前回のブログで記した関心のもと、"死ぬ権利"を考えるという企画を実施しました。
参加者は、HCAP Tokyoメンバーとジュネーブ大学、ライデン大学の大学生と院生合わせて約20名です。
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当日のスケジュール
第1部 「24 & ready to die」を視聴し、ワールドカフェ方式で意見交換
第2部 参加者の交流会
第3部 スイスの自殺幇助団体・DIGNITASによる講演とQ&A
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①第1部
第1部で視聴したのは、精神的な苦痛を持つ20代のEmilyが、安楽死を選ぶまでのドキュメンタリーです。
彼女の生への苦痛と、友人との別れを惜しむ葛藤が描かれていました。
視聴後、精神の苦痛を理由にした安楽死の是非や、命の所有者は誰か、といったテーマで意見を交換しました。
私は、精神科医のお姉さんと政治理論の学士を持つお兄さんとお話ししました。
どちらもジュネーブ大学院で生命倫理を研究しているそうです🧪
興味深かったのは、お姉さんにとっては、「安楽死」という選択肢を提供すること自体が、彼女たち精神科医の使命である「精神の回復」に逆行するということです。
心に傷を負った患者は、誰かが寄り添うことで、回復に向かうかもしれません。
ところが、安楽死という選択肢があると【死】を選ぶのではないかと彼女は話していました。
患者さんの気持ちは想像しかできず、難しいねと話しました。
大学時代に政治学を専攻していたお兄さんは、"死ぬ権利(Right to Die)"について法的な権利の観点を共有してくれました。
権利には、他の人の責任や義務を伴う請求権(Claim rights)と、伴わない自由権(Liberty rights)の二種類があります。
死ぬ権利はどちらとも言い切れないというのが彼の意見でした。
自殺幇助という手段を考えると請求権とも捉えられるが、死ぬという行為は自然の行為でもあり、自由権に属するようにも思える、というのです。
日本では、命が社会に属するものや、両親やその祖先から受けついだものとしても捉えられるという話をすると、驚かれました。
スイスとオランダでは、命は個人の所有物としてのみ考えられるそうです。
このように、命に対する考え方や死生観は、思っている以上に文化的背景に根付いているのかもしれません。
①第2部
第2部では、参加者の間でフリートークをしながら交流しました。
ライデン大学からの参加者の多くは、日本語学科で日本語を学んでいる学生だったのですが、発音がとても綺麗で、日本人の友人と話しているのかと錯覚しました
日本で医師として勤務する間に安楽死や尊厳死に関心をもち、現在ライデン大学院で学んでいる学生さんもいらっしゃいました。
どんな話題も真剣に受け止めてレスポンスしてくれるので、短い時間ながらお互いの背景や考え方をのぞくことができました。素敵な出会いに恵まれた、楽しいひとときでした
さて、想像した以上に書き連ねたいことが多く、長くなってしまったので、第3部については次回にしたいと思います。
お楽しみに!