こんにちは。

今日は、前回に続き心理的なことを書きたいと思います。

皆さんにとって「正義」ってなんですか?

この「正義」っての厄介なんですよね。

国でいえば、法律に従わないのは「悪」になって処罰を受けます。

純粋な正義とは、判断基準になるルールに従い、損得は別に考えないといけないのかなと思います。

要は、善悪の判断に私情が入るとややこしくなることが多いような気がして

しかし、人間は感情の生き物と言われるだけあってそんな単純にはいかないんですよね。

そして、個人の善悪の判断基準は育った環境に大きく左右されるわけですよ。

例えば、子供が一人の家庭で「出されたものは全て食べていいよ」と育ったか、大家族で「食事はみんなで分け合って食べよう」と育ったかだけでも違いが出てくると思います。

そこで、人は他人がすることで「自分の正義」に反することをジャッジしたがるんですよね。

よくSNSで芸能人が誹謗中傷を受けたりするのがそれにあたると思います。

そのような人は、「主観」と「事実」を区別してないのはないのでしょうか?

例えば、

・芸能人の不倫が発覚しました。

・不倫は確かに道徳、倫理上良いことではない。

・処分としては、イメージを壊された所属事務所やCM起用していたスポンサーから損害賠償を請求される。

という訳で、損得を加味しない第三者の目線だと「不倫をした」と「迷惑かけた分を償うことになった」という二つの事実しかないわけです。

これに「主観」が入り始めると、不倫に対する考え方が人それぞれなんで「罰をもっと重くすべきだ」や逆に「罰が重すぎる」などの意見が出てきたりして、必要以上に当事者を攻撃してみたり、当事者は「その時の雰囲気で仕方なかった」など行為の正当化をしようとするかもしれません。

ここで見えてくるのは、当事者・第三者ともに「事実のみをそのまま受け入れると都合が悪い」ことです。

もっとシンプルにいうと、「自分はこういう結果になって欲しい」という意見が交錯して事態が混乱していくのだと思います。

日本は法治国家なので、問題は法律で解決するように決められています。(現実は法律のみで解決困難なこともあるのでしょうが)

主観が必要な場合とは、他者と親睦を深めるなどお互いを理解する時です。

自分と相手、両方が考え・意見を受け入れ理解することで人間関係は成立していきます。(意見は言えるけど受け入れることが苦手な人が多いような気がします。私もその一人ですが💦)

「主観」と「事実」使い方を誤ると簡単なことも複雑になったり、人の意見に振り回されて傷つくなど生きにくくなるという話でした。

以上!