体験者インタビュー・ぴあなさん その2 | NPO法人 肺がん患者の会 ワンステップ

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2024年4月、10年目突入。肺がん患者・家族の「いきる勇気」につながればいいなと思っています。

 

 みなさん、こんにちは。

今回はぴあなさんのインタビュー2回目です。

 

 

<前回まで>

 すりガラス状陰影を8年間経過観察した後、5ミリが3.5センチに成長したこともあり、2008年に手術を受けたぴあなさん。その時の診断では病期は1Bでした。執刀医も成功に自信を持っていましたし、ぴあなさんも術後の再発防止の薬を2年間きっちり飲みました。それにもかかわらず、術後3年半くらいたってから、腫瘍マーカーのひとつCEAが上がってきました。今回は、再発後の治療と転院してオプジーボを受けるまでの話です。

 

 

 

 

― 術後3年半経ってからの再発。憂鬱度100%の抗がん剤の世界へ。

 

 

 

 

  手術前は、腫瘍マーカーCEA0コンマ1以下とか、とにかく測定不能なくらい。ところがそのCEA3.5とかになりました。画像はもちろん何も見えないのですね。先生も首かしげていて、消化器でも上がるマーカーなので、肝臓、膵臓、胆嚢、それから胃、大腸を検査しましょうということになり、それで胃カメラと大腸ファイバースコープをやって、あと肝、膵、胆はMRIを撮りました。

 

 

 

 それで肝、膵、胆は問題ないし、胃も腸も何もないと。なぜかCEAだけが上がってきて、5を超えて15とか32ぐらいになってきたんです。それで先生もいよいよ不思議がって、肺の画像をもう一回よく見たんですね。そしたら、非常に細かい転移と思われるような影が、右も左もすべての肺の袋に点在しているということが、2012年の11月にわかったんです。肺内転移です。先生もちょっと申し訳なさそうな感じはありました。そこで、僕はいよいよ抗がん剤の世界に、もう憂鬱度100%で入ることになったわけです。

 

 

 

 手術した検体で遺伝子検査をして、EGFRの変異だと分かりました。抗がん剤やってへろへろになるかもしれないということで、近くのD病院に紹介状を書いてもらって、そこで2013年の1月からイレッサを飲みだしました。飲み始めたときもともと米粒みたいなやつでしたが、画像上、消えた粒もありました。また、影が薄くなったりしましたし、新しい転移が出てこないとか、イレッサで一応いいことがずっと半年ぐらい続きました。

 

 

 

 1年後ぐらいにCTを撮ったときに、少し効きが悪くなっているねという話があって、それでも継続ということで、20カ月継続したんですね。20カ月後にタルセバに変えてみたんですけども、これもだめで、20151月にレントゲンで胸水がたまっているって言われました。胸水がたまったのは初めてでした。これでまた絶望的になりました。イレッサを10年もやっている人もいるっていう話もあったので、あやかりたいなと思っていました。

 

 

 

 

― 嫌でたまらなかあった(殺細胞性の)抗がん剤。意外な結果に。

 

 

 

 

 (殺細胞性の)抗がん剤に悪いイメージが強く、嫌な思いになりました。特に副作用を嫌っていたので、先生も考慮してアリムタ単剤をやりました。20152月から3回かな。でも、効果はありませんでした。そこでちょっと残念ながら主治医の先生が転勤になっちゃって、新米の先生が担当になったんです。

 

 

 

 新米でも結構強気でくるんですよ。「QOLもわかるけど、プラチナ系を使う時期ですよ」という説明で、アリムタ、カルボプラチン、アバスチンという3種類の組み合わせに変えました。20154月から7月まで4回。4回目ぐらいのカルボプラチンでちょっと副作用のパンチがきましたけど、全体的に言えば副作用はどうってことないなという感じでした。がんも縮小し、CEAも初めて下がりました。その後、ルボプラチンを抜いた維持療法・アリムタ、アバスチンの組み合わせになったんですけど、2回ぐらいで増悪し、終わりになりました。

 

 

 

 (殺細胞性の)抗がん剤が嫌だったっていうのは、もう皆さんのいろんな情報として、抗がん剤みんな嫌っていますよね。基本的にはね。まず恐怖心。それから髪の毛抜けちゃうだとか、吐き気だとか、倦怠感とか、それから白血球が下がるって副作用が何とも嫌ですよね。また根本的な骨髄に対するインパクトがあるとか、私は頭で考える人なんで、体験する前から嫌だったんですよ。ただ、だけどそうはいってもやるしかない、追いつめられているので、やりました。そしたら、そんなに大したことはなかったなっていうのが実感でした。

 

 

 

 振り返ってみると、タルセバなんかのほうが、髪の毛の中にもぶつぶつができちゃって、もう耐えられないぐらいのQOLの悪さでしたね。もうぼつぼつだらけ。顔をちょっとさわると血が出て、顔も洗えなかったですよ。タルセバは、アリムタとアバスチンの維持療法の後、201510月から12月まで飲みました。

 

 

 

 

― 突然の宣告「もう次の薬はありません」 

 

 

 

 

 オプジーボの話を認可される前からしていました。ぜひやってくれと。その若い先生も結構考えてくれていて、ずっとそういう話し合いをしてきました。そして20151217日にオプジーボは認可され、実際には今年の1月から使えるようになりました。でもD病院は1月からは使えない感じだったんです。タルセバの後はオプジーボだと思っていたのに、私にドセタキセルをすすめてきました。

 

 

 

 タルセバが効かない12月の時点で、「家族を呼んでくれ」と言われたんですね。びっくりしちゃって、えーと、オプジーボの話はどうなったんですかっていう感じです。「家族呼んでください、ドセタキセルやりましょう。もしドセタキセルが効かなければ、もう次の薬がありません。」のようなことを言われ、緩和ケア、緩和病棟を探してくれとも言われました。「余命はどのくらいなんですか」って聞いたら、「6カ月ですね」って言われました。オプジーボをやる予定でずっと話してきたじゃないですかということを僕は言いました。

 

 

 

 そこで、転院したいと伝えました。治験をやっている病院ならオプジーボをやってくれそうだという情報を得ていたからです。先生は、「わかりました」と、それは非常に気持ちよく紹介状を書いてくれました。それに、「何かもしあったら、電話してください」とおっしゃいました。紹介先の病院に断られるかもしれないし、同じこと言われるかもしれないからね。そんな話をしたのが昨年のクリスマスの頃ですね。それで14日に新しい病院の予約を取って、思いをいろいろお話ししたら、「わかりました。お引き受けします。」と言っていただきました。

 

 

 

 それで、一月二十何日かに1回目のオプジーボを打ちました。1回目打ってレントゲンの結果は、肺が全体的に白かったんです。あまりよくない。何でだろうなと思いながら、2回目やって、やっぱりレントゲンは白いんですよね。もう一回だけやりますかっていうことで、3回やりました。先生の判断が早くて、その後は中止しようということになりました。2月の下旬の3回目でオプジーボは終わりました。

 

 

今回はここまでです。

 

 

 

 

<お知らせ>

 

 

 

 

▼毎日新聞さんに取材していただきました

ずっと言い続けている臨床試験のアクセスの問題に関してです。

ブログでは、中途半端な状態が続いていて、終わっていません。ちゃんと続けますので、また読んでくださいませ。

 

http://mainichi.jp/articles/20161213/ddm/002/040/121000c

 

 

 

 

 

 

 

 

一般向け情報誌出ました!

http://www.lung-onestep.jp/sashi.html

 

 

 

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