広島で乳がんの治療をしているひがき乳腺クリニック院長・檜垣健二です。
先日、スカパーで「甦れ魔女」(1980年)という日本映画を見ました。これは、東洋の魔女といわれた前回の東京オリンピック以降の、日本とソ連の女子バレーの戦いを映画にしたものです。
主人公は日本とソ連に一人ずついます。日本の主人公は広島出身で、お母さまが広島市民病院で治療を受けられることになります。
「1977年夏」、と紹介された広島市民病院は今の西棟しか存在していませんでしたが、当時としては斬新な外観でした。「社会保険」という肩書も懐かしく思います。
私はこの年に医師になりました。そして、実家のある呉に帰省するたびに広島市民病院の姿を見て、いつかはそこで働きたいと思っていました。
私は広島市民病院が誕生した年に呉で生まれました。そして、40歳を前にして広島市民病院外科に就職しました。
私とともに歩んできた広島市民病院も今は国から離れ、形式上は広島市から独法化しています。これからも、広島の一等地で輝き続けてほしいと願っています。
広島で乳がんの治療をしているひがき乳腺クリニック院長・檜垣健二でした。