広島で乳がんの治療をしているひがき乳腺クリニック院長・檜垣健二です。
私が卒業した大学の同窓会は、以前10年毎に開かれていました。しかし、年が年だけに5年毎に開かれることになっていました。
そんな中でコロナ禍のもと、しばらく開かれていなかった同窓会が開かれることになりました。私は、腰椎の圧迫骨折後3か月は大事をとることにして、欠席にすることにしました。
机をいじっていると、1976年11月8日と裏に書かれた写真が出てきました。これは、私たちの同級生の有志が卒業旅行をしたときの写真でした。
年が明けると卒業や国家試験が予定されていたある日、卒業アルバムを作るための請求書が回ってきました。それを受け取った一人が、そんなアルバムに金を使うより、そのお金で卒業旅行をしようと言い出しました。
賛同した10数人は、湯原に一泊二日で旅をしました。タイトルは「芸者を呼ぼう」でした。
芸者さんは私たち男たち(私たちの学年は100人中9人しか女性はいませんでした)と1次会2次会3次会(露天風呂)まで付き合ってくださいました。
おかげで、私たちには卒業アルバムはありません。しかし、それ以上の思い出がこうして、写真とともに記憶に残っています。
私たちの世代は、自主性をもった学生生活を送ったものだと懐かしくなりました。
広島で乳がんの治療をしているひがき乳腺クリニック院長・檜垣健二でした。