母の旅立ち | ひかりの丘(アニマルコミュニケーター、ミディアム、ヒーラー)

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国際スピリチュアリズム協会認定ミディアムであり、認定ヒーラーでもあり、アニマルコミュニケーターであり、トリマーでもあります(^-^)/
霊界や虹の橋のお話、アニマルコミュニケーションのお話、動物のお話等気ままに綴っています。

8月に母が霊界に旅立ちました。

 
とても強くて明るい母で、誰とでも友達になっちゃう人でした。
 
私は母とは上手く付き合えなかったけど、嫌いにはなれませんでした。
 
亡くなった日の2日前に母がいるような気がしてもしかして?って思ったことがありました。
でもこの間電話で話した時は特に何も言ってなかったし…私の勘違い(であって欲しい)と思ってスルーしました。
 
その前に会った時も、何かおかしいって思ったけど元気そうだし大丈夫かって思ってスルーしました。
 
母は一人暮らしだったのですが、1人でぽっくり逝ってしまいました。
生前ぽっくり逝きたいと言っていたので願いは叶った、ということでいいか…
 
母は一旦警察署に安置され検案されないといけなくて、警察署の安置室で対面したのですが…
魂だけの存在になった母は肉体に執着がないようでした。
変な顔だやあ(方言丸出し)とケラケラ笑っている母が私の後ろにいて…思わず笑ってしまうという失態。
警察署なだけに、ここで笑ったら怪しいと思われるじゃんって思ったけど母は娘に戻ったかんじでケラケラ笑ってました。
 
そして葬儀の段取りが決まり、今週雨続きだよなーと思っていたら…

晴れた、母の葬儀の日だけ晴れた笑い泣き
 
初めての葬儀だし、何もわからなくて食事の個数も何人かわからないしなーと思っていたら10か15どっちにします?すかさず10でって言ったもののそれ以上だったらどうしようって思ってたけど、見事にぴったり10でした。
他にも何から何まで最初から決められたかのように決まってて生前子供達には迷惑かけたくないと言っていた母らしいこと…
 
しかもお寺まで決めてあってそこのお寺さんのご住職がちゃんと来て下さるようになっていたかのようでしたニコニコ
 
とてもスムーズに葬儀も終わり、四十九日の法要の日を決める時に少し早めだけどいいかと思って決めた日が9月22日でした。
決めてからのある日通勤中の車の中で22日じゃ少し早いけどいいか、と思って前の車のナンバーを見たら母の誕生日笑い泣き
それだけなら偶然だと思うけど対向車を見ても母の誕生日笑い泣き
でも私は22日にやるからねっと心に決めていました。
そして叔父に電話したら22日だけはどうしても外せない用事があると…
そんな訳で母の思い通り29日になったのです。(最初は29日だったのです)
 
雨予報が続いていたのですが、どうせ晴れるから大丈夫と思っていたら案の定晴れました笑い泣き
もう本当に母の思い通りになっていました。
 
葬儀の時だって、火葬場に向かう車が通った道は葬儀場から母の家を通ってお寺を通って火葬場という経路。
葬儀場も本当はそこじゃない会社に電話したのになぜかそうなったんです。
 
そして今ではあまり現れないですが、時々現れるので霊界のことを教えて欲しいと頼んでみました。
そしたら友達を連れてきて(私も知っている方々)いろいろ話してくれたんだけどなぜか内容は全部忘れたあせる
また機会があったら聞いてみようニコニコ
 
母は向こうでも忙しそうにしていました。
この世にはいないし肉体もないし肉眼では見えないけど存在は感じるし話も出来るっていえば出来る…
確かに悲しいという思いはあるけど、ネガティブ感は全くなくて、高齢(と言われたくないらしいが)の母に一人暮らしをさせていたことを後悔もしていないしもっとこうすればああすればってのもない冷たい娘であるあせる
 
生前母は亡くなった人のことを「元気かねぇ?」と聞いてきたりしてたし、子供のころの私の霊能力みたいなものに対しても他の親なら病院に連れていくところをありとあらゆる霊能者のところに連れていったツワモノであるから、スピリチュアルワールドを理解していたんだと思う。
祖母も不思議な人であったし曾祖母もそっち系の人だったらしい(なので私は家系的におかしな子というわけです)
 
なので母はまだやりたいことはたくさんあったらしいけど、亡くなってすぐにこの世の未練とか忘れてあちらに馴染んでいたらしい。
ちなみに少し聞いたことで覚えていることは、閻魔様はいないということだ(笑)
自分の人生を振り返ることはするらしいけど、閻魔様のような方には会わなかったそうです。
 
今後も母娘通信は続くんだろうな爆  笑