青い夜に種を蒔く手を猿が見る -11ページ目

青い夜に種を蒔く手を猿が見る

日々の生活で思うこと,書きます.
よかったら「最初のご挨拶」をお読みください.
https://ameblo.jp/hbk2021/entry-12635771145.html

象の頭としっぽ,というタイトルでもいいかもしれない.
要するに,同じものを意識の対象としているのに,立場や見方で違うものに見える,という話だ.
正確に把握しようという意思がなければ,そこにさらに輪がかかる.

マヤ暦と呼ばれる開運占いというか,占星術というか,そのような知見やスキルに長けた
方々にお会いしたことが何回かあって,そこでガイド kin という概念を教えてもらった.

誕生日によってマヤ暦学術体系?での紋章が決まり,それぞれの異なる紋章は,互いに
相関を持っている(無関係,というのも相関のひとつととらえるらしい).

ある紋章Aを持つ人は,次にどうしたらいいか悩むときなどに,別の紋章Bを持っている人の
ふるまいを参考にすると,打開策が見つかることがある.

そのような相関を「 B は A のガイド kin である」という表現で説明するのだ.

二人目の子供が生まれて半年くらいしたときに,初めてそのようなマヤ暦アドバイスをくれる
人と,なじみの喫茶店で話していたら,

自分のガイドは家人,
家人のガイドは娘,
娘のガイドは息子(上述の二人目の子供),
息子のガイドは自分.

という家族内でガイド関係が一回転する関係にあることを知って,
そのアドバイザーの人も数年間やっているけど初めてだった,という話題になって盛り上がった.
「同居していないおばあちゃんがいたら一周するとか,そういうのは多いんだけどね」
みたいな過去の鑑定歴を顧みながら,いろいろ話をしてくれて,

だから,なるべく家族で一緒に行動しているほうがいいんだよ,と.

そういう解釈でお茶は楽しく終えたのだが,昨年から続いている子供たちのフリースクールに
まつわる行動と,その中でどうやって家族のバランスをとっていくのか?について

感じる苦しさをどう受け入れるか,考え直したりしていたら,
そのお茶話でもらったアドバイスは根強く自分たちの行動を規制している制約にもなっていることを
最近知って,見方が変わった.

ガイド kin が家族内で一周しているということを
積極的に日常生活の中で小さく閉じた状態で実現することを試みる

のではなく,

家族を構成している一員という属性を外した,一個人としての自由なふるまいをある程度優先しても
ガイド kin 一周という関係がそれらを補助してくれるものにもなる.

そういう解釈をしてもいいんだ,と気づいた.

表からコインを観るか,裏から見るかで,まったく逆の理解に至る.
その気づきが,また自分にとってのオトナの階段を,一段登らせる.