「馬水槽」の哀しみ。 | おじさんの依存症日記。

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 最近知った知識なのだが、東京新宿駅東口広場に、「馬水槽」 (ばすいそう) なるモニュメントが建っているという。

 

 おじさんは、東京に20数年暮らしていた。 毎日夜になると、新宿・渋谷あたりで飲んだくれていた。 何百回、いや、何千回とこいつの前を通ったはずなのに、まるで気が付かなかった。

 

 場所は、新宿アルタのまん前。 いまは 「みんなの泉」 と名を変えている。 泉といっても、一滴の水がほとばしっているわけでもない。 蛇口代わりのライオンの頭が、水の出ない口をカッと開けているだけ。 三越のライオンと変わらない。

 

 この 「馬水槽」 は、1906年 (明治39年)、東京の水道の育ての親、中島鋭司博士に対し、ロンドン水槽協会から寄贈されたものだ。 高さ2.6メートルの赤大理石製の柱で、前に牛馬の給水台があり、その下に犬猫のための給水台、柱の裏には人間用の給水台がある。 

 

 はじめは千代田区有楽町の旧東京市役所前にあり、馬車が主な交通手段だった明治・大正の頃は、実際に御者の休憩や馬の給水に使われていた。 また、人に連れられた犬が水を飲んでいた。

 

 その後、馬が交通手段ではなくなっていったせいか、1918年 (大正7年)、近くの旧都庁水道局へと移転され、関東大震災で給水不能となった。 4年かかって修理復旧したが、太平洋戦争の空襲で破壊。 戦後間もなく復旧したが、こんどは蛇口や鉛管が盗難続きで、またまた給水不能となってしまった。

 

 1957年 (昭和32年)、そのまま新宿の旧淀橋浄水場に移転したものの、それもつかのま、浄水場は東村山市に引っ越したので、1964年 (昭和39年)、現在の場所に落ち着いた。 「馬水槽」 も、来日以来、数奇な運命をたどったものだ。

 

 はじめは渋谷駅前の忠犬ハチ公に負けない、格好の待ち合わせ場所の目印になると期待されたが、誰もこの 「馬水槽」 の謂れを知らず、じっくり眺めもしない。 「みんなの泉」 というくせに泉もなく、ちょっと気づかない塀の片隅にぽつねんと建つ不遇。 「馬水槽」 は、このままビルの谷間に忘れ去られてゆくのだろうか。

 

 降りそそぐ陽光の中、溢れんばかりの水をたたえて、その自らの歴史を人々に知らしめる日の、再び訪れんことを。