リバイバル!四国交通定期観光ボンネットバス乗車記録_2000年 中編 | しもつけ自動車館

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昔はバス記事、最近は鉄道模型記事の二本立てです。

最近、クラウドファンディングで見事に復活した四国交通のボンネットバス、24年前の乗車記録です。大昔に個人サイトに掲載していたものを基に、あらためて再構成したものを当ブログに掲載したいと思います。

 

情報や画像等は24年前の当時のままですので、現在とはだいぶ状況が違いますし画質もかなり悪いのですが、当時の様子が少しでも伝われば幸いです。

 

記事が長いので3分割しており、当記事は中編になります。前編はこちらからどうぞ。

 

※ここから当時の記事です(一部再構成しています)※

 

第5章 出発!

定時少し前に、ボンネットバスが案内所脇に到着しました。いよいよ乗車です。指定された席は最後部でした。冒頭、ガイド氏より「古いクルマですので、エンストした際にはご協力願います」といったニュアンスのアナウンスがあり、乗客が皆複雑なリアクションを示したのが面白かったですね(^^

 

▲ちなみに阿波池田駅前名物と言えば、この駅前アーケード内を進む路線バス。あまり見慣れない光景で新鮮でした。

 

▲こんな感じでアーケードに吸い込まれて行きます(^^

 

バスは駅前を抜け、甲子園で有名な池田高校の脇を通ったあと、吉野川沿いを走ります。途中、三好橋を渡った所でかんぽセンターからの利用客を乗せ、さらに進みます。エンジンもいたって快調で、国道を元気よく快走します。リヤが軽めのリーフサス車ですので、乗車位置の最後部では、車体が上下に激しく揺れ、かなり面白かったです。ただ、車酔いする人には辛いかな? そんな道中、ボンバスの快適(?)な乗り心地を堪能していると、あっという間に一か所目の観光ポイント、小歩危・大歩危に到着。小歩危はバス車内から眺めただけに留まり、大歩危のドライブインで下車します。

 

▲大歩危のドライブインでバスも休憩中。ここが定位置なのでしょうか。

 

第6章 鮎と船

大歩危からは、吉野川のライン下りを体験します。船頭さんの案内のもと、大歩危を両側に見ながら川を下って行きます。一通り川を下った後は、エンジンを回してまた元の所に戻って来ます。ここで、船はおしまい。その後は隣接のドライブインで昼食です。メニューは祖谷そばと鮎がメインのもので、素朴だけど非常に美味しく大満足でした。

 


▲船の上からとらえた大歩危のV字谷。本当にV字になっているのがよく分かります。

 

第7章 石の博物館

大歩危の後は、「ラピス大歩危」という石の博物館に向かいます。とは言うものの、バスで1分も掛からない場所にあります。名前のとおり色々な石が展示されており、中には人間の胆石や膀胱結石、腎臓結石などもありましたが、予想外に綺麗でした。

 

▲石の博物館脇には、このような停留場(?)ポールが鎮座しておりました(^^

 

第8章 唸るエンジン叫ぶミッションギヤ

石の博物館を後にして、いよいよ祖谷方面へ。JRの大歩危駅を過ぎたところで登坂路になります。満席のBXD30はさすがに苦しいらしく、トップギヤから1つ落とした3速登坂。いすゞ独特のギヤ音が美しく響き渡ります。かつて地元の関東自動車で活躍していたいすゞBUの3速にも似た音に、妙な親近感を持ってしまいます。延々と3速で登坂して行きますが、途中からは勾配がきつくなり、ジリジリとスピードが落ち始めます。いよいよ3速で厳しくなった所で、「ガツン! ファファファファ~ンア~ングァ~~~…」(^^;;; 2速にシフトダウンです。BXDの2速はノンシンクロなので、ダブルクラッチで叩き込むような感じでした。そして、登り坂の途中で、次の目的地である平家屋敷に到着です。ちなみに、道幅自体は「まだ」広いままです(^^

 

第9章 まだまだ登坂、かずら橋へ

平家屋敷を一通り見学している間、ボンネットバスも休憩(?)できたので、次の目的地へ出発です(注:当方の歴史や建築に関する見識が浅いため、これ以上のコメントが出来ておりません・・・詳細については外部サイト様をご参照くださいませ)。

 

ここでは坂道発進になるのですが、それなりにきつい勾配ですので、1速からのスタートです。とりあえず動き出したらダブルクラッチですかさず2速へ、そこからフルスロットルです。そして、勾配に応じて2速~3速をいったりきたりで延々と登坂。まさに録音モノの走行音でした。途中でトンネルに入ったあたりから今度は下り坂。軽い峠越えだったのでしょうか。今のバスとは違い排気ブレーキがないので、高回転でのエンジンブレーキをフル活用します。「キャ~~~ン」という悲鳴のようなギヤ音を轟かせて下っていくのは、登りとはまた違った音の良さがあります。

目的地のかずら橋が近くなったところで、バスは旧道(?)のような道路へ。途端に道幅が狭くなります。その後は狭くなったり広くなったりの繰り返し(最終的には狭くなります)で、かずら橋に到着です。

 

▲ここまで頑張ってきたボンネットバスの運転席。ノンパワステの大きなステアリングが目立ちます。本来シンプルなコックピットには、後年に増設された機器類もあり、長期に渡り使用されていることが伺い知れました。

 

▲かずら橋付近で休憩中。とりあえず目立ちますので、ツアー参加者以外の観光客にも注目されていました。

 

第10章 かずら橋にて

ここは平家落人集落の観光名所にもなっており、雰囲気も観光地のそれです。ボンネットバスのツアー客は、その参加料金の中にかずら橋の渡橋代も含まれているため、せっかくなので渡ります。写真があればよかったのですが、当時の貴重なフイルムの使用優先順位からすると、このような一般的な観光地の記録を殆どしておらず・・・

 

▲かずら橋の写真は撮らずとも、地元企業所有のボンネットバスはしっかりと記録していました(^^ 四国交通保有者と同様のいすゞBXD30だと思いますが、詳細は不明です。。

 

ちなみに、かずら橋を渡った対岸からは西祖谷山村営の大歩危行きのバスが出ています。山間の小集落を縫うように走るので、バス路線というよりか、普通の生活道路でトンデモナク狭い。車両も、バスとは言うもののトヨタのハイエース、そのハイエースでも狭い路線です(注:ちなみに記述が妙に具体的なのは、別日に乗車していたからです)

 

▲西祖谷山村営バスです。ハイエースですね(^^

 

※ここまでが当時の記事です(一部再構成しています)※

 

この定期観光のツアー、ここまでは車両が多少特徴的な一般的な観光ツアーなのですが、ここからが四国交通の真骨頂になります。詳細は後編へどうぞ!