、その種の遺伝子プールに含まれる他の遺伝子を意味する。したがって自然淘汰は、相互に共存可能な(ほとんど協力し合っていると言える)遺伝子の徒党が、互いの存在のもとで有利になるように取り計らう。この「協力的な遺伝子」の進化が利己的な遺伝子という根本的原理を侵犯することはありえない。
(「利己的な遺伝子」30周年記念版に寄せて)
例えば去年生まれたばかりの姪っ子は何もできず親族に世話してもらう必要があります。ただその報酬として可愛らしさを振りまき、大人たちを癒します。
これも利己的で協力的な遺伝子がなせる業でしょう。
『利己的な遺伝子』については本家ブログからもサマリーを引用します。
「利己的な遺伝子」の本来のタイトルが「協調的な遺伝子」であったことを思い出します。
「利己的な遺伝子」は、リチャード・ドーキンスのデビュー作であり、主著です。
タイトルは編集者がつけたそうで、本人としては「協調的な遺伝子」のつもりだったとドーキンスは言っていました。
遺伝子は利己的であり、自分だけが生き残れば良いと考えるゆえに(乗り物であるところの個体ではなく、遺伝子が生き残れば良いのです)、結果的に協調的にならざるを得ないのです。
(「まといのば」本家ブログより引用)
以上を踏まえて、GWに2本セミナーを行います!!
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ガッツリ学んで転生していきましょう!!
そして仲間と共に駆け上がりましょう!!!
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【日時】5月6日(水祝)14時から16時
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