日曜日のこと
東野圭吾『殺人の門』を読んだ。
いろんなことを知らされた。
わたしは本当に言ってわからない人のことは苦手だった。
わたしは本当に本能的な危険察知能力がない人の感覚が信じられないのだった。
が
ふと
自分はこのナントカ言う陥れ男に近い道に入りそうだった気がした。
無事でよかった
自分は自分を信じないが
そのへんの意味では誰よりも自分を信じてる
主人公があんまりで読みきるのも辛かったけど
いろいろ気付かせてもらった
この主人公で読ませるんだから
東野圭吾はやっぱりすごいと思った
そしてドラマ化とか映画化とかされたら
いろんな話に入り込めるのは
こうゆう場合に有効なんだなと知った
逆に映像化されても許せない主人公とかの話は
本として最後まで読むことは絶対できないだろうな
そしてオダキョー、
「小田霧響子の嘘」、
とにかく石原さとみさんが
かわいかったなぁ
とわゆえ
来年のフリフリ多部ちゃん、
絶対好きになっちゃうなぁ~
自分でも探偵さんが好きだってわかったし
来年楽しみ~
にしのあきひろ『ジップ&キャンディ』
前の絵本でもあっさりだったけど
そして小説でも勝手に爆笑しまくったけど
これまた。
これまた。
にしのあきひろとゆう人は
わたしの分類では確実に
キラキラなものとか
ふわふわなものとか
そうゆうのの近くにある
きちんとどこかにいる、
あるいはいるべきでない場所を知ってる人なんだろう
いろんな過激発言も
これらを見たらなんか仕方なく感じる
それにしてもさー
あの絵は
アシスタントとかいるの?
ひとりであんなにいっぱい描ける
細い線で白黒なあの絵を書いたのがにしのとゆう人なら
にしののタイムスケジュールはどうなってるんだ
西野はあんな変な骸骨着てていいのか
今からでも西野が書いたわけじゃないと言われたら
やっぱりそうだよなーって思ってしまうよ
気付いたことがあるのだ
コラージュを始めたにあたり
…やはりわたしはとても
「スクラップブッキング」という
おしゃれな波には乗れなかったのだ…
他人の要素に自分がどう対面するのか
どういう位置にいておくのか
なんてのが
勝手に作業の中で
必要なタイミングで
考えることもなく決定されていくのだが
準備段階に関わる部分を考えて
いくらか印象エリアのことを乗せて
あーいけそうだな、なんて思って昼寝したら
自分が印象エリアに置いていなかったものまでが
夢の中で座標を示してきた…
驚きと
自分の中の抽象化の恐ろしさへの怯えで
目覚めてすぐに助けを呼んだ
助けを求めて歩き回るわたしの足に
ジャッ様がテーブルの下から
そっと前足を載せてきた
わたしはこうゆうことをとても大切にしているようだ。
その後
ついたままのテレビから流れるFNS歌謡祭と
寝る前に読んだ東野圭吾が
いくらか影響した形だったのだろうと
想像はしたのであるが…