栗原貞子さんの詩「生ましめんかな」 | へーでるの幸せを運ぶ年賀状(幸せはあなたの中にある)

へーでるの幸せを運ぶ年賀状(幸せはあなたの中にある)

へーでるの年賀状を公開します。
年賀状らしくない年賀状ですが、こんなのがあってもいいかなと思って作り続けています。
年賀状に込めたメッセージ、あなたはどのように感じてくれるでしょう。
年賀状に隠されている遊び心、あなたはどのように読み解いてくれるでしょう。

★過去の記事を加筆修正しての再投稿です。

 

 

 

今日は8月9日。

 

長崎は77回目の原爆忌を迎えた。

 

今日は出勤しないので、10時35分からNHKテレビで長崎平和記念式典の中継を見ようと思う。

 

 

 

※以下が以前の記事。

 

2020年8月7日(金)付読売新聞の1つの記事が目に留まった。

 

“親の被爆 伝える”という大見出しで組まれていた2つの記事のうち、“「生ましめんかな」続く命”という小見出しの記事だった。

 

 体内被爆者を母に持つ小嶋大士(ふとし)さん(39)(広島市南区)は6日、爆心地から約1.6キロの広島貯金支局跡(同市中区)を訪れた。原爆投下の2日後に母が生まれた場所だ。原爆詩人・栗原貞子さん(1913年~2005年)の詩「生ましめんかな」にも描かれた母の誕生に改めて思いをはせ、「惨禍を乗り越えたヒロシマのたくましさを伝えたい」との思いを新たにした。

 小嶋さんの母・和子さんは(74)は8月8日、原爆で焼け出された人が身を寄せ合っていた貯金支局の地下室で生まれた。祖母は助産師の手助けを受けて出産。その過酷な出産が、焦土の希望として広く知られるようになったのは、栗原さんの詩によるものだ。

 

<詩の一部> ※省略

 

 幼少期から、毎年夏が巡ると、詩のモデルとなった母のもとには報道陣が押し寄せた。ただ小嶋さんは、その過熱ぶりに困惑し、あの詩をどこか遠ざけていた。

 転機は高校生の頃の女優吉永小百合さんによる原爆詩の朗読会だ。母が産声を上げた光景が見えた気がし、命が自分へとつながっている尊さを実感した

 以来、小嶋さんは、広島の歴史に関心を寄せ、被爆建物に足を運んだり、被爆直後の広島の写真や文献を調べたりしており、和子さんも「若い世代の人のやり方でやればいい」とエールを送る。

 貯金支局跡にはマンションなどが建ち、今はモニュメントが残るだけだが、両親から受け継いだ実家の飲食店には「生ましめんかな」をきっかけに訪れる客もいる。小嶋さんは「被爆者や広島の歩みを私の口からも語っていければ」と語った。 

 

これまで勤務してきた学校のいくつかは、2年生の時に広島平和学習で広島を訪れる学校行事があった。また多くの学校は3年生の時に九州方面への修学旅行で長崎を訪ね、平和学習を行った。

 

その行事に合わせて,生徒たちによく栗原貞子さんや峠三吉さんの原爆詩を紹介していた。

 

「生ましめんかな」も必ず紹介していた詩だった。

 

 

 

 

 

 

興味をもたれた方は、「原爆詩集」、「原爆詩」などで検索してみてください。