he-so-no-oのブログ
何かが完結した
そんな感覚しかない
それが何なのか
認知しているようで
そうでない
ただ
言語化できずに
ブログから遠ざかっていた
毎日忙しくしていて
日本語云々という活動は
日々
前進している
けれど
何かが
確実に何かが
自分から離れていった
コネ始めのパンの生地が
ねっちねちに両手にまとわりつくような
それをつまんで剥がすような
一見終わりがないように感じる作業を
根気よく繰り返していたら
やがて全てが一塊に落ち着くような
いつかたどり着けると
信じていた場所に
あるとき突然
そこにいることに気づいたような
そして知らぬ間に
人生が次のフレーズに突入していた
日本語環境にいない子どもに
日本語を教えるためにできること
いつか彼らに
日本語を
外国語として学ばせる日が来るだろうと思うなら
今一度考えてみたらどうだろう
これまでの人生を振り返り
「みんなもやっているから
仕方なくやっていたこと」
はありませんか
もちろん
人間社会の中で生活をしているのだから
ルールは必要
そうじゃなくて
その時の自分に必要かどうか
考える選択肢を与えられずに
ただ流されてやっていたこと
その時 納得していなくても
その後の人生で
やっていてよかったと思うこと
でもそれは
その時である必要はあったのでしょうか
その時にしか出来なかったことを
犠牲にしてはいなかっただろうか
与えられた環境に感謝はするけれど
犠牲にしてきたことに
執着してその後生活していませんか
彼らのためだと思っているようでも
彼らのタイミングではないことを知りつつ
押し通してしていませんか
彼らに委ねてみませんか
彼ら自身が
やろうと決めるまで
日本語環境にいない子どもに
日本語を教えるためにできること
いつか彼らに
日本語を
外国語として学ばせる日が来るだろうと思うなら
今一度考えてみたらどうだろう
何の言語だっていい
話が通じない時がある
相手の言いたいことが
よくわからないことがある
それはきっと
あなたに伝えたい事と
聞き手のあなたが
話を先読みして
「こんな話だろう」という思い込みに
ずれが生じているから
例えばこんな風に
「レモンの会を描く」
という課題を与えられたとします
実際に描かなくても
想像してみて下さい
ほどんどの人は
手に取ってみた角度からの
レモンを想像するだろうと思います
けれど
人によっては
輪切りのレモンを想像するでしょう
くし切りにしたレモンの人もいるでしょう
木に実っているレモンを想像する人だって
いるかもしれません
こうして
人によって
物事を捉える角度が違うことがある
実は日本語の格助詞は
こういうズレに
気づくことができる
すごい力がある
日本語って
奥が深い
学びを楽しもうよ
日本語環境にいない子どもに
日本語を教えるためにできること
いつか彼らに
外国語として日本語を
学ばせる日が来るだろうと思うなら
あなたが彼らにできることを
小さく捉えた方がいい
何をもって日本語を日本語というのか
日本語の単語を覚えて使うことなのか
日本語らしい発音をすることなのか
話すことなのか
聞けることなのか
書くことなのか
大きく
ざっくり考えないで
一つ一つのやりとりを
大切にしようよ
苦しい出来事があって
辛い時期を迎える
乗り越える立場に立っても
支える立場に立っても
かける言葉がない時ってある
「頑張って」と言われても泣きたくなるし
「頑張ってね」と励ましたところで
何も解決しない
無力さに情けなくなる
形ばかりの慰めだと
ハラの底で思ってきた
でも
「あきらめないで」
って言葉が
その答えだっということに気が付かされた
無理して強がる必要もないし
泣いたっていいし
愚痴を吐いてもいい
もう嫌だと
立ち止まったったっていい
でも
その先にある
「どうありたいか」に向かって
再び立ち上がる
あきらめないで
父兄懇談会に出席して
「頑張ってね」と語りかける先生方に
「何をどう頑張るのか知りたいと思いますよ」
と言って先生を不機嫌にし
子どもに二度と来るなと
怒られてきた
昨日
滝沢泰平さんの動画を観ていて
思い出したこの言葉
「あきらめないで」
ああ、
そう言えばいいんだと
嬉しくなった
悪事を暴くために
あと一歩というところまで迫るコマ
一番弱くて
大した影響力も能力もないとあしらわれてきたけれど
最後の最後に
重要な立ち位置にいることに気がついた
何年もかけて
試練を超えてきた
だからこそ
経験を通して
色んな知識を蓄えた
どんな理不尽な状況に立たされても
取り乱すことなく
冷静に対応できるようにもなった
「さあ 準備は整った」
そう神様に背中を押されたよう
権力を濫用し
やりたい放題してきたアイツらの悪事を
ここらで一つ
終わりにしてもらおう
ここ数日
度肝を抜いた挑戦に挑む準備に追われていた
おいおい
こんなちっぽけな私が
そんな大それたことを言っちゃって
大丈夫?
でも
ハラの底から湧き上がる
「可笑しくて笑っちゃう」感覚を抑えきれない
"All your best !!"
会う人 会う人
そう声をかけてくれた
All My Best
波瀾万丈な人生だって
悪くない
日本語環境にいない子どもに
日本語を教えるためにできること
いつか彼らに
日本語を
外国語として学ばせる日が来るだろうと思うなら
今一度考えてみたらどうだろう
学ぶ側と教える側が
それぞれに思い込んでいる
勉強法
ここ2週間
日本語学習の助詞に特化した
教材を揃え集めて頭を捻る
どうしたら
歩み寄れるのだろうかと
日本語環境にいない子どもに
日本語を教えるためにできること
いつか彼らに
日本語を
外国語として学ばせる日が来るだろうと思うなら
避けては通れぬ日本語文法
そこで最初に学ぶにもかかわらず
結構難しいのが
「は」と「が」問題
「私はso-and-soです」と
一番最初に学びますが
この「は」は後々
大きな壁にぶち当たります
でも
文法用語を用いなくても
言葉のつながりを
説明することさえできたら大丈夫
そう
理屈で覚えないで
感覚で覚える
そのために今
課外日本語と命名して
継承日本語普及教材を作っています

