30年前との比較 | 広島で乳がん治療をしているひがき乳腺クリニック院長・檜垣健二のブログ

広島で乳がんの治療をしているひがき乳腺クリニック院長・檜垣健二です。

 

 60代半ばの方が、いつものようにひがき乳腺クリニックに来られました。その方は、T3N2aM0乳がんに対して、半年間の化学療法後に乳房全切除、センチネルリンパ節生検、腋窩リンパ節のサンプリング手術をうけられ、現在はフェスゴの皮下注射のために通院中です。

 その方が、「先生は30年前に広島市民病院におられましたか」と尋ねられたので、「はい」とお答えすると、「先生は・・・をご存知ですか?」と質問が続きました。・・・は、当時私が広島市民病院に就任して乳腺を専門にすることになったころ来られました。

 35歳とお若く、乳がんが大きかったため(T3)、私は乳頭温存の乳房全切除にレベル3の腋窩郭清、広背筋皮弁による同時再建手術を行いました。当時の検査ではERとPgRしか計れませんでしたので、ER陰性と判明したのちはCMFという化学療法と放射線治療を追加しました。術後半年して鎖骨上リンパ節転移、その3か月後には全身の骨転移が判明しました。その後の経過は早く、当時の化学療法は全く効かず、術後13カ月で亡くなられました。今思えば、トリプルネガテイブ乳がんまたはHER2乳がんだった可能性があります。そして、術前に今のようにPET-CTを行っていれば、骨などの転移が確認されていた可能性はあります。

 私は目の前の患者さんの言葉で我に返りました。「その方とは同級生で親友で家族ぐるみのお付き合いをしていました。その方のお母様はあまりにものショックで遺骨を20年間手元に置かれていました。今のように、検査法や治療法が充実していれば彼女ももっと別の展開があったかもしれませんね。その点、私はこうして最新治療が受けられるのですからありがたいものです」と付け加えられました。

 私は、・・・が生きておられたら今私の目の前にいるご婦人のようになられているだろうと、何とも言われない気持ちになりました。

  

広島で乳がんの治療をしているひがき乳腺クリニック院長・檜垣健二でした。