冷やし中華にマヨネーズ。 | おじさんの依存症日記。

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 おじさんが父の転勤に伴って、奈良市から名古屋市に引っ越してきたのは、中学2年の時だった。
 
 生まれたのは、母の実家があった香川県善通寺市。 初産の母が、心細さに実家に戻った。 昭和29年。 その後すぐに、父の待つ大阪のアパートに母とともに帰った。 幼稚園、小学校は大阪。  コテコテの関西人として育つはずだった。 ところが父の転勤で福岡県博多市に。 そして1年もしないうちに、兵庫県尼崎市へ。 ダイエーの前身、「主婦の店」 が出来た頃。 名神高速道路が造られていた。 その後2年くらいで奈良市に引っ越した。 小学校高学年から中学までは奈良で過ごした。 ♪歴史に古き 富雄川~。 これは小学校の校歌の冒頭。 神武軍と戦った土地神 トミノナガスネヒコの根拠地だ。
 
 香川県や瀬戸内で出土するサヌカイトは、縄文石器として用いられた。 北九州博多は弥生遺跡の宝庫。 邪馬台国九州説の中心地。 尼崎市は4世紀から5世紀にかけての塚口古墳群で知られる。 そして奈良市。 かつての平城京。 日本最古の山の辺の道や、飛鳥、斑鳩、6世紀から8世紀にかけてのヤマトの政治の中心地。 古くは神武東遷伝説もある。 邪馬台国畿内説の地。 初代天皇即位の地。
 
  やまとは くにのまほろば たたなづく あをかき やまこもれる やまとしうるはし
 
 このような地を転々としていたおじさんは、当然日本の古代史に興味を持ち、大学では 『記紀』 と 『万葉集』 を学んだ。 しかし、学べば学ぶほど、真実は深い霧の中に逃げてゆく。 邪馬台国も卑弥呼も、神武天皇も、その実態が朧で、掴みきれない。 ハード・エビデンス、確たる証拠が見つからない。 文字文化を早くに持って、圧倒的な歴史記録を残した中国との差だ。
 
 そしておじさんは、名古屋にやって来た。 分かりやすい都市。 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康。 愛知の三英傑と呼ぶ。 それぞれ謎が多いものの、時代が遡っているので、古代史とは雲泥の差がある。 古代史を志す者にとっては、解きやすいパズル。 この三英傑、みんな名古屋を逃げた。 信長は京都へ、秀吉は大阪へ、家康は江戸へ。 なぜか? 名古屋の夏がクソ暑いからだ。
 
 わが家は、名古屋に住んで40年ほどになる。 そのうち20数年をおじさんは東京で過ごした。 あまり名古屋色には染まっていないつもりだ。 言葉も標準語だ。 しかし、施設では長年名古屋に住んだお年寄りとコミュニケーションを取るためにコテコテの名古屋弁で喋る。 おじさんは、俳優上がり、そんなのは造作ない。
 
 名古屋の夏の暑さには白旗を挙げたくなるおじさんだか、名古屋発祥の食い物とは相性が良い。 どて煮、あんかけスパゲティ、小倉餡トースト、味噌煮込みうどん、きしめん、台湾ラーメン、手羽先空揚げ、ひつまぶし・・・。 どれも美味しい。
 
 何よりも気に入っているのは、今の季節の定番、冷やし中華。 冷やし中華の本家は、宮城県仙台市の 「龍亭」 だと言われてる。 昭和12年創作のメニュー。 しかし、冷やし中華にマヨネーズをトッピングするようになったのは、名古屋が最初らしい。 スガキヤがその元祖だとも。 東海地区のコンビニの冷やし中華には、必ずマヨネーズの小袋が付いている。 
 
 おじさんも名古屋に来て初めて食べた。 もともとマヨラーだったのでなんの抵抗もなかった。 美味しかった。 関東と九州以外、コンビニの冷やし中華には、マヨネーズの小袋が付いているという。 奈良から名古屋へ。 鈴鹿山脈は、おにぎりの海苔が味付け海苔か焼き海苔かの分水嶺だという。 それを越えてきたおじさんを待っていたのが、冷やし中華にマヨネーズ。 割りとすんなりナゴヤ文化に馴染めたのも、このコラボレーションのお蔭かもしれない。
 
 中華めんの三杯酢掛け。 これが冷やし中華の基本だ。 キュウリ、ハム、錦糸卵、夏野菜の王者トマト。 それを盛り上げた麺にトッピングする。 イメージは富士山だ。 紅生姜も欠かせない。 その姿をしばし鑑賞したのち、マヨネーズをかけて、ぐちゃぐちゃと混ぜる。 混沌。 世界の始まり。
 
 食べることは生きること。 食欲の衰える夏、冷やし中華は大いなる味方だ。 助っ人のマヨネーズ、いつか主役に取って代わり、夏の王道を進む。 シェークスピアの戯曲のよう。