衣替え。 | おじさんの依存症日記。

おじさんの依存症日記。

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 夏から秋へ、冬から春へ、季節の移ろう頃、おじさんは毎年懊悩に執りつかれる。 現象としては些細なことだ。 短パンをいつジーンズに履き替えるか。 いつの段階でモモヒキを脱ぐかだ。 いまは、短パンの衣替えに悩んでいる。

 

 今日、台風10号の影響で、名古屋は雨だった。 かなり気温も冷え込んだ。 24時間の間でさえ、寒暖の差は激しい。 しかしおじさんは、Tシャツに短パン、上に羽織るシャツを半袖から長袖に替えただけで、夏の盛りとあまり変わりのないスタイルをしている。  

 

 もし、ジーンズに替えてから残暑がぶり返したらと思うと、イマイチ踏ん切りがつかない。 そうなったらそうなったで、、再び短パンに履き替えればいいのだが、それはおじさんの美学が許さない。 ファッションは生き様だ。 迎えるべき季節に対する、それなりの哲学なのだ。 ゆるがせにはできない。 

 

 日本人は、四季それぞれの情緒を重んじる民族だ。 一旦この時期にこのスタイルと決めたら、それをないがしろにするのは精神的な脆弱さだ。 おじさんはそれを拒む。 だからこそ、慎重の上にも慎重を期して衣替えのタイミングを覗う。

 

 まあ、それほど大仰にいうこともないか。 一旦履いた短パンやモモヒキは脱ぎにくい、ということだ。 今年など、モモヒキを脱ぐタイミングを失し、4月頃まで履いていた。 キンタマ蒸れた。 この春の失敗を繰り返さないためにも、秋の到来を正確に見極めなくてはならない。 一度など、思い余って気象庁に電話してみたが、一笑に付された。 爾来半世紀を超える人生に於いて、毎年この判断の時期に悩まされつづけている。

 

 幸か不幸か、夏の短パンのお陰で、おじさんはこれまでの人生でステテコというものを履いたことがない。 これでステテコの着脱時期までが加われば、おじさんは確実に狂気の人となっていたに違いない。 いつの日か、七色の光に包まれた黄金蓮華の池のほとりで、天衣無縫の白い着物を着て過ごせる日まで、この煩悩の苦痛は確実におじさんを苛み続けることだろう。

 

 いっそゴーギャンのように、タヒチにでも移住しようかしら。 現世を忘れた補陀落渡海は、西鶴の 「世之介」 だけの夢ではない。