しもつけ自動車館

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昔はバス記事、最近は鉄道模型記事の二本立てです。

最近、クラウドファンディングで見事に復活した四国交通のボンネットバス、24年前の乗車記録です。大昔に個人サイトに掲載していたものを基に、あらためて再構成したものを当ブログに掲載したいと思います。

 

情報や画像等は24年前の当時のままですので、現在とはだいぶ状況が違いますし画質もかなり悪いのですが、当時の様子が少しでも伝われば幸いです。

 

記事が長いので3分割しており、当記事は後編になります。前回記事(中編)はこちらからどうぞ。

 

※ここから当時の記事です(一部再構成しています)※

 

第11章 激狭の祖谷街道へ突入!

ここからがこの定期観光のクライマックスです(^^ 

かずら橋を後にしたバスは、一旦先ほど通ってきた国道に出るも、すぐに旧祖谷街道へと突入。これがまた狭い…。旧街道に入った途端、駐車車両により行く手をさえぎられます。ドライバー氏が「パッパ~」という独特のホーンを鳴らしましたが、駐車車両の持ち主がいないらしく、どうにもならない。そこですかさずガイド氏がドアを開け(手動ドアなのでこういうことができる)、前方の隙間を確認。ドライバー氏の「あとどれくらい行ける?」との問いに、「あと**cmくらい」との返答。それを聞いたドライバー氏はおもむろにバスを前進させて、殆ど隙間の無いにも関わらず、的確にバスを誘導してこの難関を突破します。いきなり神業的な連携プレーを体験することがでいました。もっとも、四国交通では日常茶飯事なのかもしれません(^^;;

その後も、部分的に拡幅が進んでいるものの、やはり狭い旧祖谷街道を進んで行きます。いや、本当に狭い…。渓谷添いなので、実は道路脇もすぐ谷底なのですが、それ以上に道幅に目を奪われてしまいました。

 

▲リヤウインドから撮影。これは狭いと思いました。向かって右下(進行左側)は谷底です。

 

▲こんな感じの所を延々と進んで行きます。これでも広くなったとのこと…(現注:2024年現在はどうなのでしょうかね?)

 

第12章 本ツアー真骨頂!神業的ハンドル裁き!

壮絶な祖谷街道の途中にある「小便小僧」像前で一旦休息します。ものすごいV字谷にただ驚くばかり。その間に、対向からダンプトラックが通っていきました。偶然なのか、計算済なのか…。仮に狭隘区間で鉢合わせになった時は、どちらかが待機場所までバックしていくことになります(現注:後年同一ツアーに参加した時に、その状況に遭遇しました…)。

さて、いよいよバスも出発です。再び狭道をひたすら攻めます。ガイド氏が言うには、昔はもっと狭かったとのこと。後ろのタイヤ一本はずさなくちゃ通れないとかいう、冗談とも本気とも取れるような怖い(?)話も…。脱輪したら即谷底転落へ直結なので、昔は本当に命がけだったのでしょうね。。そのような狭い道幅ですが、対面通行であるので、何度か対向車とも遭遇。双方、適切な誘導で進路を譲り合います(バスがすべき状況の時は、躊躇なくバックギヤにいれ、ガイド氏の誘導で後退していました)。そのような過酷な道路状況の下でも、順調にバスは進み祖谷渓谷から高度を下げて行きます。そして終盤、いよいよ、旧祖谷街道最大の難所、通称「七曲(ななまがり)」に突入。

ここで、ドライバー氏が神業的ハンドル裁きを披露。パワステがついていないので回すのも結構大変そうですし、操舵量も非常に多いです。バスの速度を落とすのではなく、ハンドルを激しく高速回転させて、左右に的確に首を振ってこの激狭S字クランクを曲がって行きます。あらかじめガイド氏が難所である旨とドライバー氏のハンドル裁きに注目という煽り(?)コメントを入れていたので、車内でも大盛り上がり。一種のアトラクションのようでした。

そして、七曲を過ぎた後は、徐々に道路条件も良くなりますが、もう、ここまでくると狭さに対する感覚が完全に麻痺しているだけかもしれません。。誘導の必要性がない程度の道幅になった後、ガイドさんの太田さん(現注:ここで初めてお名前出しますが、有名な方ですね、偶然、ご担当の便でした)が、地元の民謡を謡ってくださいました。

 

▲対面通行ですが、大型車の車幅一杯です…。

 

▲途中で道を譲った定期バス。中型車でも十分に狭い道幅です。対向車と遭遇した時は、どちらかがこの道幅を延々とバックしていくことになります…。

 

第13章 無事帰還

祖谷街道のクライマックスを抜けた後は、順調に池田町内へと進みます。道路条件も良くなり、ツアー冒頭と同様の快調なクルージングが続きます。最後の狭道のインパクトが強すぎ、

終点の阿波池田駅前に到着する頃には前半のお行儀の良い(?)観光スポットの記憶が消えつつありました(^^;; いや、その位、後半が攻めたツアー内容でした。突然思いつきで参加したツアーでしたが、すっかりハマってしまい、また乗ってみたいと強く思いました(現注:事実、この後何度も参加しています…)。

 

▲車内はこんな感じでした。ロマンスシートが並びますが、おそらく定期観光用に、後天的に改造されたものと思われます。

 

※ここまで当時の記事です(一部再構成しています)※

 

結局3本に分けてしまいましたが、以上で24年前の四国交通定期観光バスの乗車記録は完結となります。同地には20年近く訪問しておらず、現在の道路状況とは異なる部分も多いとは思いますが、当時は酷道を攻める部分も大きなセールスポイント(?)になっていたと思います。

 

何はともあれ、当時でもレトロだったボンネットバスが、令和の時代にレストアで蘇ったことは、率直に嬉しく思います。微力ながら、クラウドファンディングにも賛同させていただいたので、また機会があれば是非とも再訪・再会したいと思います。

 

長文にお付き合いいただき、ありがとうございました(完)。