【AYA世代の肺がん】~僕は僕を好きになる~ | NPO法人 肺がん患者の会 ワンステップ

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今日の動画は【AYA世代の肺がん】~僕は僕を好きになる ~前編・後編 です。

  

この動画は、2021年8月21日に開催された「肺がんAYA世代交流会」の講演を公開したものとなります。

ユニークな視点のお話しは、【前編】

 

 

AYA世代の患者の支援制度については、【後編】でご紹介しています。ぜひご視聴ください!

AYA世代の肺がんということで、「僕は僕を好きになる」ということで、これは乃木坂46の26枚目シングルの題名なんですけども、すみません。どうでもいいですね(笑)。早速、始めさせていただきたいと思います。 

ちょっと最初に問題提起なんですけども、AYA世代のがん患者さんが抱えるさまざまな不安や悩みということで、もちろん最初に病気の不安ですね。「治るの?」とか「生きるの?」とか「どんな治療なの?」とか、そういう不安があると思うんですけども、それ以外に恋愛、結婚の不安ですね。「恋愛は自分はできるのだろうか?」とか「結婚できるのだろうか?」とか、あとはパートナーがいた場合のその伝え方ですね。パートナーが、もう結婚しているよという方であれば、妊娠、出産の問題とか、「子どもはできるのか?」とか「治療の影響がないのか?」とかそういうのが問題になってくると思います。

就労世代でもあると思うんで、「今まで自分が積み上げてきたキャリアはどうなるのか?」とかあと「働けるのか?」とか「収入が維持できるのか?」とかの問題もあると思います。僕はこれが一番不安や悩みの中で大きいなと思ったんですけど、友人、知人との比較。「なぜ自分だけ?」、「心配してほしいけど心配されたくないよね」とか、生きる意味の模索だったり、何か本当にややこしいですね。もう僕、本当ややこしい人間なので、今日はそのAYA世代の本音ということで、そのややこしさ全開で行こうかなと思いますんで、お付き合いいただければと思います。 

AYA世代のがんの状況なんですけども、これ大阪国際がんセンター調べなんですけども、AYA世代の方で多いのが女性生殖器、子宮頸がんとか卵巣がんとかそのタイプだと思うんですけども、あと乳がんですね。甲状腺がんと消化器がんとか来て、肺がんというのはここなんですよね。そのAYA世代の中でも2パーセントしかいないということで、かなりお仲間を見つけるのとか難しいのかなというふうに思います。実際ワンステップでもAYA世代ってそんなに多くはないと思うので、割と少ないのかなというふうに思います。 

 

AYA世代の肺がん患者の難しさなんですけども、肺がんっていう病気が高齢で罹患する人が多い。なので、高齢者を対象にした治療や生活アドバイスが標準的なんですよね。その場合って結構人生の価値観や悩みが違ったりすると思うんですよ。あと予後が悪い場合が多い。乳がんとかだと割りかし予後はいいんですけども、肺がんって今は治療進歩してきましたけども、なんだかんだ言って難治がんであり、根治は難しいという現実があると思います。長期生存できるようになってきたというのは、事実があると思うんですよね。ゲノム医療の進歩と新薬の登場により。そのような形から死ぬリスクは高いが長生き、悩みや感情が複雑だったり、孤独、疎外感を感じたりすることが多いと思います。そこで生まれたのが、ダークサイドの清水公一というのが生まれましたので、ちょっと導入部分が長かったんですけども、ちょっとここから始めさせていただきたいと思います。 

すみません。今、オープニングムービー、うまくいったでしょうか? 今日はこれに賭けてたんで、これが成功したらもう八割がた満足なんですけども。すみません。改めまして自己紹介です。清水公一、44歳なんですけども、すみません。僕、おっさんで。申し訳ないです。罹患(りかん)したのは一応35歳。今、9歳と3歳の男の子がいてという形になります。 

これ僕の実際の治療年表なんですけども、あとそれに仕事とライフイベントの表も重ねたみたいなものを作りました。2011年ですね。今から10年前の3月に結婚して、その翌年、2012年8月に子どもが生まれて、その2カ月後に肺がんと診断されて、会社の方はちょうど転職しようとしていた時期でという形でした。手術でこのとき見つかったのがステージIBだったんですけども、その後、結局副腎遠隔転移が見つかって、あと脳転移とかがポコポコポコポコ出ていたりして、もうずっと抗がん剤、シスプラチン、アリムタ、アバスチンなんですけども、その治療を続けててという形です。仕事の方はもう休職しながらという形で。でも、抗がん剤治療したんですけども、2016年12月に癌性髄膜炎とあと脳転移が抑えきれなくなったということで、結構危ない状況だったんですけども、そのとき保険承認されたばかりのホンジョ先生の研究を基礎にした免疫チェックポイント阻害薬をちょうど使ったら本当にたまたま奏功して、今に至るという形です。ここで障害年金を受け取ってた経緯もあり、何かそのときに社労士さんにお世話になったので、がんという病気の患者さんに何か社労士としてできることがあるのかなと思い、勉強をして今に至ります。

私自身、この辺はずっと本当にダークサイドに落ちていたので、なかなか厳しい精神状況だったなというふうに思っております。 

心の動きなんですけども、その当時の心の動き。ここ結婚して、子どもが生まれてということなんですけども、ちょっと結婚して下がっているのは、別々の2人が一緒の生活をするって結構大変だと思いますので、ちょっといろいろ大変だなと思うこともあったんで、これを妻が見てないこ

とを祈るばかりですけども。ここで肺がんに罹患をして、この当時ステージIBだったんですよね。当時のステージIBって、これは当時の生存率なんですけども、割と長生きできるじゃんということで、何をやったかというと、保険が下りたので、診断給付金が下りたので、新車を買うということをやりました。そのあとに結局転移しちゃって、多発脳転移で精子の凍結を、そのときは病棟の担当の先生が、「シミズさん、若いし、精子の凍結保存したらどうですか?」っていうふうに言われたんでしました。治療の方は脳転移に関してはガンマナイフと、副腎に対しては手術、抗がん剤と、あと民間療法というのも僕このころ全然本当にがんの知識とかなかったんで、治すにはどうしたらいいんだろうという視点でネット検索をしてたらまんまと引っ掛かってしまって、NK細胞療法というのをちょうど400万円ぐらい使ってやってましたね。僕のお金じゃないんですけども、母親が出してくれると言うんでそういうのでやったりもした経験があります。そのとき、生存率というのがⅣ期だとこれぐらい悪くなるんで、結構長期生存は難しいよなとかそういうふうなことを思っていました。ここでちょっとずつ上がっていったんですけども、そのあとにここで癌性髄膜炎というのが見つかってドンと落ちました。この当時、インターネットとか見ても癌性髄膜炎が治ったという所見がなくて、これは本当にもう危ないんだなというのでここら辺まで落ちました。でも、この免疫チェックポイント阻害薬をやって効いてたんで、ここで子どもを持つ決断をして次男が誕生したという形になります。あと民間療法のあとに乃木坂療法っていう、これも結構お金が掛かるんですけども、結構ツアー行ったりとか、ツアー地方まで行かせてもらったりとか、そんな療法も並行してやってました。リンパ節転移があって、放射線治療があって会社を退職してとか、そんな流れになってます。 

これはさっきもお見せしたと思うんですけども、「肺がん、ちょっと難しいよな」ということで、感じるのはAYA世代の肺がんの場合って、悩みが多様化していると思うんですよね。 

まず最初に悩みというものは治療だと思うんですけれども、医師、病院の選択だったり、その副作用だったり、ステージ、余命だったりとか。あとは生活面ですね。仕事とか休職がどうなってるとか、テレワークできるかとか、仕事の継続ができるかとか、職場での人間関係などなど。あとは仕事とも関連あるんですけども、お金ですね。医療費、生活費、学費、ローンとか、あと支援制度、傷病手当金や障害年金など。あとは本当に人生の悩みですよね。家族との関係とか、知人との関係とか、自分らしく生きるとは何だろうとか、そういうことの本当に悩みが何かその治療も含めてグルグル回ってるのが悩みなのかなというふうに思っております。 

ダークサイドに落ちる原因。これはあくまで僕の場合なんですけども、人間関係のすれ違いっていうのがかなり大きいところがありまして、同年代の友人と人生の価値観や悩みが違うっていうのがあって、1つエピソードで、僕、「地獄のWII・CAN・MAST」っていう僕の中でも記憶されているんですけども、同年代の高校時代の友人と確か忘年会なんかをやったと思うんですよね。そのときに僕はこんなに大変なんだよっていうのを聞いてほしかったんですけど、その当時、友達が何かすごく仕事が面白かったらしくて、何かその自己啓発についてすごく語ってきたんですよ。友達が言うのは、「WIIっていうのは未来を見通すのが大事だよ」っていうそれを熱弁されて、CANっていうのがそのために何ができるかっていうのが大事で、MASTっていうのがそのために何をしなければいけないかっていうのをもう永遠と語ってたんですよ。そのときに僕が思ったのは、「WII? 俺に未来なんて見通せないよ」っていうね。「CANは何もできないし」って、「MAST、俺、生きなきゃいけないんだよ」っていう、もう全部否定で受けてしまう自分がいて、そういうすれ違いとかもありました。友達の幸せを祝いたいけど祝えない、そんな自分。結婚式とか呼ばれても、いいなっていう思いもあるんですけども、でも俺にはない未来には君にはあるのかなとは、そういうふうにどうしても考えてしまう自分がいたりですとか、あと普通に接してほしいけど心配してほしいっていうね。「どっちだよ」っていうところだと思うんですけれども、普通に接してもらったら「もうちょっと心配しろよ」とか思うし、心配してほしい。実際に心配されると、「何もわかんないくせに」とかそういうふうに思ってしまうような自分がいたりして、あと自分の気持ちをわかってほしいけど、何か寄り添ってくれる人には「わかってたまるか」っていう。友人からの励ましのことばを素直に受け止められない自分がいました。本当に自分自身の気持ちのコントロールができてない、孤独、疎外感ですよね。完全にこれダークサイドに落ちていると思うんですよ。そんな自分がいました。 

ダークサイドから戻るためにはと、僕もこれ、講演とかあったときに結構言ってしまうようなことがあるかもしれないですけれども、今日はAYA世代の本音ということで。がんが治るように治療を頑張る。これは一番いい治療を受けるとか、そういうのが目標だと思うんですけども、あと後悔のないように生きる。自分で選択する人生。あと治療と仕事の両立、家族のための生活の安全を図るとか、そういうことですよね。人とのつながりを大事にしようとか、自分のことをわかってくれる居場所があったらうれしいなと。未来に希望を持つ、生きがいを見つけるとかあるんですけども。 

実際ダークサイドの僕は、がんが治るように治療を頑張るって、「治るわけないわ、ボケ」って思ったりとか、あと後悔のないように生きるってね、「死んだら後悔するに決まってるじゃん」っていう、普通の人が80、90生きるのに、自分は40歳までしか生きれないんだよっていう、後悔しないわけないじゃないかよっていうふうに思ったり。あとは仕事と治療との両立。「なんでがんになってまで働かないといけないの」っていう、僕、基本的には前の仕事とかそんなに好きじゃなかったので、ずっと思ってましたね。「なんでこれ、俺、働いているんだろう?」っていう。あと人のつながりを大事にしようっていうのは、「俺の気持ちなんかわかんないだろう」っていうか。未来に希望を持つ、「希望ってなんだよ。きれいごとばかり言いやがって」とか、そういうふうに思ったりしてましたね。本当に世界に背中を向け続け、自己否定をしている自分がずっといるわけですよね。 

ダークサイドからの脱出なんですけども、これ、がんを治すこと以外は完全に脱出するのは無理かなっていうふうに僕は思いますね。それは違うご意見があって、もっと前向きな方もいっぱいいると思うんですけど、もう僕自身の考えなんで、すみません。

だって、若くしてがんで命を奪われることって理不尽じゃないですか。僕はそう思うんですよね。とはいえ、自分の人生の主役は自分で、自己否定ばかりしていると自分をますます嫌いになる。今の現状を突き付けられた現実の中で、がんになっても生きなければならない。自分以外の誰かと付き合っていかなければならない。もがき続けながらも生きていかないといけないという現実があるのかなと思います。 

 

 

ダークサイドからの脱出はちょっと難しいと、ダークサイドの中でもがき続けるのが、そういうふうな感じ、僕自身はそんな感じでしたね。その中でも自分がいてもいい場所を見つける、作る。必要とされる場所を見つける、作るっていうのは、とても大事かなと思ってて、自分の行動って自分が幸せにするためにみんなしてると思うんですよね。がんになったことっていうのは過去のことなので、そのことで悩むっていうのはあまり生産的ではないのかなとは思うんですけれども、でもダークサイドの中にいるんですよね。自己肯定して、「僕は僕を好きになる」。今僕の中では、乃木坂46をガチで応援しているときぐらいだったかなと。

 

もちろん家族と一緒にいるときとかも大事なんですけれども、どう自己肯定していくかっていう日々の戦いかなというふうに、これが僕の本音、AYA世代の本音というか僕の本音だと思います。ワンステップで仲の良かった友達で、アオキさんという方がいたんですよね。昨年亡くなってしまったんですけども、本当にワンステップ最初のころから来てた当時20代の女性で、2015年ですかね。ワンステップの最初のころから来てたアオキさんっていう方がいて、その方って脳転移がもうその当時で、2015年の段階で10個以上あったんですけども、何か僕と似たような感じだなと思ってて。彼女っていつもすごく笑顔で、周りの人を幸せにするような人だったんですね。人の悪口とか言ってるのを本当に聞いたことがなくて。でも、同じ肺がんの仲間の同年代の男の子に告白をしたんですよね。彼氏がほしいと言ってたので、告白をしたんですよ。そしたら、一緒に2人で旅行とか行ってたんですよ。僕とかも「それ大丈夫じゃん。行けんじゃないの?」っていう話をしてたら、結局振られたんですよ。そのときはさすがのアオキさんもその人のことを、「なんで私が振られないといけないの?」って怒ってましたよね。

 

すみません。結局アオキさんは昨年亡くなられてしまったんですけど、僕が障害年金のお手伝いをさせてもらって、結局その障害年金を受給されたんですけども、その受給したお金を結構具合悪くなっていた時期だったんですけども、ワンステップに寄付するのと、あと若年性患者会、スタンドアップさんに寄付をすると、それを手伝ってくれないかというふうに言われて、この人はなんでそんなに人の幸せを願えるんだろうかっていう、すごいなっていうふうなことを、何か本当にまとまらないんですけども、僕の気持ちはそのまとまらないのが僕の気持ちです。それでちょっと先に行かせてもらいますね。すみません。 

 

 

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