春といえば異動の季節だが、当社は年始に異動がある。
その前に人事考課があって査定が行われる。
査定の場でありがちなのは「リーダーとしての自覚を持ってもらいたい」「Aという能力は高いけど、Bの能力もつけてもらいたい」などとメンバーに対する要望である。
実は当社ではあまりそういう話がない。
以前はマネジャー間でそういう話が出ていた。
なぜ話がなくなったかというと「欠点を補うよりも得意を伸ばす方が良い」と方向性を変えたからだ。
リーダーになることも仕事の得手不得手もそれぞれの個性であると考えている。
そんなことを思っていたら年始に下記のような記事を見つけた。
「リーダーの育成などできません」と立命館アジア太平洋大学学長・出口治明氏が明言するワケ
https://gendai.media/articles/-/120750
まさに我が意を得たりの内容だった。
著書の中では様々な観点で人材育成の話をしているのだが「人にはそれぞれの能力があり、リーダーになることが必ずしも素晴らしいことではない」と言っている。
自分の解釈すればこうだ。
車でいえば「オフロードカー(荒地を走るのに適した車)にサーキットで早く走れる改造をする」ようなことはしても意味がない。
そもそもサーキット走行に適した車というのがある、それをより速く走るように改造するのは理にかなっている。
それに対して荒地を走る車はサーキットよりも走るに適した場所があるのだからそちらの性能を高める方が良い。
(ちなみに荒地を早く走るレースもあるので、オフロードカーを早くすることに意味がないと言っているわけではない)
車だって生まれた時にそれぞれの適性を持っている、早く走るのか?家族の移動に便利なのか?多くの荷物を運ぶのか?
人間はもっと多くの適性を持っている、当然だろう。
一概に「リーダーシップを身につけよ!」「コミュニケーション能力を高めよ!」「企画能力は必須だ!」と没個性の研修をしてもあまり意味がないのである。
それよりも、持っている個性の能力を高め組織で活躍する機会を増やすことが大切だ。
これは「学びは意味がない」と言っているのではない。
むしろ反対だ。
「好きこそものの上手なれ」という言葉もある、自分に興味がないことを学ぶのは苦痛だが、好きなことや得意なことを学ぶのは楽しいのだ。
こういう話をすると「人材育成に偏りが出る」とか「育成を諦めている」などという声が出そうだが、それこそまさに日本の学校教育の弊害である。
「全員が同じ方向に向くことが大事」という教育を重視していきた日本では「個を伸ばす教育」を脇に置いてきた。
その結果、日本のビジネス界が世界に遅れをとっているの現状を産んでいる。
「個の特性を存分に伸ばす環境を作る」それこそがこれから学校も企業も人材育成において注力するべきことである。
前出の出口学長(前学長)は「他人に何といわれようと「天知る、地知る、我知る、人知る」で、天も地も見ているし、何より自分が見ているのだから、人に評価されたい気持ちなどは捨てて、自分がいいと思ったことに全力で取り組めばいいのです」と締めている。
組織のリーダーが偉いわけでもなく、全ての能力が完璧(に見える)なビジネスマンが素晴らしいのではない。
個の能力を存分に発揮してイキイキと生きられる社会こそが素晴らしいのだ。
これから活躍する子どもたちや若い世代のためにも我々がそういった社会を作るべきだと感じている。