私たちは見たいものだけを見ている
先日 とあるお店で
このアロカラーの🩵🩷ピンク🩷とブルーの陶器のオウムに出会いました。
素敵とは思ったけど、、色々考えて
その時は買うまでには至らず、通り過ぎて
惹かれてるんですが 買わなかった
昨日
なんとなくそのお店に立ち寄り
やっぱり直感に従おうと、、
レジに持って行ったら ひとつ3300円。
レジの人が ニコッと笑って話しかけてきました。
『御自宅に飾るんですか?』と聞いてきました。
『このオウム、とても素敵で可愛いのに、なぜか売れないんですよ、、』と言われました。
『だからどんな人が買うのかな?と思ってたんですよ。』
私も買うの躊躇ったのは 部屋に合うかな?と頭で思考してしまって、、あの日は買わなかった。
『自分の直感 自分の好きに正直に生きる』
のがモットーだったね、、と思い出した。
サロンに飾ったら
そのあたりの空気が変わるほど 素敵でした。
やっぱり直感はすごい👍
人が買わないものを買った私。でも良かったw
常に批判的な目で世の中を見るのか
常に肯定的な目で世の中を見るのか
それによって
見えてくる世界も全然違ってくる
批判的な目で見るときって
「だまされないぞ」
「そんなにうまくいくはずない」
「きっと間違っている」
「そんなのおかしい」
って、見てるわけで。。。。。
要は
すねて、みてるわけで
拗ねると(すねる)と、拗れる(こじれる)は
同じ字なわけで。
そういう批判的な目の方が
ちょっと賢そうに見える気もするわけで(笑)
私が思うに
バカっぽくても
おひとよしでも
バカにされても
世の中は、
他人は
素晴らしくて素敵だ
という前提で見たいもの
私達はそれぞれ、
多かれ少なかれ”
被害者意識”を持っているかもしれません。
ある人は自分の生まれた環境や状況に関して
”被害者意識”を持っていたり、
ある人は自分の生まれつきの体質や性格に
”被害者意識”を持っている場合もあります。
またある人は直接関係ない歴史的事実に
ずっと”被害者意識”を持っている事もあります。
でもいずれにせよ、
私達は何らかの理由を”外”に重ねて
自分の正当性を訴えている事にあるのです。
”被害者意識”を持っていると、
周囲の人すべてが加害者に思えてくる事があります。
たとえ自分が被害を受けるシチュエーションにいなかったとしても、
自分が被害を受けていると思い込んでしまいます。
つまり、
自分に対する”無価値観”の想いが
”被害者意識”を呼び起こさせている事にあるのです
本来の貴方にはパワーがあって、
宇宙と共にシフトする力があります。
その力を全面放棄してし自分で自分を分離させてしまっている状態が”被害者意識”というわけなのです。
貴方が”被害者意識”を持っているかどうかを知るよりも、貴方が果たして”今ここ”に生きているかどうかをまず認識する事が先決かも知れません。
”被害者意識”や自己否定は”今ここに生きる意識”ではありません。
つまり、既に終わった過去を責めたり後悔したりするのは、まさに分離する自分がしているからです。
統合していく
今ここを見て歩んでいく
そこにしか
幸せはないのだとわかりました
未来も心配しなくて大丈夫
今ここの
私たちの集合意識が
幸福な
見たい世界を想像していれば
内側を整えると見たい世界が
現れます









