大学生の頃。
自分自身の存在の意味がわからずに悶々としていた。
社会においては中途半端な存在、学生とは名ばかりで勉強もさしてしていない。
アルバイトとバンドが中心の日々。
アルバイトはコンビニの深夜番、23時から翌6時まで。
そして年に一人だけの「家庭教師」
中学生の頃通っていた塾の先生から依頼されて「塾では面倒が見られない」中学生を家庭教師で教えていた。
4年間で数名しか出会うことがなかった生徒の中、今でも忘れられない中学3年生のKくん。
大学2年生のGWごろに塾の先生から「一人面倒みてほしい」との依頼。
学力が乏しく学校の先生からは「高校進学は無理」と見放されて塾に来たのだが、塾としては対応が難しいとのこと。
「とにかくご両親と話して高校に合格させて欲しい」
「わかりました、とりあえず話をしてみます」
大きな団地の側にある1軒家、1階は居酒屋だった。
両親とおばあちゃん、そしてKくんの四人暮らし。
母親とKくんと三者会談。
「先生、この子を何とか高校に入れて欲しいんです」
「希望校はありますか?」
「どこでも良いんです、とにかく入れれば」
黙っているKくん。
「君は入りたい高校あるの?」
「特にないです」
俯きつつ、消えそうな声。
「わかりました、とにかく現在の状況を見させてください」
「よろしくお願いします、先生」
Kくんの部屋に行き、持参したテキストを取り出す。
中学1年から3年までの問題を持参している。
「とりあえず1年生の問題やってみようか」
数学の基本的な計算問題を出してみる。
「・・・・・」
全く歯が立たない様子である。
このケースは小学校の算数で躓いていることが多い。
「了解、大丈夫、次回にもう少し基礎的なことからやってみよう」
「では英語はどうかな?」
英語の基礎的なテキストを見せてみる。
どうやらこれも難しいようだ。
結局、Kくんの学力は数学、国語ともに小学生低学年レベル、英語はほぼわかっていない状況。
(うーん、これは手強いかもしれないなぁ)
時期は5月中旬、そこから2月の受験に間に合わせることはできるのだろうか?
再び母親と話をする。
「お母さん、正直に言いまして相当に厳しい状況です。Kくんは今まで勉強をしていたことはありますか?」
「実は夫婦ともに仕事をしていて祖母に面倒を見てもらっていたのですが、甘やかすばかりで勉強させることができなくて・・・」
「そうですか、かなり厳しいとは思いますがなんとかやってみます、来週から始めますね」
こうしてKくんとの9ヶ月に渡る付き合いが始まった。
最初の頃のKくんは常に俯きがちで声が小さく、言われたことには反応するが自分から話しかけるようなこともなかった。
(もしかすると学校ではいじめられてるのかな?)
学力はかなり厳しい状況だった。
数学(算数)は掛け算レベルから教えなければならなかった。
国語の漢字はほぼわからず、読解力も低い。
英語に至ってはアルファベットから始めるレベルであった。
Kくんは自分に自信がなかった、そして「できる」という感覚がわからなかった。
そこでまずやることを決めた、それは「Kくんを知ること」だ。
「ねぇねぇKくんの好きなものって何?」
最初は戸惑っていたが少しづつ会話ができるようになった。
「あのね、こういうものが好きなんだ」
見せてくれたのは最新のMdプレイヤー。
「え、音楽が好きなの?」
「ううん、機械が好きなんだ」
「機械?こういう精密機械とか?」
「そう、ゲーム機も好きだけどソフトよりも機械が好きなんだよね」
そう、Kくんは「機械」そのものが好きだったのだ。
気がつけば部屋中に最新の音楽機材やゲーム機がある、当初はわがまま言って買ってもらっているのだろうと思っていたが、こうした機械に囲まれていることで幸せを感じていたのだ。
「実はね、先生も機械好きなんだよ。自分でラジオとか作っちゃうし」
「そうなの?え、自分で作れるの?どうやって?」
それまでに見たことのないようなKくんの笑顔と明るい表情。
この時点で方針は決定した「Kくんの入る学校は工業高校だ」
それからは授業の最初に「機械」の話をしてテンションを高めることを意識した。
秋になった頃、母親との三者面談を行い「Kくんは工業高校目指す」ことで三者で合意した。
その頃には中学1年生レベルまで学力も伸びてきていた。
Kくんの授業をしていると、必ず途中におばあちゃんが差し入れを持ってきてくれる。
本当に優しいおばあちゃんで、Kくんのことを可愛がっていることがわかる人だった。
「kちゃんをよろしくお願いしますね」毎回笑顔で差し入れてくれた。
1月になり、いよいよ受験モード。
ある時、1階の居酒屋さんをやっている父親が授業終わりで入ってきた。
「先生、ちょっと良いですか?」
1階の居酒屋に案内される。
「先生は飲めるの?」
「いや、車なのでお酒はちょっと」
「そうかぁ。それで、うちの息子はどうですか?」
「大丈夫です、とは言い切れませんがなんとか合格できるレベルまではきてると思います」
「なんとかしてやってください、お願いしますよ」
「はい、がんばります」
「先生、あいつの受験が終わったら飲みにきてくださいね!」
「はい、もちろんです」
2月、都立高校の受験。
Kくんは無事に志望の高校に合格した。
「先生、本当にありがとうございました」母親とおばあちゃんは涙目で感謝してくれる。
「先生、ありがとう」Kくんも嬉しそうだ。
「先生、今日は飲んでいってください」
「はい、今日は徒歩できましたので」
1階の居酒屋はKくんの祝賀会で盛り上がった。
(ご両親もおばあちゃんも喜んでくれた、Kくんもよくやったよ!めでたい)
充実感とともにKくんの家庭教師は終了した。
数年後、社会人になりKくん家族の事も忘れていたある日、実家近くの弁当屋を通りかかると見たことのある顔が。
(あれ、Kくんとお母さん?)
引き返して弁当屋さんを覗くとそこには紛れもなくKくんとお母さんがいる。
「え、どうしたんですか?」
元々の家はそこからかなり離れていたし、居酒屋さんも賑わっていたし、Kくんはまだ高校生のはず。
「実はね」お母さんが話し始めた。
「先生が来てくれてた頃から主人は具合が悪くて、先が長くないことはわかっていたの。主人が亡くなって、その後におばあちゃんも亡くなってね。あの家を売って今ではこの近くに親子二人暮らし」
「今は私はここで働いているんだけど、Kもたまにこうして手伝ってくれてるの。Kは『高校を卒業したらもう一度お店やるんだ』って頑張ってくれてるのよ」
一瞬ショックで目眩がしそうになった。
(あの幸せそうな家族があの後そんな事になっていたのか!)
「先生、また来てね。待ってるよ!」Kくんの元気な声がせめてもの救い。
機械が好きで工業高校に入ったのに親父さんの志を継いで居酒屋をやろうとしているKくん、なんとも意地らしい、そしてあの俯きがちなKがあんなにもイキイキしているなんて。
その後、幾度となく弁当屋に立ち寄った、その度に(オマケ)をくれた。
自分も忙しくなり、しばらく実家に行かない日々が続きKくんの弁当屋のことも忘れかけたある日、弁当屋の前を通りかかった。
そこには立派な「居酒屋」ができていた。
そのお店がKくんたちのお店かはわからない、でも二人の店だと信じている。
「Kくん、よくやったな!自分の道を自分で切り拓いた君は素敵な大人になっているんだろうな、おめでとう!」