突然ですが・・・
謙遜して人生がうまく行ったのは、戦国時代の有力大名のような“権力者”だと思います。
そして“権力(実力)”がある人が、エラそぶることなく“謙遜”し、誰に対しても親身に接してくれると人は“ギャップ”を感じて、魅力的に映るのだと思います。
こんにちは教室集客の専門家、増地 崇志です。
いばることも、卑屈になることもありません
不思議なんですが、
「自分はまだまだです」
的な思いを持っていると、本当に「自分はまだまだ」と思ってしまうことが起きます。
逆に
「自分はすごいんだ」
と思っていると、本当に「自分ってすごいな」と思えることが起きます。
それなのにどうして「自分はまだまだ」と思ってしまうのかな~?と考えていたら、そこには「謙遜」という文化が根深くあるのだと思うようになりました。
しかし僕もちょっと前まで「謙遜」を勘違いしていました。
そしてきっと、多くの方も「謙遜」を勘違いされているように思うんですね。
正しい謙遜とは?
ちなみに、あまり堅苦しく考えないでくださいね。
「謙遜」というのは、
実力がある人が控えめにすることを言います。
ですので、何でもかんでも控えめにすることが「謙遜」ではありません。
例えば、
実力のない人が控えめにしていたって、それはただの「卑屈」です。
(推測)「謙遜」は命を守る術だった!?
戦国時代の有力大名などは、いつも命を狙われる危険がありました。
そのため、自分の権力をひけらかしたり威張ったりしていると、いつ足元をすくわれて命を落とすかわかりませんでした。
そういう人は、実力をひけらかさずに「能ある鷹は爪を隠す」ように控えめに振る舞うことで命を守っていたのかもしれません。
つまり謙遜は、生きる術のひとつだったのではないか?というのが僕の推測です。
けれど、それがどこかで間違って解釈されて、何でもかんでも控えめに振る舞うことが「謙遜」だと伝わって来ているように思います。
「卑屈」はつらいよ
「●●さんってすごいですね」
「●●さんってステキですね」
「私も●●さんみたいになりたいです」
こういった賛辞を「卑屈」な人は
「いえいえ、そんな・・・」
「いえいえ、ただの器用貧乏で・・・」
「いえいえ、家ではスッピン・ずぼらですから」
と否定してしまう傾向にあります。
もちろん、本人は悪気があって言ってるわけではないと思うんです。
けれど、相手にしてみたら自分の言葉をいちいちネガティブに否定されたら
疲れます
一緒にいて疲れる人とは、だんだんと居たくなくなりますよね。
自分の子どもが否定されたら?
もし他人から、自分の子どもを
「●●ちゃんってバカですよね~」とか
「●●ちゃんは、器用貧乏ですね~」って言われたら
怒りますよね。
でも卑屈になると、そんな言葉を自分自身にかけていることがあります。
それを言われている自分って、どんな気持ちなんでしょう?
そんなことを言う人に、協力したいって思うでしょうか?
「自分はすごい」って思いませんか?
自分のことをほめてくれる人や、信じてくれる人には協力したいって思いませんか?
その人のためにがんばりたいって思いませんか?
「自分はすごい」って思っていると、いつでも自分は自分の味方をしてくれます。
そして本当に「自分はすごい」って思えることが起きるようになります。