娘が通うフリースクールで定番学習内容?とでも表現すればいいのか,
滲み絵
という時間が用意されている.
薄めに溶かした水彩絵の具で好きな色を用意し,
キャンバスになる紙を最初から水で濡らしておき,
湿った紙の上に大きめの平筆で滴るように塗る,
みたいな感じで思いのままに表現する.
撮影された映像でしか観たことがないのだが,たぶんそのように状況が整えられている.
筆を握る生徒たちは,湿った紙の上にじわじわと滲んでいく色を
じーっと見て没頭しており,周囲にいる担当教員や子どもたちは,
その時間は声をかけることもなく,その子の時間に侵食しない.
話しかけたらあかんで,というルールになっているのだ.
時間を追って変わりゆく模様に何を感じるか,
年齢を考えたら,それを表現するボキャブラリがたくさんあるわけでもないだろう.
でも言語化する前に湧いたその感情が,筆を握る子供の心を鎮め,
整えているのだそうだ.
「娘さんと一緒にやってみたら」
と言われて,家人もやってみたらしい.
抱いた感情は言語化されて表現され,誰かと共有されるべき,
それが当たり前で疑いなし.
というモノの見方をしていたら理解できない世界でもあるが,
顧みれば誰でも子供時代があり,今の自分にしたって100%スマートに
文章で考えていることを綴れるわけでもないのに,書いてみたいことや
言いたいことがある,という流れがある,と一歩下がってみれば,
こうやってキーボードを叩いている時間は,
娘が滲む色合いと向き合っている時間と同じようなものか.
Youtube に動画を作成して公開する面では,空いた時間で独学進行中.
これはこれでスキルとして蓄えては置くけど,引き出しから取り出すのはまだ先な気がする.
からくりとしてのアフィリエイトがどんなものなのかを体感的に知る意味もあるし,
やることはやるが,商売っ気や損得勘定とはまだ切り離しておく心持ちのほうが,
まだ自分の本心には正直なようだ.
たぶん中学生か,高校の前半あたりか,
やさしく接するなら,滲み出るように,その空気を我が身にまといたい.
そういう感覚を抱いたことがある.
この表現は十何年かに渡って自分の行動を制御・調整していた.
大学生になって,ゴーマニズム宣言というマンガの存在を知り,面白がって読んでいた.
ちょうど掲載雑誌が SPA から SAPIO に変わった時期で,モラトリアムな大学時代と
シンクロして進んでいたのだが,連載のどこかで,
強くなければ生きていけないが,
優しくなれば生きる資格はない.
という西洋の文学者(哲学者?)の表現を引きながらその時点での世相評論をする回を見て,
前述の「〜まといたい」という想念と繋がった感覚を味わった.
今,娘の滲み絵を観て,やさしさという言葉のつながりが,また多層化される.