みなさん、こんばんは
今日の苫小牧は北海道らしい
爽やかなお天気でした
さて、今日も北海道ろうサッカー
の歴史を紹介しますよ
恩師の原崎先生の言葉で
障害のある子どもたちにも
サッカーを教えると決意
した綿谷先生。
最初に赴任したのが、
札幌ろう学校でした。
当時、先生は聞こえない
障害って何ろうあ者って
と言う感じで何も分からな
かったそうです
そして、昭和30年4月、柴田
勗先生と共に札幌ろう学校
に就職しました。
当時のスポーツ界は野球の
時代・・
サッカーはマイナーな
競技
札幌市内中学校の中にも
サッカー部は5校しかあり
ません。
もちろんグランドもありま
せんでした・・・
そんな厳しい状況の中、
札幌ろう学校にサッカー部
設立
ちなみに当時はサッカーと
いう言葉ではなく、蹴球と使
ってたそうです。
蹴球競技、蹴球協会といった
ように・・・
札幌ろう学校の
中学部の男子全員が部員
になりました
綿谷先生は「他のスポーツは
やらないぞサッカーだけだ
って言ったんだ」となつかし
そうにおしゃってました
ここから、先生たちは市内の
中学校との練習試合、交流試
合をするため、駆けめぐる日々
が始まりました
このブログに関する
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北海道ろう者サッカー協会
事務局まで・・