「福島第1原発:東電社長、怒りの浪江町民を前に土下座」(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/weathernews/20110311/nuclear/news/20110505k0000m040077000c.html

震災・原発事故以降東電への非難の度合いは高まるばかりだ。
もちろん、原発問題が原因でいまだに避難生活を強いられている人からすれば、
その怒りの矛先は東電に向けられるのは当然のことだろう。

ただ、原子力発電はそれを管理運営しているのは民間企業の電力会社であるのだが、
国としても重要な施設であり、民間企業と国の二人三脚で進められてきた事業である。
だとしたら、今回の原発事故の人災にあたる部分があるとしたら、半分は国にも責任が
あるはずである。

ところが、原子力安全保安員にしても、委員会にしても、「責任は東電にあり、私達は関係ない」
という態度を取り続けている。そこがどうにも腑に落ちない。

上記ニュースでも東電社長以下社員数人が、被災者を前にして土下座しているのだが、
なぜここに国側の安全保安員の方々が居ないのだろうか?
当然にして、彼ら国側の人間も今回の災害の片棒を担いでいるはずである。
今回の原発事故は単衣に「想定を超えた」という部分が問題。
この「想定」って誰が想定したのだろうか?

東電側が勝手に想定して、勝手に原発を作ったのであれば、
単に「東電がアホだった」という話になり、土下座するのは東電でいいだろう。
ただ、この「想定」は国も関与して作っていたのではないだろうか?
いゃ、100歩譲って、東電が「想定」したものを国が認めたという形であっても、
「それを認めた」という事実だけで、責任の半分はある。

実際には、東電側とスケジュールの調整が出来なかったとしても、
現地住民への謝罪行脚は東電だけではなく、国側も実施すべきではないだろうか?

「ごめんなさいで済めば、警察なんていらない」というとおり、謝罪にどこまでの意味が
あるのだろう...実質大して意味はない。誤っている暇があれば、まずは原発を問題ない
レベルまで落着かせることの方が先決である。
ただ、次のステップに進むためには、当事者が反省しなければならない。
どこに原因があるのか?何が問題だったのか?
起きてしまったことは致し方ない、と言うにはあまりにも大きな事故ではあるのだが、
時間は戻せない。だったら、責任の取り方は一つ。「二度と同じ失敗をしない」という
ことに尽きる。そのためにも、起きてしまったことの反省は必要。そのためにも、
自分の所作がどんなに大きな影響をもたらすのかを把握するためにも、
謝罪行脚は必要なのではないだろうか?だとしたら、やはりこの土下座の場に
保安員の姿が無いことに、今後の原子力行政に一抹の不安を感じる。

今回の事象の原因はどこにあるのだろうか?