丈六堂  身延山


黄色い三椏(ミツマタ)の花が身延の山にそこここ咲く3月15日、タクシーで身延山・丈六堂へお参りしてきました。上の山錦ケ森という場所で、身延山久遠寺から奥の院思親閣に登る道は、急坂でまた急カーブが多いところでした。幹が太く丹精された垂直に伸びた杉林に囲まれていて、シーンと静まりかえった荘厳な場所でした。丈六堂は鍵がかかっており下の庫裡で鍵をお借りしてお参りをさせて頂きました。
丈六堂の中は、一丈六尺(4m80㎝)で漆箔の金色に輝く大きな釈迦如来像が安置されています。補修がされていて、江戸時代の仏像とは思えないほど黄金に輝いて、見上げると遠くから優しいまなざしを感じられます。四方にはかつては極彩色であったであろう四天王像が配され、時代を感じる尊さがあります。奥には20㎝から60㎝ほどの多数のお釈迦様が整然と千体仏として並んでいました。
丈六釈迦像は徳川家康の側室、水戸徳川家の祖頼房の生母のお万の方が中心となり、京都の瑞円院怡大比丘尼と三位一条卿の夫人が加わり大施主となり寄進されました。
丈六堂は江戸時代の前期寛永20年(1643)に菩提梯の上あたりに建てられたのが、身延山第二十八世日奠上人代の時寛文四年にこの地に移築されました。このため明治8年の久遠寺の大火災を免れ、江戸の風情が残されました。また、参道の石段は大きな石が積まれ、一段下るのにも大変でした。舗装の道を下りますと右側に無縁墓がありました。4列や5列に墓石がぎっしり隙間なく並び、1mの道を隔てて、4つの列となっています。墓石は古く、文字も分からないほど苔むしていて、ほとんどが欠けています。京都の化野の念仏寺のようだという人もいました。手入れされた杉林の中に、この墓所の少し上に、見事なしだれ桜が1本ありました。まだ固いつぼみでしたが、咲き誇る時はさぞや見事な花吹雪となるだろうと思いました。
その先には、大名家をはじめとする墓所がたくさんあって、久遠寺の法主様の中にもここに墓所を建立している例もあるそうです。山梨から総理大臣になった石橋湛山さんのお墓もあるそうです。
万延12年(1861)、この地に五重塔が建てられましたが、今は跡地だけになっていました。