物事には白黒がはっきりつかないところがある.
学生を終えて,社会の経済活動に参加して数年過ごせば,言葉でもって明確に理解を追いかけずとも,
身体が覚えることであろう.
それを理不尽と呼ぶ人もいるだろうし,不条理という言葉も使える.
そういう言葉が世にあるということは,それで表現される社会の世相があるということだ.
二者択一というシンプルな状況があるとしよう.
それにかかわる当事者の心理度合いによっては,実はこれは逃げ道にもなりえる.
非常に多くの判断材料の個別個性を把握しながら,統合判断するときに,
疲れてしまって統合判断を下すことから逃げる道としての安直な選択肢,
それが二者択一になることもある.
自分の口から出ていく言葉の選択にもこの統合判断的な選択はあるのだと思っている.
相手に伝えたいことを 100% 込められる適切な言葉が選べる時もあれば,
その逆にまったく言い方が出てこない,表現のしようがないというときもあるだろう.
百点満点の快楽か,0点の絶望か
の二者択一ではなくて,その間にはちゃんとグレーゾーンというものがある.
と昔から思っていて,ここをうまく主体的に使いこなせるかどうか?で
円滑で多層性のあるコミュニケーションに囲まれるかどうか,が決まると思ってきた.
考えるよりも感じ取ることのほうが上位に来るシチュエーションでも,
「考える」というアプローチは,すごく小さくなってもゼロにならないみたいだ.
自分の精神性や心理特性には,そういう面がある,とわかっているだけでも,
致命的な破綻は免れると思う.
マキャベリという思想家には,そんなことを学んでいた,昔の話.