令和7年の通常国会では、企業の労務や業務に大きな影響を与える可能性のある重要な法改正が多数予定されています。本稿では、社会保険、ハラスメント対策、公益通報者保護制度、下請法、iDeCoといった、特に企業として関心の高い分野における改正のポイントを、現時点(令和7年2月20日)で公表されている情報をもとに網羅的に解説します。
1.社会保険の適用拡大と「年収の壁」
① 社会保険の適用拡大
社会保険の加入条件は、事業所の被保険者数によって異なり、一定数以上の事業所は強制的に特定適用事業所となります。この特定適用事業所となる企業規模要件が撤廃される予定です。
- 企業規模要件の撤廃:
- 厚生労働省の案では、令和9年10月から従業員36人以上、令和11年10月に21人以上、令和14年10月に11人以上へと段階的に緩和され、令和17年10月に完全に撤廃される見直し案が示されています。ただし、国会情勢により実際の撤廃時期は不透明です。
- 賃金要件の撤廃:「月額賃金8.8万円以上」という要件が撤廃される予定です。施行日から概ね3年以内とされています。最低賃金の上昇などを背景とした措置です。
- 被扶養者の収入要件:「年収130万円以上が2年連続しても、一時的な増収と認められれば扶養のままでいられる」という暫定措置の恒久化が検討されています。また、19~22歳の学生などの扶養基準が「年収130万円未満」から「150万円未満」に引き上げられる方針も示されています。ただし、被扶養者の収入要件自体がなくなることはないとみられます。
- 非適用業種の解消:個人事業所における社会保険の非適用業種制度が解消される予定です。令和11年10月に新規の個人事業主から適用され、既存の事業所については当面の間、任意適用となります。常時5人未満の従業員を使用する個人事業所に関する要件は、今回は見直されません。
② 「年収の壁」対策
社会保険料の労使折半の原則について、労使の合意に基づき、事業主側の負担を増やし、労働者側の負担を減らす特例が導入される予定です。これにより、年収の壁を超えることによる手取り収入の減少を回避することが期待されます. 施行時期は現時点では不明です。
2.ハラスメント対策の強化等
① カスハラ対策の義務化
顧客等からの迷惑行為、いわゆる**カスタマーハラスメント(カスハラ)**に対し、事業主に雇用管理上の措置義務が課される予定です。
- カスハラの定義:①顧客、取引先、施設利用者その他の利害関係者が行うこと、②社会通念上相当な範囲を超えた言動であること、③労働者の就業環境が害されることの3つの要素全てを満たすものとされています。具体的な内容や判断基準は今後の指針で明確化されます。
- 事業主が講ずべき措置:セクハラやパワハラ対策に準じた措置(事業主の方針等の明確化・周知啓発、相談体制の整備、事後の迅速かつ適切な対応等)が義務付けられます。
- 他の事業主からの協力要請に対し、協力するよう努める義務が課される予定です。協力要請を理由とした不利益取扱いは望ましくありません。
- 施行時期は公布日から起算して1年6カ月を超えない範囲内において政令で定める日です。
② 就活等セクシュアルハラスメント対策の強化
就職活動中の学生等の求職者に対するセクシュアルハラスメント(就活セクハラ)について、事業主に雇用管理上の措置を行うことが義務付けられます。
- 雇用管理上の措置義務:OB・OG訪問等を含むあらゆる機会において、面談等のルールを定めることや、求職者への相談窓口を周知することなどが指針で定められる予定です。セクハラが発生した場合の被害者への配慮(謝罪、相談対応等)も考えられます。
- 男女雇用機会均等推進者の業務に、就活等セクハラに関する事項が追加されます。
- 施行時期は公布日から起算して1年6カ月を超えない範囲内において政令で定める日です。
③ パワーハラスメント防止指針への「自爆営業」の明記
従業員にノルマ達成のため不要な商品の購入や自腹での契約を強要する、いわゆる**「自爆営業」**について、パワーハラスメント防止指針に明記される予定です。ただし、パワハラの定義(優越的な関係を背景とした言動、業務上必要かつ相当な範囲を超える、労働者の就業環境が害される)の3要素全てを満たす場合に限られます。施行時期は不明です。
3.女性活躍推進法の改正
- 女性活躍推進法は10年間延長される予定です。施行日は公布日です。
① 女性の職業生活における活躍に関する情報公表の適用拡大等
- 男女間賃金差異の情報公表義務が、常時使用する労働者の数が101人以上300人以下の企業にも拡大されます。
- 女性管理職比率の情報公表が、常時使用する労働者の数が101人以上の企業で必須となります。
- これらの改正は令和8年4月1日に施行予定です。
② 職場における女性の健康支援の推進
女性特有の健康課題を踏まえた支援を促すため、事業主行動計画策定指針に取組例が示されるなど、行政による支援が行われます。法律上も女性の健康支援が位置づけられます。会社側に義務が課されるわけではありません。施行日は公布日です。
③ えるぼし認定制度の見直し
- プラチナえるぼし認定の条件に、就活等セクハラ対策に関する情報公表が追加されます。
- えるぼし認定1段階目の基準(2年以上連続して実績が改善していること)が見直される予定です。
- 女性の健康支援に積極的に取り組む企業を対象とした**えるぼしプラス(仮称)**が創設される予定です。
プラチナえるぼし認定の条件追加の施行時期は、公布日から起算して1年6カ月を超えない範囲内において政令で定める日です。えるぼし認定(1段階目)の基準の見直しとえるぼしプラス(仮称)の創設の施行時期は未定です。
4.労働者の安全衛生に関する改正
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50人未満の事業場におけるストレスチェックが、努力義務から義務となります。ただし、労働基準監督署への報告義務は課されません。施行時期は公布日から起算して3年を超えない範囲内において政令の定める日です。
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個人事業者等に対する安全衛生対策が推進されます。
- 個人事業者等の定義が明確化され、労働者と同様の保護対象・義務の主体となります。混在作業における「作業従事者」の定義も定められます。
- 個人事業者等自身にも、労働災害防止に必要な責務が規定されます(協力義務、必要な事項の遵守、機械等の安全確保、安全衛生教育等)。一部は令和9年4月1日施行予定です。
- 仕事を他人に請け負わせる者の安全配慮義務が明確化され、建設工事以外の注文者にも広く適用されることが明記されます。施行日は公布日です。元方事業者等の義務範囲が、労働者だけでなく個人事業者を含む作業従事者へ拡充されます。令和9年4月1日施行予定です。
- 作業従事者が労働安全衛生関係法令違反の事実を労働基準監督署等へ申告できる仕組みが整備され、不利益取扱いの禁止が規定されます。令和8年4月1日施行予定です。
- 作業従事者の業務上の災害に関する報告制度が創設され、一定の要件を満たす場合、注文者等が労働基準監督署へ報告する義務が課されます。令和9年1月1日施行予定です。
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高年齢労働者の労働災害防止対策が、事業者の努力義務となります。指針の公表や指導・援助も行われる予定です。令和8年4月1日施行予定です。
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治療と仕事の両立支援対策が、事業者の努力義務となります。労働施策総合推進法の改正によるもので、指針も公表される予定です。令和8年4月1日施行予定です。
5.iDeCo等の私的年金の見直し
- iDeCoの加入可能年齢の上限が、70歳未満に引き上げられます。老齢基礎年金やiDeCoの老齢給付金を受給していないことが条件となります。70歳まで加入する場合、実質的には年金の繰下げ受給が必須と考えられます。
- DC(企業型確定拠出年金)のマッチング拠出において、労働者側の掛金額が事業主掛金額を超えることが可能になります。
- DCの拠出限度額が、月額5.5万円から6.2万円に引き上げられる予定です。
- iDeCoの拠出限度額が、国民年金の加入状況等に応じて見直されます。60歳から70歳までの加入者の拠出限度額は月額6.2万円となります。
- 国民年金基金の掛金額の上限が、月額6.8万円から7.5万円に引き上げられる予定です。
6.公益通報者保護制度の見直し
- 公益通報者保護制度の体制整備の実効性を高めるため、以下の見直しが行われます。
- 従事者指定義務違反が刑事罰の対象となります。
- 事業者が整備した公益通報への対応体制について、周知義務が法律で明示化されます。
- 労働者等による公益通報を阻害する要因に対処するため、以下の措置が講じられます。
- 公益通報者の探索行為が法律で禁止されます。
- 公益通報をしないことを約束させるなどの妨害行為が禁止され、これに反する契約等は無効となります。
- 公益通報を理由とする不利益な取扱いの抑止と救済措置を強化するため、以下の措置が講じられます。
- 公益通報を理由とする解雇(普通解雇)と懲戒処分が刑事罰の対象となります。
- 不利益取扱いについて、公益通報から1年以内の解雇・懲戒処分に限り、立証責任が事業者側に転換されます。
- 公益通報者保護制度相談ダイヤルが設置される予定です。
7.下請法の改正
- 適切な価格転嫁の環境整備として、コスト上昇局面での価格協議に応じない等の買いたたき行為が規制対象に追加されます。
- 下請代金の支払いとして手形を使用することが原則禁止されます(令和8年度末までに廃止予定)。金銭以外の支払手段も制限されます。
- 発荷主と運送事業主の関係が下請法の対象取引に追加されます。
- 下請法違反行為に対し、事業所管省庁に指導権限が付与され、報復措置の禁止の申告先に主務大臣が追加されます。
- 下請法逃れを防ぐため、現行の資本金基準に加え、従業員基準を導入する方向で検討されています。
- 「下請」という用語が「中小受託事業者」、親事業者が「委託事業者」に改められる予定です。
まとめ
今回の法改正は、社会保険の適用拡大による労働者の加入機会の増加、ハラスメント対策の強化によるより安全な職場環境の整備、公益通報者保護制度の見直しによる不正の早期発見と是正の促進、下請法の改正による公正な取引環境の実現、そしてiDeCo等の制度拡充による個人の資産形成の支援など、多岐にわたる分野で企業と労働者に大きな影響を与える可能性があります。
各企業においては、これらの改正内容を正確に理解し、今後の法案成立の動向を注視しながら、適切な対応を検討していくことが重要となるでしょう。