笑顔、そしてワタシ色の病室で、ワタシなりのがん闘病!! のこたんさん(70代) その2 | NPO法人 肺がん患者の会 ワンステップ

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2024年4月、10年目突入。肺がん患者・家族の「いきる勇気」につながればいいなと思っています。

みなさん こんにちは
のこたんさんのインタビュー、続きます。
 

●延ばしに延ばして、半年後に手術!?——不安は「顔筋上げ」で解決
 

—そして手術を行ったんですね。
 

 そう、8月に。
 

—告知は2月ですよね?? なぜ半年後に……
 

 病院の都合で、4月まで手術の予約ができなかったんです。でも、5月に同窓会の総会があったため、「そのあとでもいいですか?」と主治医に聞きました。 先生は「う〜ん、すぐやった方がいいんだけどね」と悩んでいましたが、「昨年の10月から診ていてもそんなに進行はしていないし」とのことで、5月中旬まで延ばしてくれました。 しかし、そのあとにまた大事な用事が入ってしまって。「先生、9月に展覧会があるのでそのあとでいいですか?」と言いました。 すると、さすがに「ダメです」とのことでした。「ここまで延ばしたんだからダメ」と(笑)。それで8月1日に手術が決まりました。
 
 
 
—なんか悠長ですけど、体調は悪くなかったんですか!?
 
 

 咳は出っぱなしだったけど、「まあ大丈夫だろう」って(笑)。
 
 

—不安じゃなかったんですか!?!?
 
 

 告知の時から不安でしたが、開き直ろうと思いました。「病気は気分でなんとかなるだろう」と。
 
 「笑顔は免疫力を上げる」という話をどこかで読み、とにかく顔の筋肉を上げてみたんです。その様子が自分でもおかしくって、笑ってしまいました(笑)。今も、「顔の筋肉上げ」は病気になったお友達に勧めています。
 
 
 
—「死んでしまう」ということを考えることはありませんでしたか。
 
 
 
 告知の時も手術でも、もしかしたらこれで死んでしまうかもしれないと思い、その都度「この世とおさらばか。そうしたら、ポピーやマイケル(以前飼っていた犬)に会えるな」と思っていました。基本的に楽しいことにつながるように考えていますね。
 
 
 
—どのような手術を行いましたか。
 
 
 
 内視鏡での手術でしたが、8時間を要しました。 最初は病巣だけを取る予定(4時間)だったのが、術中の病理検査の結果、右肺の1/3と、その周りにあるリンパ節も取った方がいい、ということになって長くかかってしまいました。 術前に、麻酔科医、執刀医、看護師などが次々に来て、しっかり細かく説明してくれたのがとてもよかったですね。「ここに穴をあけて、管をどこから入れて、麻酔はどうやって……」など、図解で説明してくれました。
 
 不安って、病気を余計に悪くしてしまうと思うんです。みなさんが説明をしてくれたおかげで、安心することができました。
 
 
 
—術後に大変だったことは。
 
 
 
 目覚めた瞬間から息がしづらかったことと、痛みですね。
 「この息が止まったら死んでしまう」という恐怖感がありました。術前に息を吸う訓練をしていたので、それを思い出して息を吸っていました。
 
 痛みでは、硬膜外麻酔(背骨の硬膜外に常時流す痛み止め)の薬が合わずに吐き気がひどく出てしまったため、薬を止めてもらったんです。そうしたら痛みがガーン!ときました。これまで帝王切開など手術の経験があって、「痛みは4日でひく」ということを知っていました。だから「4日、4日」と思っていたんですが、いつまで経っても全然ひかないんです。
 
 「先生、痛みがひきません」と言うと、「肺がんの内視鏡手術は神経を切ってしまうから、何ヶ月も痛いですよ」と言われました。 その通り、痛みと咳は1年以上続きましたが、徐々によくなっていきました。
 
 
 
 
●「手術後は楽観的になってしまった」——夫婦で楽しくウィッグ探し!?
 
 

—術後、摘出した組織の検査結果を待つ間はどのように過ごしましたか。
 
 
 
 当初は、検査結果によっては抗がん剤か放射線治療を行うとのことでした。だから、病室に持ち込んでいたパソコンでウィッグ探しを始めました。
 
 
 
—え!早くないですか!? 気持ちの整理とかできていたのでしょうか。
 
 
 
 手術が終わったら、なんだか生き返った気持ちになったんです。「大丈夫でしょ」と、楽観的になっていました。 お見舞いに来た夫も「こんなのあったよ」と言って病棟にあったウィッグのパンフレットを持って来たりして。看護師さんには「まだ早い」と言われましたけど(笑)。
 
 
 
—ご主人もよく持って来ましたね。
 
 
 
 毎日来ていたから、私が落ち着いていたのが分かっていたんだと思います。でも結局、リンパ節転移がなかったため、継続治療はしないことになりました。
 
 
  ( photo:のこたん  術後は楽観的になってしまった )
 
 
 

●病室も「ワタシ色に♪」
 
 
 
—治療中の過ごし方では、どんな工夫をしていましたか。
 
 
 
 アートの材料を持ち込んで製作し、病室に飾っていました。個室だったため、トランクにはスカーフをかけて、テーブルにはレースをひいたりして。看護師さんや女医さんが「かわいいですね」「のこたんさん色ですね」と言ってくれました。その言葉で、また元気な気持ちになりました。
 
 
 
  (入院生活を少しでも楽しく過ごそうと、病室をワタシ色に photo:のこたん)
 
 
 
 そのほか、日記をつけていました。「今後、同じ病気になった人に教えてあげられるように」と思い、日記には治療の経過や思いなどを記録していました。看護師さんに見せたら「ブログにしたら、ほかの患者さんの役に立ちそう」と言ってくれたので、そのうち実行するかもしれません。書くことって、気持ちが晴れていくんです。感謝の気持ちを書くと、自分も気持ちがいい。そんな日記の使い方もありかなと思います。
 
 
  (これからがん闘病をする人のために治療の記録、そして関わってくれた人たちへの感謝の気持ちを日記にしたためた)
 
 

—個室だと「寂しい」という声もありますが。
 
 

 私は寂しくなかったですし、ガスを出すにも1人の方がいい(笑)。看護師さんには「気にせずどんどん出してください」と言われました。
 
 実は、個室が空いていなかったため、特別室になったんです。あとで移ることもできたんですが、居心地がよくて、どうせなら気持ちのいい部屋にいようと思いました。ただ、この部屋では疲れることもありましたね。
 
 
 
—特別室で疲れるとは!?
 
 

 小さなキッチンがあるようなお部屋だったので、思わずお見舞いに来た人をいちいち接待していました。お茶やお菓子を出したりして(笑)。好きでやっていたものの、さすがにあとで疲れが出てしまい、先生に「おもてなししなくていいんですよ」なんて言われることもありました。でも動いたことで傷の治りが早くなったんじゃないかなと思っています。
 

  (病室から望んだ青空。生きている喜び、生かされたことに感謝する photo:のこたん)
 
 
 
—普通の病室では接待なんてできないですからね(笑)。
 では、助けになった人やモノはありますか。
 
 
 家族からのLINEメッセージや、親しいお友達がお見舞いに来てくれたこと、それからペットの犬のチェリーがいてくれたのが気持ちの支えになっていました。
 
 長姉が、福島から漬物や煮物を病室に持ってきてくれたのもうれしかったです。ただ、術後すぐは吐き気のためにスイカしか食べられなくて(笑)。病院が食事に一生懸命スイカを出してくれたことや、家族や友人が「これなら食べられるかな」というものを考えていろいろと持ってきてくれたことを思い出します。
 
 モノでは、やはりアート(粘土工芸)が助けになりました。“ただの老人”ではなくて、人から認められていることが活力になっていたと思います。手術から2ヶ月後にあった展覧会に参加しようと気力を強く持っていたこともよかったですね。
 

   ( 静養中に製作したお正月飾り。花びらの一枚一枚まで手で作り込む)
 
 
 

—のこたんさんは、東京都内の病院で行われているがん関連のイベントで、アート作品の提供も行っています。病院が明るくなり、患者さん、医療者とも、とても喜んでくれているそうです。 
それでは、のこたんさんが大切にしている言葉を教えてください。
 
 
「感謝」。
 
 

感謝を思うだけで、自分の心の中も温かくなっていきますから。
 
 
 
—最後に、同じ病気の方に一言お願いします。
 

顔の筋肉を上げよう!
楽しいことを考えよう!
 

(写真・文:木口マリ/一部写真:のこたん)
 
 
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