蛇変じてタコとなる。 | おじさんの依存症日記。

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   きのうの続きみたいな話。 

 

 江戸期の古書を読んでいると、日常生活と怪異譚が同居していることを思い知らされる。 山芋がウナギに変じたりするのと同じレベルで、雀が海中に没してハマグリになったり、鷹が鳩になったり、田のネズミがウズラになったり、腐った草が蛍になったりする。

 

 いまの科学常識からすれば、それは確かにおかしい。 そんな非科学的なことは在るわけがない。 しかし、おじさんふと思う。 もしかしたら江戸時代には、本当にそんなことがあったのではないかと。 現代と江戸時代とでは、時代のパラダイム (枠組み) が、まるで違っていたのではないかと。 そして、そのパラダイムの違いによって、現代と、かの時代との日常的な怪異に対する正と邪は隔てられているのではないかと。

 

 たとえば、蜃気楼はハマグリが吐く 「気」 によって起こる、なんて信じられていた。 まあ、科学的にいえば、ハマグリはその身体から粘液物質を帯状に放出する。 それを引き潮の潮流に流しながら、かなりの距離を移動する。 そうとは知らない昔の人が、この粘液帯を見て、ハマグリが気を吐いたと思うのは当然だし、むしろおじさんは、こういった現象に注意を向けた、いにしえの人々に敬意を表したい。

 

 お魚博士、末広恭雄先生の著書から引く。 (『魚と伝説』 新潮文庫)。

 

 < ある商人がある年の三月、越前、すなわち福井県へ行ったところ、土地の者たちが誘いあわせて 「蛇がタコになるところを見にゆこう」 というので、「それは珍しい」 と、とある浜辺へついていった。 すると山の裾から一匹の蛇が現われて、浜辺を通って海へ泳ぎ出た。 蛇は波に揺られながら尾を持ち上げて何べんか水面を叩いていたが、見るとその尾が裂けて、脚のように分かれてきた。 これは奇妙だと思ってなお良く見ていると、そのうち半身は蛇、半身はタコになったものが、水面でバタバタしていたが、とうとうすっかりタコに変わってしまった。>

 

 江戸期の古書を出典とするこの怪異譚の真相を、末広先生は名探偵よろしく、次のように合理的に解釈する。

 

 < おそらく、これはウツボとタコの戦いだろう。 海岸の岩の穴からウツボがスイと泳ぎだす。 それを見たものは 「やっ! 海に蛇が…」 と思う。 さて、ウツボが泳ぎだした先には大ダコがいた。 しかし海の中とて、陸から見ている人の目には止まらない。 そのうち、ウツボとタコで、食うか食われるかの戦いがはじまる。 これが半身蛇、半身がタコのシーン。 そして大ダコに征服されて、ウツボが食われてしまったか、死んで海底に沈んでしまったあとの情景がつまり、蛇がタコに変わってしまったシーン、と考えれば理論の辻褄が合う。 なおウツボで悪ければ、アナゴに近い種の魚の海蛇、あるいはセグロウミヘビのような爬虫類のウミヘビを持ちだしてもよい。>

 

 末広先生、快刀乱麻の名推理だ。 おそらくこれが真相なのだろう。 おじさんは学生時代、この文章から科学する精神を学んだ。 

 

 しかし、しかしだ。 もし江戸時代が、蛇がタコに実際に変化する時代だったらもっと面白いだろうに、という思いもどこかにある。 合理性という、近代的なパラダイムだけでは割り切れない世界。 『ロード・オブ・ザ・リング』 や 『ナルニア国』 の世界が、日本の江戸時代に存在したと考えると、とても胸が躍るのだが…。