ヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》のスタッフブログ -19ページ目

ヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》のスタッフブログ

『1日だけのヒューマンドキュメンタリー映画祭2025』開催!
2025年11月15日(土)11:00〜/大阪市中央公会堂 地下大会議室

予告編:『妻の病 -レビー小体型認知症-』(87分)
監督:伊勢 真一
上映日時:8月24日(日) 15:15~


・関西初公開



予告編:『妻の病 -レビー小体型認知症-』

「妻の病」を巡って

「まるで夢のようだね…」
認知症の日々を生きる妻に夫が語りかける。
二人はうなずき合う。
この映画は、認知症のドキュメンタリーというよりも、病を経て絆を深める、ある夫婦の愛の物語である。
2011年3 月11日。東日本大震災のその日、私はひとりの友人の話を聞くために、高知県南国市にいた。
友人の名は石本浩市(62 才)、ふるさとのその地で小児科を開業する医師である。
十数年前、小児がんの子どもたちのキャンプで出逢い、10 年がかりで『風のかたち』という映画を製作した仲間だ。
その日、石本医師が語ったのは、小児がんの話ではなかった。

レビー小体型認知症。
それが、彼の妻の病名だった。
妻・石本弥生さんは、石本医師とは幼なじみ、50 代から若年性の認知症となり、10年間、石本夫妻は病との斗いに明け暮れて来た。
小児がん治療と地域医療の取り組み、妻・弥生さんの認知症との格闘、決してキレイゴトでは片付けられない日々…。
石本医師は、医師ならではの観察眼で、弥生さんの発症以来の日常を、まるでカルテを書くように、こと細かに記録していた。
認知症が進行し、今では身の回りのことがほとんど何も出来なくなった弥生さん…。
その弥生さんに深い愛情を寄せケアする石本医師、家族、親戚、地域の人々。
映画「妻の病 –レビー小体型認知症–」は、四国・南国市の豊かな自然に育まれ、
支えあうように生きて来た一人の医師と、認知症の日々を生きる妻との、10年間に及ぶ“いのち”を巡る物語である。
認知症の人は“何もわからない人・出来ない人”ではない。“本人なりの思いや願い、出来る力を秘めている人”である。

監督プロフィール ----------
伊勢 真一
(監督・ヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》 総合プロデューサー)

1949 年東京生まれ。
1995年、重度の障害をもつ少女の12年間を追った作品「奈緒ちゃん」で毎日映画コンクール記録映画賞グランプリを受賞。
近作に「風のかたち-小児がんと仲間たちの10年-」(09・文化庁優秀映画賞受賞)、
「大丈夫。-小児科医・細谷亮太のコトバ-」(11・キネマ旬報文化映画ベスト・テン第1位)、「シバ 縄文犬のゆめ」(13)。
ヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》をはじめ、大倉山映画祭・はなまき映像祭など、各地でドキュメンタリーの映画祭を企画。
2013年度「第11回シネマ夢倶楽部賞」を受賞。
昨年公開となった「小屋番 涸沢ヒュッテの四季」と、最新作「妻の病-レビー小体型認知症-」を今年度、映画祭で上映。
予告編:『SAYAMA みえない手錠をはずすまで』(105分)
監督:金 聖雄
上映日時:8月24日(日) 15:15~


2013キネマ旬報文化映画第3位
池田市人権映画祭 最優秀作品賞受賞



予告編:『SAYAMA みえない手錠をはずすまで』


獄中32年、仮出獄19年。
身に覚えのない逮捕から実に51年、今も無実を訴えつづける人がいる。
石川一雄 75歳。
どんなに大きな苦難を背負っていても“生きることは美しい”石川一雄さんと早智子さんとの出会いはそう思わせてくれるものだった。
1963年5月1日埼玉県狭山市でおこった女子高生殺害事件。
いわゆる“狭山事件”。犯人にでっちあげられたのは被差別部落に住む石川一雄さんだった。
事件から半世紀「殺人犯」というレッテルを背負い続けながら、石川さんは今もなお「私は無実です」と訴え続ける。
映画はそんな石川さんと連れ合いの早智子さんの日常に3年間寄り添った。
獄中で文字を覚え、同じ冤罪被害と闘う友と語らい、そして最愛の人早智子さんと共にあゆむ。
「不運だったけど不幸ではない!」というふたり。
「冤罪」という強いられた人生を受け止めまっすぐ“凛”と生きるその姿は、時として美しく人々に感動をあたえる。
その何気ない日常のなかからあぶりだされたものは普遍的なメッセージだった。
「幸せとは」「愛とは」「友情とは」そして「正義とは」…。
映画は問いかける。

監督プロフィール ----------
金 聖雄(監督)

1963年大阪・鶴橋に生まれる。大学卒業後(株)リクルート勤務。
その後自分で商売をはじめるが失敗。
「何か?やりたい、出来るんだ」という想いを胸にくすぶらせながら、結局“愛する人”を追いかけて東京へ…。
東京にて料理写真家の助手を経験後、助監督になる。
1993年からフリーの演出家としてスタートPR映像やドキュメンタリー、テレビ番組など幅広く手がける。
2004年、在日1世のおばあちゃんの日常を4年間追いかけたドキュメンタリー映画「花はんめ」を監督。
2011年、2作目「空想劇場~若竹ミュージカル物語~」を監督。
2013年9月「SAYAMA みえない手錠をはずすまで」完成。
予告編:『60万回のトライ』(106分)
監督:朴 思柔、朴 敦史
上映日時:8月24日(日) 10:00~


第15回全州国際映画祭「CGVムービーコラージュ配給支援賞」受賞
関西映画祭初上映



予告編:『60万回のトライ』

ソウル出身の監督が大阪朝鮮高級学校ラグビー部に密着した長編ドキュメンタリー映画です。
2010年の1年間を描いています。
監督は2010年から3年間、大阪朝高ラグビー部を取材し記録してきました。
ラグビーに打ち込む在日朝鮮人の高校生たちのありのままの姿を通じて、在日朝鮮人が歩んできた歴史に思いを馳せ、朝鮮学校が日本社会で有する意味をあらためて考えるきっかけになればと願っています。

2010年正月。花園ラグビー場。
大阪朝高ラグビー部は創部以来、初めて進出した全国大会準決勝の舞台に立った。
彼らの闘志や熱い応援に胸を震わせ、韓国出身の私はドキュメンタリー映画をつくろうと決心する。
悲願の日本一を目指し、主将の戦線離脱などを乗り越えてゆく選手たち。

どこにでもいそうな高校生かと思えば、民族教育の中で自らのルーツを真剣に探す彼ら。
その素顔に接しながら、私は彼らが朝鮮半島と日本の架け橋になってゆくことを願う。

高校無償化からの除外。補助金の凍結。
朝鮮学校を取り巻く日本社会の現実を背負いながらも、彼らはふたたび花園の舞台で頂点を目指し駆け上がっていく。
ソウルから来た監督と、ラグビーに青春をかける在日朝鮮人の高校生たちのドラマチックな1年間を描く。

タイトル『60万回のトライ』には、日本で生きる在日朝鮮人およそ60万人の夢と願い、そして挑戦の意味がこめられている。

監督プロフィール ----------
朴 思柔(パク・サユ)

ソウル生まれソウル育ち。02年来日。
05年から韓国報道局の海外レポーターとして在日同胞に関するニュースを制作。
10年コマプレス結成。本作が初監督作。

朴 敦史(パク・トンサ)

78年京都生まれ大阪育ち。在日朝鮮人3世。
10年コマプレス結成。本作では共同監督を務める。

コマプレス/KOMAPRESS/꼬마프레스
2010年、「小さな声、低い視線」をモットーに設立。
「コマ」 は朝鮮語で子どもを意味し、小さきものを意味する。
巨大なメディアに対してあえて「小さく」「低く」あることで、 声なき声、不可視の葛藤、 抵抗とはみなされない抵抗を伝えてゆくことを使命とする。在日コミュニティや民族教育の現場を取材。
同年から三年間に渡り大阪朝鮮高級学校ラグビー部に密着。
民族教育の現場から、大阪府の助成金問題、無償化「除外」 問題などを取材。
それらの記録を素材にした長篇ドキュメンタリー映画『60万回のトライ』(2013年)を製作。現在、劇場公開中。
東日本震災に際しては、地震発生三日目に仙台の東北朝鮮学校へ向かう。記録映像『東日本大震災 東北朝鮮学校の記録 2011.3.15-3.20』(2011)の制作・上映活動、続編『アフタースクール』制作(2011~編集中)
予告編:『日本一幸せな従業員をつくる!~ホテルアソシア名古屋ターミナルの挑戦~ 』(92分) 
監督:岩崎 靖子
上映日時:8月23日(土) 18:00~


文部科学省選定(平成26年2月19日、少年・青年・成人向き)


予告編:『日本一幸せな従業員をつくる! ~ホテルアソシア名古屋ターミナルの挑戦~ 』


名古屋駅前の小さな老舗ホテル「ホテルアソシア名古屋ターミナル」。
まわりに超高層のホテルが次々に乱立。勢いに押され、名古屋ターミナルは4期連続の赤字へと転落。
人材は流出、従業員はみるみる自信もやる気も失っていく。
その状況の中で新たにホテルの支配人に就任したのは、ホテルマンの経験がまったくない柴田秋雄。
柴田氏が掲げた目標は、「黒字」でもなく「顧客満足度NO1」でもなかった。
それは「日本一幸せな従業員をつくる」こと。

一人一人の従業員を大切にしようと、従業員のお誕生日会を開いてお祝いしたり、心を病んだ従業員のために農場づくりをしたり。
従業員を想う気持ちは、次第に従業員たちを変え始める。
そしてその渦は、従業員だけではなく、取引先に、お客様に広がっていき・・・。
4期連続の赤字ホテルは、いつしか10期連続の黒字のホテルへ。
かつて日本に、こんなにもあたたかく、こんなにも優しく、こんなにも誠実な会社があった。
障がいがあっても、うつ病を抱えていても働ける。
一人一人が自分らしく輝くことで、お互いを活かし合い、驚くべき。
舞台はホテルですが、観た人の職場にも、学校にも、家庭にもきっと幸せを運んでくれます。
みんなが願っている職場や世の中を形にして見せてくれます。
夢は夢じゃない、真実のホテルの物語。

監督プロフィール ----------
岩崎 靖子(コーチ、映像作家)
監督作に「宇宙の約束」「僕のうしろに道はできる」など。
【映画祭まであと5日!】

予告編:『標的の村』(91分)
監督:三上 智恵
上映日時:8月23日(土) 15:30~

・第87回キネマ旬報ベスト・テン 文化映画第1位
・山形国際ドキュメンタリー映画祭2013 市民賞&日本映画監督協会賞 W受賞



予告編:『標的の村』


日本にあるアメリカ軍基地・専用施設の 74%が密集する沖縄。
5年前、死亡事故が多発する新型輸送機オスプレイの着陸帯建設に抗議し座り込んだ東村・高江の住民を国 は「通行妨害」で訴えた。
反対運動を委縮させる SLAPP 裁判だ[※1]。
人口 160 人の高江集落は米軍のジャ ングル訓練場に囲まれている。
わがもの顔で飛び回り、低空で旋回する米軍のヘリ。
自分たちは「標的」な のかと憤る住民たちに、かつてベトナム戦争時に造られたベトナム村[※2]の記憶がよみがえる。

2012 年6月26日、沖縄県議会がオスプレイ配備計画の撤回を求める抗議決議・意見書を全会一致で可決した。
9月9日の県民大会には10万の人々が結集した。

しかし、その直後、日本政府は電話一本で県に「オスプレイ」配備を通達した。
そして、ついに沖縄の怒りが爆発した。

9 月29日、強硬配備前夜。
台風17号の暴風の中、人々はアメリカ軍普天間基地ゲート前に座り込み、
22時間にわたってこれを完全封鎖したのだ。

4つのゲートの前に身を投げ出し、車を並べ、バリケードを張る 人々。
真っ先に座り込んだのは、あの沖縄戦や復帰前のアメリカ軍統治の苦しみを知る老人たちだった。
強制排除に乗り出した警察との激しい衝突。
取材に駆け付けたジャーナリストや弁護士さえもが排除されていく。
そんな日本人同士の争いを見下ろす若い米兵たち......。

この全国ニュースからほぼ黙殺された前代未聞の出来事の一部始終を記録していたのは、地元テレビ局・琉球朝日放送の報道クルーたちだった。

本作は、反対運動を続ける住民たちに寄り添いながら、沖縄の抵抗の 歴史をひもといていく。
復帰後40年経ってなお切りひろげられる沖縄の傷。

沖縄の人々は一体誰と戦っているのか。
奪われた土地と海と空と引き換えに「平和と安全」を味わうのは誰か?

10 月1日、午前11時20分。
沖縄の空をオスプレイが飛んだ。
抵抗むなしく、絶望する大人たちの傍らで11才の少女が言う。

「お父さんとお母さんが頑張れなくなったら、私が引き継いでいく。私は高江をあきらめない」

※1=SLAPP 裁判:国策に反対する住民を国が訴える、
力のある団体が声を上げた個人を訴える弾圧・ 恫喝目的の裁判をアメリカでは SLAPP(Strategic Lawsuit Against Public Participation)裁判と呼び、多 くの州で禁じられている。

※2=ベトナム村:1960 年代、ベトナム戦を想定して沖縄の演習場内に造られた村。ベトナム戦を想定し 農村に潜むゲリラ兵士を見つけ出して確保する襲撃訓練が行われていた。そこで高江の住民がたびたび南ベトナム人の役をさせられていた。

▼監督プロフィール
三上 智恵(監督)

1964年東京生まれ。
父の仕事の関係で12歳から沖縄に通い、
成城大学で沖縄民俗を専攻。
卒業論文『宮古島の民間巫者に見る霊魂観~タマスウカビを中心に~』
アナウンサー職で大阪の毎日放送入社。
8年後の1995年、琉球朝日放送の開局とともに両親の住む沖縄へ移住、第一声を担当。
以来夕方ローカルワイドニュースのメインキャスターを務めながら、取材、番組制作に奔走。
沖縄民俗学の研究も継続し、放送業と並行して大学院に戻り、2003年春、沖縄国際大学大学院修士課程修了。
修士論文『大神島における祭祀組織のシャーマニズム的研究』
同大学で沖縄民俗の非常勤講師も務める。
ドキュメンタリーの主なテーマは沖縄戦や基地問題、一方、サンゴの移植やジュゴンの文化を追いかけるなど海洋環境と海をめぐる沖縄の文化をテーマにした番組も精力的に製作している。