名前(おおみやかげつら)
概要
北畠家家臣。弓の名手。
?年ー1576?年
別名 不明
主君 北畠具教→具房
氏族 大宮氏
父母 大宮入道含忍斎
兄妹 不明
妻 不明
子 不明
生涯
阿坂城主、大宮入道含忍斎の子どもとして生まれ、家中一の豪勇を謳われた弓の名手だった。1567年に織田信長による伊勢侵攻で木下藤吉郎(豊臣秀吉)の率いる兵に阿坂城を包囲された。この時景連は寄せ手を狙撃し織田軍を混乱させた。そのことに業を煮やした藤吉郎が前線で叱咤し始めると、敵大将の藤吉郎を狙い藤吉郎の左太腿(左肘とも)を貫いたといわれている。これが秀吉生涯唯一の戦傷となる。頑固な抵抗をする阿坂城は落ちる気配を見せず藤吉郎は力攻めを放棄し調略に切り替えた。そのため城内に内通者が出て降伏した。また混乱に乗じて陥落させたともいわれている。落城後は大河内城へ落ち延びたが、三瀬の変で北畠一族が殺され霧山城に籠ることになった。その際も藤吉郎を狙うも失敗し自害したといわれる。「勢州軍記」によると小牧長久手の戦いに参加し
たと記述があるので存命していたのかもしれない。
関連
参考資料
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