4~24話て、ざっくりにも程があるな。

いやあ当初は3話ずつくらいまとめて記事書いてくつもりだったんですが、リアルに生活が忙しかったのでしょうがない。

1~3話感想はこちらです。

 

以下、NHK地上波とアマプラで最終話まで視聴した総合的な感想です。

 

 

*

 

 

ストーリーは原作に忠実に、ところどころ構成変更やオリジナルシーンを交えつつの展開だったアニメサガ。

「おおー!」なところと「んん…?」なところ両方あったアニオリについては後述するとして、何より感動したのは景色の美しさです。

 

バトルシーンや人物の表情に劣らず、背景・自然の描写に力が入った作品でした。

海、降り積もる雪、太陽の光、草木の色。

登場人物の目に映る景色がとても丁寧に描かれていて、単なる白黒とカラーの違いを超えた、アニメ化の醍醐味を感じました。

特にアンの回とクヌート覚醒回の景色が素晴らしかった。

 

14話後半、アンの眼前の光…!

ゾクッとしました。まさか令和の深夜アニメでこんな表現が観られるとは(お前は令和の深夜アニメを何だと思っているんだ)

文字通り異彩を放っていたシーン。

その後の暁光とか形を変える木の影とか雪の粒とか、なんですかねこの数秒の間に絵で物語を表現するプロの仕事を確かに見ました。受け取りましたとも。

 

だからクヌートの「神の御業がこんなにも美しいと言うのに~」にも説得力があった。

昔の人が自然を怖れ敬い、そこに神様を見出す気持ちがわかるような美しさ。

 

血みどろの戦場が基本の作品だからこそ、雪に覆われた大地の白と空の青、金色に輝くヴィンランドの情景が映えるのでしょう。

 

 

そしてやはり、トルフィンとアシェラッドの関係。

5・6話あたりのトルフィン幼年期を観て、私の中の印象が少し変わりました。

 

トルフィン育てられてますね、アシェラッド団の皆に。

いやこんな育て方あるかって感じだけれども。ヴァイキング式放任教育だようん。

コミックス読んだ時はアトリやトルグリムたちにとってそれこそ「アシェラッドのまわりをウロチョロしてるガキ」くらいの認識かと思ってましたが、意外とマスコット的な可愛がり方をされてたんですね。

 

ノルド戦士にとって、子どもが決闘で親の敵を取ろうとする行為は「おうおうガキなりに頑張ってんじゃん」ってノリで受け入れられるもので、微笑ましいんだろうな。

でもアシェラッドだけはそうじゃないんだな。

「ガキなれど戦士」と、「ガキが戦士のマネごとすんな」の違いか。

既にノルド戦士とアシェラッドの乖離が…。

 

来るトルフィンは拒まず去るトルフィンは追わずスタンスのアシェラッド。

トールズへの義理と、トルフィンを子どもとして扱う心心理によるもの?

 

アニメのアシェラッドは、トルフィンを“放任しつつ見守ってる”感が強いです。

 

7話(原作1話)~8話。

「渡りをつけといで」「出番だよ」、こんな言い方なのか。

初期のアシェラッド口調が優しいんですよね。
単にキャラが定まってなかっただけかもしれませんが、アニメだとめっちゃ子ども扱いしてる口調に聞こえました。

 

たぶんトルフィンが兜首を獲って来た時に初めて、彼が幼年期を脱していることに気付いたのでは。

兜首獲った→決闘申し込みで、やっと成長を悟る。

だから決闘を受けたし、オーディンではなくアルトリウスに誓った。

 

何と言いますか、

アニメは「アシェラッド(&団員たち)とトルフィンが共に過ごした時間」を根底に据えてキャラクターを動かしていて、しかもそれが上手く原作に繋がるように作ってあるのがすごいです。

 

アシェラッドが心底感心したように、「お前背伸びたな」って言うのがなあ、漫画と同じ台詞なのに感情の含有量が違って聞こえる。

お前の親父なんつったっけ、はスットボケだけど、背伸びたなァは本心から出た言葉って感じがします。

まあそういうの全部トルフィンの神経逆撫でするんだけどな。

 

「拾ったガキなら惜しくないだろ」

この台詞に含まれる感情のうち、
99%は本当にトルフィンを駒として見ていて別に死んでもいいやって思ってるけど、残りの1%にはトルフィンはきっと仕事をこなすという経験則、あるいは信頼がある――と思うのは夢見すぎですかね、夢女子ですかね。夢女子の誤用。

 

実際トルフィンが死んだら、あーあ死んじまった、しょーがねーなみたいな反応なんだろうけど、私の夢見がちゴーストが囁くのよ、ちょっとは悲しんでくれたらいいなって。

 

擬似親子と呼ぶにはあまりに荒涼とした疑似親子関係、やっぱり好きです。

実際、最終回でアシェラッドに手を伸ばしながら嗚咽をもらす(涙は流してなかったけど、あれは間違いなく泣き声だった……)トルフィンは完全に父の死体にすがる息子だったよ。

ところで、決闘申し込むシーンでちょい疑問に思ったのが、この時点でまだ一回も決闘してなかったのか?という点。
んん? 何かもう既に数回戦ってるイメージでした。

でも、手柄をたてたら報酬もらえると思ってたくさん人を殺したのにオアズケくらった、と考えたら、トルフィンの荒れっぷりやアシェラッドへの態度も納得がいきます。
父上を殺された怒りに、決闘を先延ばしにされた年月の不満と鬱憤が上乗せされてさらに憎しみが募っていった、と。
会えない時間が愛育てるのと同じように、戦(や)れない期間が憎しみを育てたんだなきっと。

 

語られなかった幼年期を補完したことで、トルフィンの大人になり切れなさ、止まった時間が強調される面もあったと思います。

周りがトルフィンを受け入れてる描写が増えるほど、復讐に囚われているトルフィンの痛々しさが際立つ酷な構成。

 

決闘シーン、流れる音楽がめっちゃ切ない音色なのも相まってグッときました。

時系列順にした効果がガンガン出てました。


ビョルンの「強くなったなあ」の言い方がホント、兄貴か。兄貴かお前は。
あそこが落ち着くんだろ、とかさー。

豪快そうでいて人の心の内をよくわかっている様子のビョルン。
だからアシェラッドの精神的な壁にも気づいていたんでしょう。
自分がアシェラッドを守るためにトルフィンを人質にしたからトールズが死んだ、結果アシェラッドがトールズを殺さざるを得なかったことに、彼なりの責任みたいなものを感じているのかな、と、トルフィンへの接し方を見て思いました。

ビョルンがトルフィンを気にかける描写が多いのが、なんかすごく良い。
ある意味ツンデレのアシェラッドをフォローする役回りなのでしょうが、それとは別に、ビョルンが主体的にトルフィンを気にする距離感が、なんかいいぞ。

 

トルフィンもビョルンも戦士の矜持を持った者同士なんだよなー。

復讐に囚われた戦士と戦いに疑問を持たない戦士。

そしてトールズとアシェラッドという、ノルド社会において異質な男の傍にいた二人でもある。

そう考えるとビョルンがトルフィンの理解者ポジになるのもわかる気がする。

そしてさらに考えると、トルフィンが何も言わず瀕死のビョルンにアシェラッドとの決闘を譲ったのも、ああ、わかる気がしてきた……。


補佐や参謀的役割の他にちょいちょいビョルンのキャラ立ちが見えるあたり、いいアニメ補完でした。
安元ヴォイス効果もあって、アニメは確実にビョルンファンを増やしにきてますね。


7話はアクション作画がすごかった。

兵士を倒していくトルフィンの目線! アングルすげー。

音楽カッコいいし、アシェラッドの「ちゃちゃっとやれよ」の言い方好き。
船を担いで来るヴァイキングとか、やっぱこの回テンション上がりますね、キャッチーですね。

8話も印象的。

ここでもう一度「お前には敵などいない」を繰り返すことで、作品のテーマを再認識させてくれる。

 

アシェラッド、ホルザランドを見て母のこと思い出してんじゃないかって気もしました。
ホルザに「俺は戦士だ」と言うトルフィン。

この時トルフィンが吐き捨てた言葉がのちのち全部自分に返ってくるんだよお、胸熱ですねウフフ。
 

【悲報】ホルザランドの出番はこれで終わりです
 

ヴィンランドに思いを馳せるところの音楽、良い。

何度も言いますが海の描き方がすっごい作品に合ってるし、象徴的なんだよなあ。

 

この後クヌートに繋がるのもテンション上がりました。
希代のイケ渋おっさん声優が揃ったシーンだと思います。
ラグナルに浦山さん! ダメ押しの大塚トルケル!
おっさんずサガかよ……。

 

そんで私、上田燿司レイフがめちゃくちゃツボなんですよ。

最終回間際のアニオリレイフさんには驚きました。

あの牢屋の中のトルフィンに語りかける実写映画みたいな表情と仕草と声の演技、マジ気合入った作りで感服しました。

 

レイフさんが「誇り」という言葉を使ったのは、彼の本心と言うよりは、その言葉を使うことでトルフィンの意識をこちらに向けさせようとしたからじゃないかと思います。

あと、ここらでヴィンランドに言及しとかないとタイトルの意味回収できないからね。

しょうがないね。

 

レイフさんに連れられて船まで来るシーンは、レイフさん単体で観るとすごく良いアニオリなんですが、前後の流れを考えると「んん…?」と感じました。

 

原作ではアシェラッドの死に直面したその瞬間、一気にトルフィンの世界が崩れるんですよね。

対して、アニメでは決闘後のアシェラッドの言葉を受けて揺らぎが生じ、段階的にヒビが入っていく。

 

あの船のシーンだけが、揺らぎの段階の中で何だか浮いてしまっていて、そこが少し残念でした。

アニメのアジサシは「広い世界へ旅立つ」象徴だと思ったので、飛び立つアジサシを見てなぜトルフィンがアシェラッドの元へ戻ったのかもよくわかりません。

正直、あそこまでトルフィンを連れてきておいて一緒に帰れなかったレイフさんが辛すぎるじゃないですか!

 

しかし頭が真っ白になって放心状態で引きずられていく原作も、アシェラッドにすがるように手を伸ばす&短剣に今までの光景が映るアニメも、ソレはソレコレはコレとして素敵に解釈できるのでどっちも好きです。

 

内容的にも作画的にもヴィンサガをアニメにするのは本当に大変だったと思うので、ここまでの高クオリティで観られたことにひたすら感謝しています。

 

あと2クール目のOP&ED。

OPの最後で、雪の中を進むクヌートとアシェラッドの背中を必死で追いかけるトルフィンが、私の中で「まさしく!」って感じで嬉しくなりました。

王子とハゲがスタスタ歩き去るんじゃなくて、二人もまた雪に足を取られながらえっちらおっちら進んでいて、途中で掻き消えてしまうのがまさしく……。

 

ED、民族音楽っぽい響きが良い。

最終回後の「失うものはもう何もない」、響くなあ。

この曲の歌詞にも「答え」が入ってる。

 

まとまり切らない文章ですがこのへんで。

2期あるといいな。農場編もー! ぜひー!