広島で乳がんの治療をしているひがき乳腺クリニック院長・檜垣健二です。
1月2日は、関東に住む私の双子の弟が帰省しました。呉にいる母親も認知がだいぶ進んだようですが、私たち兄弟を「健二」「康二」と識別できるようです。
名前の由来は、「健康な二人」だそうです。私たち、兄弟の話題にはウクライナ情勢が含まれました。
「誰が見ても、偏った考え方をもつプーチン露大統領が始めた、今や(無実な住民を狙った)テロもどきの戦争を、ロシア国民はなぜ批判しないのだろうか?」。この戦争で、ロシア国民にいいことは何があるのだろうか・・・と私たちは共通の考えでした。
ゼロ戦のパイロットだった私の父は、昭和20年2月16日、すなわち硫黄島が攻められる3日前、関東上空でアメリカの艦上戦闘機に撃墜されました。当時、24歳でした。
その頃、呉にすみ女学校に通っていた母は、空襲の度に防空壕に逃げ込んでいました。「学校にはほとんど行けず、勉強道具をもって防空壕で自習をした」母も、認知がでるまで長生きしています。
私が不思議に思うことは、人生のもっとも大切な4年間を戦争のために犠牲にされた両親の口からは、当時の日本国家に対する愚痴や批判は聞かれないことです。そう考えると、今のロシア国民のことをとやかく言えないかもしれません。
ヒトラーも、東条英機も、そしてプーチンのすることを止められないのは歴史が教えてくれています。
広島で乳がんの治療をしているひがき乳腺クリニック院長・檜垣健二でした。