おじさんは無敵だ。 | おじさんの依存症日記。

おじさんの依存症日記。

何事も、他人に起こっている限り面白い。

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 30代の頃、1980年代、日本はバブル景気に浮かれていた。 おじさんもまた、役者とライターの二足の草鞋を履いて、小金を稼いでいた。 毎晩、新宿・渋谷と飲み歩いていた。 行きつけのバーには、常に2種類のボトルをキープしていた。 バーボンとジン。 どちらもアルコール度数の強い蒸留酒。 バーボンは I・W・ハーパー、ジンはタンカレー。 ソーダ割りで飲んでいた。 たいてい一晩でボトル一本を空けた。 桃源郷ならぬ、酔源郷。 その地を目指して、何かの強迫観念から逃れるように呑んだ。 酒は滅法強かった。 何から逃れようとしていたのか、きっとそれは何層にも畳み込まれた深層心理の奥深く葬ってしまったせいで、定かでない。 おじさんが理想とする社会と、既存の社会との折り合いが悪かったのだろうか…。 アルコール性肝炎で3度入院し、檻のある病院にも2度自主入院した。 修羅場であったことは確実だ。 今では穏やかな心理状態にある。 だがやはり、酒は毎日飲んでいる。
 
 休肝日、クソ喰らえ!
 
 
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 蒸留という技術が発見されたのは、2世紀のアレキサンドリアの錬金術師たちが 「蒸留器」 を発明したことに源を発する。 その蒸留器は、もっぱら錬金術の実験にのみ使われた。 穀類からアルコールを蒸留する技術が発見されたのは15世紀。 それまでは、醸造酒だけ。 16世紀に入って漸く、ブランデーがドイツで人気のある酒となった。 ブランデーという名は、Bran-ntwein 「焼いたワイン」 というドイツ語に由来する。
 
 さて、おじさんは何歳くらいから酒に親しむようになったのか。 つらつら記憶をたどってみると、高校2年の頃だったように思う。 文化祭の準備で、学校に泊まり込んだ夜、誰かが角瓶のウイスキーを持ち込んだ。 その日から酒精の虜となった。 喉を焼き食道を焼き、胃の腑に落ちる異物。 それがもたらす、ゆるゆるとした薬理効果。 たちまち習慣性となり、アル中歴50年の濫觴となった。 またおじさん、当時、地元のラジオ局で高校生ディスクジョッキーなんてのをやっていた。 先輩が森本レオさん、後輩が、あべ静江さん。 当然、そのギャラは使い放題。 放課後、私服に着替えて、屋台の飲み屋で安酒をカッ喰らっていた。
 
 高校3年の頃、私立の男子校の演劇部だったおじさんたちは、卒業公演を当時の小劇場を借りて外部公演をすることを企画した。 ご近所にあるミッション系の女子高校の演劇部と合同公演として。 70年代、最新の演劇の潮流はアングラだった。 反秩序・反体制。 共に有数の受験校で、秩序に縛られて3年間を過ごしてきたおじさんたちは弾けた。 毎日、礼拝堂で祈ることを強制させられてきた女子高生たちも同じ思いだった。 冬休み、毎日の稽古の後に、稽古場で酒盛りしていた。 その中に、おじさん好みの美少女が居た。 柳のようにスレンダーで柳のように吹く風に強い、瞳の大きな女の子。 或る日、どうしてもその子を口説き落としたくって、酒場に誘った。 その子は素直についてきてくれた。 恋愛の初歩も、手練手管も知らなかったおじさん。 素直に 「好きだ」 と言えなくて、酔った勢いで、という卑怯な手口しか思いつかなかった。 限界を知らない彼女は、おじさんのすすめるまま ガンガン飲んだ。 並んで座ったカウンター。 突然その子が、身を折り曲げるようにしておじさんの膝に顔を寄せた。 それまで飲んだり食べたりしたものが、おじさんの膝元に一挙にリバースした。 
 
 70年代の流行の発信地、新宿三峰で買ったJUNの別珍のマキシ・コート。 ゲロまみれ。 おじさん、彼女の家を詳しくは知らない。 送り届けるわけにはいかない。 御両親にどう説明してよいのやら。 で、タクシーでラブホテルへ。 まあ、当初の目的を果たしたと言えば果たしたのだろうが、状況が違いすぎる。 朦朧とした彼女をベッドに横たえて、着ているものを脱がす。 とにかく楽にしてやらねば。 パンティまで脱がせたのは、若気の至りだ。 酔いの淵に沈んだ彼女の全裸を見ていても、なぜか青春の血潮は満ちてこない。 川端康成さんの 『眠れる美女』 が甦るばかり。 何度か吐き戻す彼女を、新聞紙を敷いた洗面器を口元にあてがい、背中を擦って一晩中見守った。
 
 のちに介護を職業とすることになる今にして思えば、チンピラ高校生としては良くやった方だと思う。 結局おじさんは、彼女の隣でシーツをかぶって少しの間まどろんだ。≪敵≫ にしちまえばよかった。

 

 
 「1/3は水に流す。 1/3は大地に返す。 1/3は敵に与える」 という諺めいたものが敬虔なる仏教国、タイにあると知ったのは、開高健さんのエッセイだった。 バンコックに居た頃仕入れた知識だそうだ。 「水に流す」 というのは、酒を飲むこと。 「大地に返す」 というのは、貯蓄。 カネを壺に入れて大地に埋めて隠してしまうこと。 「敵に与える」 というのは、妻に渡すことだという。
 
 「万事静謐を尊べと教える小乗仏教、雨の檻のようにギッシリと隙なく戒律をつくって人を動けなくしている小乗仏教が酸素や窒素にくっついて空気をつくっているはずの都でも妻のことは素直に ≪敵≫ と呼んでいるらしい。 二度ほど念のために聞きなおしたのだけれど、そうです、そう呼んでますとの答えであった。 やっぱりこれは万国共通というものだろうか。」                                        
 
                      (開高健 『酒瓶のつぶやき』)

 

                                                                                                             
 いま、おじさんに敵はいない。 敵が居ないままて60有余年。 ≪敵≫ がいないことの寂しさを、いま身に染みて感じている