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日本語環境にいない子どもに
日本語を教えるためにできること
いつか彼らに
外国語として日本語を
学ばせる日が来るだろうと思うなら
あなたが彼らに投げかける言葉に
今一度注意を払ってみてはどうでしょう
世界中で
「古池や蛙飛びこむ水の音」が
素晴らしいとされるわけ
それは
五七五のたった17文字だけで
表現された世界の広さや奥深さ
でも忘れがちなことは
松尾芭蕉の才能のみならず
「日本語」だからできる技だということ
多くを語らずとも
選ばれた「音」に秘められた背景
そんな日本語を操っている自分
どうしてその「音」を選んでいるのか
自覚している以上に
奥が深い
日本語環境にいない子どもに
日本語を教えるためにできること
いつか彼らに
日本語を外国語として
勉強させる日が来るだろうと思うなら
あなたが彼らに投げかける言葉に
今一度注意を払ってみましょう
「だから何が言いたいの?」
と 話を中断させられたことがありますか
一生懸命だからこそ
全てを説明しがちです
でも
話に集中して
話を要約するのは聞き手です
要点事項と
付け足し情報を認識しましょう
要点に辿り着く前に
話を中断させられないためにね
まだ生きているんです
でも
自分のかたみわけをすることになりました
辛かった
人生
いつ
何があるかわかりませんね
でも
自分で
話し合えたから
これでよかった
残りの人生
元気に生きていこうと思います
日本語環境にいない子どもに
日本語を教えるためにできること
いつか彼らに
日本語を外国語として
勉強させる日が来るだろうと思うなら
あなたが彼らに投げかける言葉に
今一度注意を払ってみましょう
私たちが学校で学んだ国語は
主語と述語の関係でした
だからんでしょうかね
子ども向けの本に
物の名前を教える本が多いのは
けれど
外国語として学ぶ日本語は
述語を中心に
文を構成する言葉との関係を学びます
だから
言葉と言葉をつなぐ要素に
もっと注力したほうがいいんですよ
日本語環境にいない子どもに
日本語を教えるためにできること
いつか彼らに
日本語を外国語として
勉強させる日が来るだろうと思うなら
こんな種まきが役に立つ
それは
教科書に使われる言葉に
馴染んでおくといいと言うこと
実は
「質問の意味がわからない」
とか
「先生の言うことが解らない」
ことも少なくないんですよ
だから例えば
「それ やっといて」
を課題を与えるように
具体的に伝えたりね
日本語環境にいない子どもに
日本語を教えるためにできること
いつか彼らに
日本語を外国語として
勉強させる日が来るだろうと思うなら
あなたが彼らに投げかける言葉に
今一度注意を払ってみてください
「私に やらせて」
これを英語で言うならば
"Let me do it"
こんなありふれた表現ですが
日本語を外国語として学ぶなら
中級くらいの難易度なんですよ
だから
文法として理解しなくてはいけなくなる前に
理屈抜きでわかるように
使ってあげてね
日本語環境にいない子どもに
日本語を教えるためにできること
いつか彼らに
日本語を外国語として
勉強させる日が来るだろうと思うなら
秋ならではの
自然の変化に触れてみて
落ち葉に触れた時の音や
蹴散らしたり
踏んづけたり
落ち葉が舞っている様子や
堆積した感触や
植物の朽ちていく状態や
匂いや
他の言語に変換できない
日本語ならではのオノマトペを
自然の変化という
普遍的な現象を通して
学ばせてあげましょうよ
最近読み返している
著者 原沢伊都夫の
『考えて、
解いて、学ぶ
日本語教育の文法』
(スリーエーネットワーク 出版)
それによると
「初級学習者が日本語で伝えたい内容の多くは
好き、嫌い、楽しい、苦しいなどの
自分の気持ち」
であるらしい
確かに
新生児について考えても
共通点があるように思う
腹が減った
ゲップが溜まって苦しい
寒い
暑い
どれもこれも
自分の気持ちだ
物事の現象は
観察者の視点の違いはあれど
起きている現実は一つである
その現象を再現するなどして
共に観察しなかった人に
伝えることができる
でも人の感情はそうはいかない
誰かの内にある感情を
第三者として観察することはできない
そう考えると
最初に伝えたいことの多くが
気持ちであるということは
言葉を使う原始的な動機とは
共感を求めている
ということかもしれないな
同じことを考え続けていると
そうだと信じていたことが
ただの思い込みなんじゃないかという
疑問に成長する
そうなるとやはり
ChatGPTではなく
きちんと本を読むことに立ち戻る
「真似しているうちに覚える」
というのは母語習得の説明には
とうていならない」
(なぜ日本人は 日本語が話せるのか 今井邦彦著)
どの言語なのかに関わらない
生まれつき備わった機能だと
解かれている
なるほどな
そうだろうなと思った

日本語環境にいない子どもに
日本語を教えるためにできること
いつか彼らに
日本語を外国語として
勉強させる日が来るだろうと思うなら
あなたが彼らに投げかける言葉に
今一度注意を払ってみてください
現象や状態などの
「何」が「どうである」
について発信しているのか
「誰か」が「何をする」
について発信しているのか
何気なく放つ言葉に
どんな傾向があるか見えてきませんか

