葛藤や執着、不安や心配、不満や怒り、ネガティヴな予測や否定的な見方、人のせいや罪悪感、陰口や噂話、人を上下に分けたり人と比較する癖、批判や判断、思い込みや勘違い、弱さや依存心、極端な考え方や人や状況を自分の思い通りにコントロールしたいという思いなどのカルトのエッセンスが引き起こす様々な出来事は、様々なトラブルを引き起こし、様々な苦悩や悲嘆を生みます。
カルト集団と呼ばれるほど大きなグループになってしまうと、それは異様で異質に感じられるかもしれません。しかし、そのカルトのエッセンスを持っている人は多く存在しているように思います。
どんなに良い人に見えたとしても、カルトのエッセンスを持っていれば、人生から苦悩が消え去ることはありません。カルトのエッセンスを持ちながら、愛に満たされた人生など想像することも難しいはずです。残念ながら、人は想像できないものを現実にすることはできないのです。
カルトのエッセンスを持つ人はカルトのエッセンスを持つ人と引き合います。制限する人と制限される人、縛る人と縛られる人、コントロールする人とコントロールされる人、搾取する人と搾取される人。この人間関係の中で、カルトのエッセンスを持ち続けるということが、現実に映し出された時にはどういうことなのかに気づき、その人間関係から離れる決断をして行動に移しても、自分の中に息付いたカルトのエッセンスと向き合わずに持ったままでいれば、結局のところ、また同じことの繰り返しにしかならないのです。
宗教と宗教が争い、宗教と宗教二世が争い、脱会した人と脱会した人が争い、親と子が争い、自分の心に蓋をして、神を呪い、自分も人も信じられなくなって、カルトのエッセンスと共に生きていることにも気づかずに苦しみ続けることにどんな意味があるのでしょうか?
人間なんだからしょうがないという人もいます。しかし本当にしょうがないのでしょうか?
一人ひとりが自分と真摯に向き合い、自分を大切にして自分を愛し、同じように周りの人たちを大切にして愛し、自分の人生に責任を持つことは、そんなに難しいことなのでしょうか?
否定したり攻撃したりすることなく、様々な考え方や感じ方、自分とは違う趣向や喜びがあることを受け入れ、理解し、尊重することは、そんなに難しいことなのでしょうか?
浮かんでくる疑問の答えを誰かや何かに求めても、答えが得られることはありません。
それは一人ひとりが自分の心に問いかけて、自分の心からの答えを受け取ることが大切だと思います。
自分の弱さに挫かれることなく、自分の心からの答えを受け取りながら、自分の中に息づいてしまったカルトのエッセンスを、ひとつひとつ解決していくことを諦めなければ、必ず苦悩や悲嘆のない場所に辿り着くことが可能なのです。
続きは不定期に更新します。
「宗教とカルト集団及び宗教二世について①」はこちらから↓
https://ameblo.jp/healing-laqua/entry-12802943371.html
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