アメリカではスマホの普及が社会問題化されています。特に最近ではティーンエイジャーのポルノや、ネットでの性的或いはバイオレンスなどへの誘惑などが増していることに警告が出されています。スマホを使うとプライベートな写真や映像なども簡単に送れるので、ティーンエイジャーのようなリスクを十分考えることのできない未熟な人がそれらに関わり大きな問題になってしまうということも少なくありません。アメリカでは実にティーンの78%がスマホをもっており、そのほとんどがMOBILEのネットユーザーであると言われます。つまり、家など親の監視ができる場所を越えてネットにアクセスをしているのです。過去家庭で設定していたアクセスコントロールや、親の子供のネット活動のモニタリングなどができなくなるのです。親の子供の監督は規制ではコントロールできない次元に来ています。親がスマホを与えるので、親はそのリスクも承知の上で子供に現代社会の武器スマホを渡さなければなりません。中にはリスクを感じて、完全にスマホなどを取り上げてしまう親もいるようです。でも例えスマホがなくなってもCONNECTIVITYは残っています。パソコンでもゲームでも今の時代はCONNECTしていることが普通なのです。自由と便利さが与えた誘惑だらけの世の中をどうマネージするのかという教育が、今後ますます重要になっていくでしょう。

CONNECTIVTY とPRODUCTIVITY
スマホの普及で人々は常にネットを媒介にほとんどの場所でCONNECTすることができます。常に複数の人とFaceBookやTWITTERなどで「ネット上の会話」をすることもできます。私はスマホの初期のバージョンのもの(PALM)を会社から支給されました。メールや書類などが移動中や家でも見れ、仕事効率が上がり、かなり効果的なツールだと思っていました。スマホの普及により人々の仕事にかける平均的な時間は1日平均13.5~18.5時間にもなったそうです。但し、生産性に関しては、過去とそれほどの変化はなく、実際には余りスマホの効果がないといわれます。その理由として仕事時間内にもスマホを通してプライベートなことをする時間がはいってきたからではないかと言われています。先ほど問題にしたティーンエイジャーに関すると、1日平均7.5~8時間もの時間スマホを使っているとのことです。TwitterやFACEBOOKなどの発達でこれらの時間は更に延びており、同時にスマホはポータブルでどこでも運べる分、ネットでも出会い系、ポルノなど悪質なサイトにアクセスする率が増えているとのことです。これは日本でも同様だと思いますがどうでしょうか?もし自分のお子さんが大学や高校の授業を聞かずにネットでチャットやFACEBOOKばかりやっていたらどうしますか?更に親の知らない状態で、プレゼントしてあげたスマホが、子供をポルノなどの世界に引き込む恐ろしいツールに変わっていたらどうでしょうか?

不必要なコミュニケーション=バカホ
CVSでは学生にUCLAなどで映画を学ぶ奨学金を出しています。こちらにその留学制度で来ている学生が、映画を学んでいるのに「まともに映画を見たためしがない」と言っていました。「やることが多すぎて1~2時間というまとまった時間を映画にかけることができないから」がその理由だそうです。彼は常にラインやSKYPE,Twitterなどで誰かとコミュニケートしています。つまり、好きな映画を見るより、そっちのほうが優先順位が高いのです。極度なConnectivityは自分を見失うリスクがあります。リーダーシップの世界でも、「普通の人は目の前に振ってくる仕事などに自分の夢や大きなことを実現できないが、リーダーは常に優先順位が頭にあるので、目の前に振ってくることには惑わされない」ということが言われます。まとまった時間を投資できないと、生きていくのに必要なスキルや人格育成などがしっかりできず、ただ単に過度なまわりの情報に惑わされ、どんどんバカになっていくということもあります。まさにスマホがバカホになるのです。

Connectivityは、モバイルのゲームや、ポルノなど明らかに自分に良くないことは「悪い」→「優先順位低いので無視」という流れになります。但し、メールやチャットなどは重要なこともあるので、ついつい反射的に優先順位をあげてしまうということもあります。そしてネットは複数の人と常にチャットなどをするという便利性もあるので友達などとのコミュニケーションについつい活用してしまいます。但し、そこまで人と話をする必要性はあるでしょうか?FACEBOOKなどでは一見友人関係を広げることができます。でもFACEBOOKフレンドは一体「どの程度の友達」なのでしょうか?更にそのような人に自分の恋人や、日々の生活などプライベートなことを共有する必要はあるのでしょうか?特に恋人などを公開することに何の意味があるのでしょうか?皆さん、別れたらどうするのでしょうか?どこまで公開してどこでリミットをかけるのか、皆さんそのコントロールはできているでしょうか?それと自分がネットに使う時間、そしてどのサイトでどのぐらい時間を使っているのか意識をしていますか?

良い人や良いものを常にコネクトしていれば良い刺激と成長があります。但し、悪いもの、どうでも良いものとのつながりを持ってしまうと、堕落と悲劇が待っています。CONNECTIVITYのポイントはどれだけ多く繋がっているかではなく、何に繋がっているかです。

スマホによるバウンダリーの崩壊
テクノロジーの進化のお陰で常に「繋がっている」という状態は、バウンダリー(領域)の崩壊を意味します。つまり、仕事と家庭を切り替えていた時間と場所という壁が取り払われていくのです。家庭でも仕事のことが気になるという「仕事の家庭への侵入」、あるいは職場や学校でもプライベートな家庭の問題や趣味などが入り込んでくるという「プライベートの職場への侵入」ということがあげられます。つまり、ネットの普及は環境的な変化による人々の活動のコントロールがしにくくなったということです。つまり完全に自由な世界なので、モラルや倫理をベースにしたコントロールができないと生産性の低下や家庭生活の崩壊などに繋がるのです。スマホは地図や乗換え、メール、情報収集など非常に便利なものです。但し、ゲームやポルノ、そして無駄なネットでの会話など不要かつ悪い影響のある部分もあります。特に以前から言われているのがネットでの会話や書き込みのモラル低下です。これらは通常のコミュニケーションとは別な世界にあり、自分が見えないと思う分、よりアグレッシブな書き込みなどをする傾向になるのです。車の運転をさせると性格が変わる人がいますが、同様のことがネットでも起きるのです。今年アメリカで、ネットでの虐めで自殺した女子高校生がいましたが、虐めをした別の女子高校生は普段はまともな子であり、親もいまだにネットでの虐めを信じていないという状況でした。CVSでも過去参加した女の子に通常の会話ではおとなしいのですが、ネットになると異常なほどアグレッシブである種の二重人格性を感じたことがあります。それはネットという世界における独特の環境が生んでくる悪影響であり、一つ間違えればどんどんダークサイドに陥っていきます。

自分をコントロールする能力の重要性
創世記には神が人を創造し、そこですばらしい環境(エデンの園)と自由を与えます。但し、その自由の中で、人々は罪を犯してエデンから追いやられるという話があります。自由の中でついつい誘惑に負け、罪に走ってしまう弱い人間の本質が伺えます。アダムとイブは罪を犯したあとで「恥ずかしさ」を体験します。つまり、社会の中では「恥ずかしい」という観念があるので、倫理的に問題のある行動に陥らないという歯止めがかかっています。但し、ネットの場合はモバイルの機械と自分という一見プライベートな世界があります。人が目の前に居るわけではないので、「恥ずかしさ」の感覚が失せてきます。さらに、コントロールができないと、ネットの中にあるエンドレスの誘惑と人間性を変えてしまうような恐ろしい世界に足を入れてしまうこともあります。一見「恥ずかしさ」を感じないのがその落とし穴です。

アメリカで銃規制の反対意見として、「人を殺すのは銃ではなく人だから、銃を着規制する必要はない」というものがあります。確かに人が悪の元凶ですが、もしそうなら、危ない人の世の中に銃という危険なものを流通させないほうが良いと思うのですが…ただし、ネットの場合はそのメリットがコストを上回るので、規制をするのはかなり難しいし、規制をしたからといって人々のポルノなどに対する欲求のコントロールが改善するわけではありません。自由で誘惑が氾濫する世の中でどのような人間として生きていくのかという人格が重要になるわけです。

ネットとある女子高校生の性
「成績が優秀だった女子高校生の娘さんがネットで知り合った恋人と親しくなり、学校も休み成績が落ちてしまった」という相談事を受けるケースを前回やりました。その恋人とセックスを体験してしまい、親しみを感じてしまった娘は、学校を休んだり、無断で恋人のところに外泊するようになったのです。成績は落ち、学校から毎日通知が来るようになります。外出禁止にしたら、恋人の要求でネットでのコミュニケーションを使って淫らな写真を送るように言われ、それをしているのを親が発見してしまったというものです。アメリカではよくそういった家庭内の問題を教会に相談にくることが多いので、牧師はカウンセリングの力が必要になります。なので、そのトレーニングでやった実際のケースなのですが、このケースにはネットの時代における健全な成長に重要なことが見て取れます。最初はその問題に対して親はスマホやパソコンを取り上げたり、相手の男性に会わないようにしたり、娘をしかったりしています。但し、娘はその彼と隠れて会い続けているという状況でした。ファミリーセラピーの分析方法を使ってわかったのが、実は母親と娘の関係が親密でなく、まだ未熟な娘に性教育を含め十分な指導と影響力の行使ができていなかったということです。その母親は実は実の母親と、そしてその母親はその母親と…という悪いスパイラルにあることがわかったのです。つまり問題ある行動の背後に、薄くなっていく家庭内の人間関係と親に相談できない娘のフラストレーションがあったのです。通常だったら彼氏ができても、母親や家族の引き戻したあるのでエスカレートしないのですが、引き戻しが弱いのでどんどんのめりこんでしまうというものです。この繋がりはネットではなく、人間同士の精神的なつながりになります。

CONNECTIVITYは何にどれだけ繋がっているかです。悪い誘惑に繋がろうとしているときにはそれを引き止める繋がりが必要なのです。その繋がりが歯止めをかけます。ヨハネによる福音書15章の1~8に「私はぶどうの木、あなた方はそこに繋がる枝である」という聖句があります。これはCONNECTIVITYです。良いものに繋がっていれば良い実を結びます。但し、そこからはずれ悪い実を結ぶと切り離され捨てられます。テクノロジーの進化で常に「繋がっている」ことが可能になった今、どこと接点を持つのかが重要になります。良い木につながっているのか、それとも悪い誘惑に繋がってしまうのか…スマホもどこに繋がるかによってバカホになるのです。

自由で誘惑の多い世の中であっても、良い人と繋がりを持ち、親や良い大人が継続的に良い影響力を発揮できるといった環境があれば、誘惑に負けず優先順位を理解し、自己成長に励むことができます。そのケースでは母親が娘と過ごす時間が増え、母親が自分の悩みや自分自身の母親との関係などを打ち明け、娘と親しくなり、その中で、セックスに対する自分の考え、神への信仰や恋愛について語れるようになります。状況を理解した娘も、自分の行動の愚かさ、満たされなかった家庭内の人間関係が満たされ、親の期待にこたえるべく、またしっかり学校に行き始めるということになったのです。

CVSハイスクールプロジェクト
CVSは卒業生が1000名になります。そして卒業生の多くは、コンサル、外資金融などトップクラスの会社で活躍しています。もともとはコンサルタント育成のプログラムという位置づけでスタートしましたが、最近は総合商社などが増えてきています。それらの先輩との関係に魅力があるので、多くの大学生がこのプログラムに参加します。CVSでは今度は高校生向けのプログラムを進める予定です。高校生に自分が目標とする大学に入っている優秀な学生と、将来目指す職業についている社会人の卒業生にメンターとしてついてもらいます。英語のウェブ教育とCVSならではのリーダーシップ育成訓練を提供し、優秀な高校生には夏に1週間アメリカに招待します。OCプログラムのホームステイに1週間ほど参加し、アメリカでの大学見学や、CVSの見学などをしてもらいたいと思います。優秀な人には奨学金を出し、アメリカに招待するというプランです。

成長には目標が重要になります。ただ単にキャリアプランのアドバイス、受験のサポートといった表面的なことだけでなく、「人格CHARACTER」「将来が見える能力VISION」そして「「英語」「交渉」「プレゼン」といったSKILLの育成」をCVS方式で身に着けてみませんか?高校生もCVSのメンバーとのConnectivityが持てよい刺激と成長があるでしょう。私もCVSでセミナーをやる際に東京、大阪にいくし、アメリカでのホームステイなどはそのアレンジも担当するので、まだ若い将来のリーダーに会うのを楽しみにしています。興味がある人はStay Tuned!

今日の本
Sleeping with Your Smartphone: How to Break the.../Harvard Business Review Press

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今日の音楽

私のスマホも投げられひびだらけになってしまいました。
さて、この歌にもありますが、若いときはバカもするものです。それが成長へのプロセスであり、若い頃の思い出にはつきものです。ネットばかりでなく、大きな世界をリアルに体験し、情熱をぶつけ、大きく成長し、世界をかえれるような大きなリーダーになってください。

Some Nights/Fueled By Ramen

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