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「大塚古墳の時代」 熊谷晋佑先生

7月20日に「旧二葉屋酒造」で県政出前講座、熊谷晋佑先生による「大塚古墳の時代」の講演会がありました。
古墳時代は、弥生時代と飛鳥時代の間になります。前方後円墳が最初に造られたのは、西日本から生まれていて、卑弥呼のものではと思われています。この前方後円墳の形が列島全域に100年もかからないうちに広がっているそうです。形はこのほかに、前方後円墳・円墳・方墳・双方中円墳・上円下方墳・八角形墳などがあります。古墳は「権力の象徴」と謳われて、家、動物、人などがかたどった埴輪や刀、鎧、馬具が副葬品として出てきます。現代では、木に覆われていたり、芝生で復元してあったりしますが、造られた当初は石が表面に並べてあったそうです。後円墳の丸い天辺のところの下に埋葬され、最初は上から入れる竪穴式で、その後横穴式になり、数人が何回かに分かれて埋葬できるようになっているそうです。古墳時代前半の副葬品から装身具が分かるそうで、腕輪類を石で加工しているそうです。後半になりますと、冠、帯金具(ベルト)、垂飾耳飾り、飾履(くつ)など、朝鮮半島から来たものがあったそうです。武具は、甲冑、刀剣、矢じりなど。刀の中には、金銅装によって、鳳凰や竜などをかたどったものも出てきたそうです。または金銅装でピカピカにした馬具もあったそうです。
山梨県の古墳は、風土記の丘周辺が始まりで、大きな前方後円墳が1世代ずつ造られたそうです。銚子塚古墳は169cmもあるそうです。市川三郷町の大塚には、5世紀に造られた鳥居原狐塚古墳があり、1辺18mほどの方墳で、明治時代に開墾した時、「赤鳥元年5月廿五日~」と銘のある中国「呉」鏡が出てきたそうです。赤鳥元年(西暦238年)は日本では邪馬台国の頃のだそうです。大塚古墳は、北原古墳群のうちの一つで、全長61mの帆立貝式古墳で、県の埋蔵文化財センターによる調査(平成6年2月)では盾型の周溝、掘りこみ、埴輪が発見されたそうです。その後三珠町の調査で(平成6年10月)前方部の石室を確認、埴輪・甲冑・六鈴鏡が出てきたそうです。立派な副葬品であるので、権力を持った人が埋葬されていたと思われます。その近くに伊勢塚古墳があり、まだ調査がされていないそうですが、これから調査されれば、副葬品がでてくる可能性があります。興味を持たれるところです。また、市川三郷町では昨年市川高校・増穂商業・峡南高校の3校の統合再編において新たに整備される峡南地域単位制、総合性高等学校の校舎新築に先立ち平成30年4月26日市川三郷町市川大門に於いて発掘調査が実施されました。平安時代の竪穴式住居や室町時代の水田面の調査や石積み水路も発見され、遥、古代の市川三郷町が町民の前に披露されました。これを機会に、過ぎ去ったはるかいにしえの昔に思いを寄せてみたらいかがでしょう。