第10回『だから、わたしはこのまちが好きです。』 町立市川中学校
9月16日(月)市川マップの会(会長一瀬茂)では町立市川中学校の生徒を対象に第10回「だから、わたしはこのまちが好きです。」フォトコンテストの表彰式をしました。10回目を迎え市川三郷町館内の小・中・高校を一巡し、管内の生徒を対象に深い関わりができたと感じています。改めて継続した事業の大切さを実感しました。応募作品は59点あり、受賞者や父兄・関係者など30名余の入場がありました。審査会は9月12日(木)市川マップの会のメンバーと市川カメラクラブ(村松貞夫会長)とで審査をしました。「市川マップの会大賞」に菅健斗さん(3年) 、「市川三郷町大賞」に丹沢芽衣さん(1年)、「市川大門三珠ライオンズクラブ大賞」に櫻井麻南さん(3年)となりました。入選作品10点が選定されました。作品はどれも光をとり入れた新鮮な感性でとらえられた作品で印象に残るものでした。マンホールを捉えたものや、歴史的建造物などの作品や、神明の花火大会の一シーンなど町内のあちこちにスポットライトがあたり、地域の自慢が表現されていました。表彰式の講話で歴史作家の江宮隆之氏は市川三郷町の偉人で世界的な指揮者小澤征爾の父、小沢開作氏の話をして頂きました。開作氏は亡くなったロバート・ケネディ氏と面談しベトナム戦争反戦を説かれたことを話しました。れました。また、市川中学校の 佐野一浩校長先生からも、「生徒のPhotoコンテストの参加をみて地域と共に根差した活動に参加できよかった。」と話され参加したご父兄の方が「よい企画をありがとうございました。郷土の自慢話のできる人間になってほしい」と話されました。作品は10月1日~31日まで山梨中央銀行市川支店にて展示されます。ご来場お待ちしております。

 

 

 暑い日差しの下、四尾連湖に行く途中の東小学校の手前にある㈱桑郷におじゃましました。
社長さんの韓成皎さんが出迎えてくださいました。冷たい美味しい桑の葉茶を出していただきました。これは、食後に飲むより食中に飲む方が糖尿病にはいいと教えていただきました。
会社は2004年に義父さんが始め、2008年に引き継いだそうです。義父さんから会社を継いでくれと言われた時は。岡山にいる時で韓国に帰る予定でいました。韓国の亡くなったお父さんが、国に帰ってほしいと言っていたこともあり、悩んだそうです。悩んだ末、帰国して1週間たった時に、黄金の鳥の背に乗り、市川大門の上を飛んでいた夢を見たそうです。まるで、お父さんが韓さんを市川大門の地に導いてくれていると感じたそうで、「日本のために生きる」と決心され、事業を引き継いだそうです。
 桑の葉茶は、夏の日をいっぱいあびた青々した人の手程もある、葉を原料としていて、今がシーズンです。加工する機械は大がかりのもので作業工程により、4部屋に分かれていました。異物を取り除く機械もあり、製品は万全を期しています。商品は何種類もあり売れ行きは順調で、今年は20トンの生産を見越しているそうです。全国の祭りなどのイベントに参加し試飲してもらい、広めてきましたが、特に業績が好転したのは、9年前にUTYでドキュメンタリーの特命番組で報道されたことによるそうです。また、ジャイカの活動で、フィリピンに製茶の機械を持って行って製造し、地元の産業振興にも役立っているそうです。
 今の販売は7割が通販で、直販は3割のようです。特に最初から店頭などで販売して頂いている地元の金晃堂さんや㈱二孝さんなどには感謝されていました。
 桑茶は、神奈川県において、行政と民間の企業も入り1億2000万円かけて桑の機能性について研究していたそうです。それを基に義父さんが起業されたそうです。お義父さんの友達である神奈川県から市川三郷町に移住していた北条楽只さんが四尾連湖を案内してくれ、その時の四尾連湖が大変気に入り、“こんな場所に住みたい。”と思いこの地に移住されたそうです。義父さんは、「四尾連湖にシビレた!!」と、口癖のように言っていたそうです。
 

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「大塚古墳の時代」 熊谷晋佑先生

7月20日に「旧二葉屋酒造」で県政出前講座、熊谷晋佑先生による「大塚古墳の時代」の講演会がありました。
古墳時代は、弥生時代と飛鳥時代の間になります。前方後円墳が最初に造られたのは、西日本から生まれていて、卑弥呼のものではと思われています。この前方後円墳の形が列島全域に100年もかからないうちに広がっているそうです。形はこのほかに、前方後円墳・円墳・方墳・双方中円墳・上円下方墳・八角形墳などがあります。古墳は「権力の象徴」と謳われて、家、動物、人などがかたどった埴輪や刀、鎧、馬具が副葬品として出てきます。現代では、木に覆われていたり、芝生で復元してあったりしますが、造られた当初は石が表面に並べてあったそうです。後円墳の丸い天辺のところの下に埋葬され、最初は上から入れる竪穴式で、その後横穴式になり、数人が何回かに分かれて埋葬できるようになっているそうです。古墳時代前半の副葬品から装身具が分かるそうで、腕輪類を石で加工しているそうです。後半になりますと、冠、帯金具(ベルト)、垂飾耳飾り、飾履(くつ)など、朝鮮半島から来たものがあったそうです。武具は、甲冑、刀剣、矢じりなど。刀の中には、金銅装によって、鳳凰や竜などをかたどったものも出てきたそうです。または金銅装でピカピカにした馬具もあったそうです。
山梨県の古墳は、風土記の丘周辺が始まりで、大きな前方後円墳が1世代ずつ造られたそうです。銚子塚古墳は169cmもあるそうです。市川三郷町の大塚には、5世紀に造られた鳥居原狐塚古墳があり、1辺18mほどの方墳で、明治時代に開墾した時、「赤鳥元年5月廿五日~」と銘のある中国「呉」鏡が出てきたそうです。赤鳥元年(西暦238年)は日本では邪馬台国の頃のだそうです。大塚古墳は、北原古墳群のうちの一つで、全長61mの帆立貝式古墳で、県の埋蔵文化財センターによる調査(平成6年2月)では盾型の周溝、掘りこみ、埴輪が発見されたそうです。その後三珠町の調査で(平成6年10月)前方部の石室を確認、埴輪・甲冑・六鈴鏡が出てきたそうです。立派な副葬品であるので、権力を持った人が埋葬されていたと思われます。その近くに伊勢塚古墳があり、まだ調査がされていないそうですが、これから調査されれば、副葬品がでてくる可能性があります。興味を持たれるところです。また、市川三郷町では昨年市川高校・増穂商業・峡南高校の3校の統合再編において新たに整備される峡南地域単位制、総合性高等学校の校舎新築に先立ち平成30年4月26日市川三郷町市川大門に於いて発掘調査が実施されました。平安時代の竪穴式住居や室町時代の水田面の調査や石積み水路も発見され、遥、古代の市川三郷町が町民の前に披露されました。これを機会に、過ぎ去ったはるかいにしえの昔に思いを寄せてみたらいかがでしょう。