ベルサイユのばらは、革命の物語であると同時にオスカルとアンドレの愛の物語であるわけですが、この愛には3つの大きな壁というか谷というか断崖というか、まあそういう大きな障害がありますよね。
1.身分差
2.男女の枠に収まっていないこと(主にオスカルが男として生きていること)
3.幼馴染
1と2は明瞭。3はえ?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、聞くところによれば幼馴染の成婚率は2%だそうです。恋愛はね、もちろん親密さが必要なんだけど、親密さが強すぎるとダメなのですよ。家族とか兄弟になっちゃう。一度、家族の親密さに入ってしまうと、恋愛に戻るのは、指南の技です。これは、熱愛で結婚しても、月日が過ぎて家族になってしまうと、恋愛ではなくなる。極端な場合には男女の夜の触れ合いができなくなるという事象が起こるわけです。
オスカルとアンドレはね、登場時で、親密度マックスなんだよね。家族の親密度。
アンドレは従僕の身でありながら、オスカルを「ばか、とんま、どじ」なんて言っているし、
ちょっと後だけど「一見氷のように冷ややかなくせに胸の中はまるで炎のように燃えさかっている。血の気の多い激しさ・・・おれはそんなおまえが好きだ」って真顔で告ってるんだけどさーーーー。
オスカルは、手を離して、「アンドレ、剣を持て。またけいこをつけてやるぞ」って。
でもってアンドレは顔色も変えず「よし!」だって。
ちょ、ちょっと、アンドレ、初犯じゃないな!?告るの。だいたい「よし!」って何がよしなのよ?!
一見、けいこをつけてやるによしって言っているように見えますが、これは違うんじゃないでしょうか。
アンドレはもう何10回も告っているのでは?子どものころから、かんしゃくを起こすオスカルが
「こんな怒りん坊の僕なんか嫌いだろ?」
「いや、好きだよ。大好きだよ」
「・・・・・・好きだと?じゃあどこが好きが言ってみろ!」
「全部」にっこり笑うアンドレ。(男の子にありがちな全能の愛)
黙ったオスカルが、そのうち
「アンドレ、全部というのは無いのと一緒だ、ちゃんと区別してわかりやすく言え。」
「んーーっと」とアンドレは詩文を勉強して、オスカルの美しさや気質を褒め称えるように。ポエマーアンドレの誕生。
っということなんじゃないでしょうか?!だからアンドレが「よし!」っというのは、・・・ふふふ、今回の「好きだ」は上手くいったぜ。・・・・っということなんじゃ。
はい、妄想劇場にお付き合いありがとうございました。
要するに、登場時にはオスカル、アンドレは、親密度マックス。ただしそれは幼馴染としてです。
思春期を男女で身分差があるのに一緒に過ごすことはあり得ないのですが、これは2のオスカルが男として生きていることが大きいでしょうね。そして身分差は、おばあちゃんがしつこくしつこく言っているようにアンドレをオスカルから精神的に引き剥がし、アンドレは幼馴染の鎖から否が応でも外し、距離を置かれたんだと思われます。この辺は源氏物語の従兄妹同士幼馴染、夕霧と雲居の雁にも共通してます。夕霧が下位の位を与えられて引き離されなければ、多分大人の恋は彼らに訪れなかった。アンドレもね、もし身分差が同等だったら思春期を超えても彼女を思っていたかは疑問。幼馴染の鎖に囚われていたかもしれません。
しかし、アンドレにはこの幼馴染の鎖を外すのに身分差が有効だったのですが、オスカルにはそうじゃなかったです。オスカルは身分差と言っても上流にいますからね。一言、呼べば、アンドレは来るし、後に酒場で「おまえの出入りする場所にわたしが来て何が悪い、同じ人間なんだ、身分なんてくそくらえだ。」アンドレは、クスッと笑って怒られてますが。そうなんですよねえ、身分差は上から下を見るときは無くすことができても、下から上はとても高い壁が。
だから、ずっーーーーっとオスカル側にはこの幼馴染の鎖が残ります。
アンドレとは親密度マックスが故に、兄弟の位置付け。家族の1員。家族に恋する人間は、大人にはいないのです。そう、オスカルがアンドレに恋することはないのです。
多分、このままずっと行けば、オスカルとアンドレの関係は変わることなく続いていってしまったでしょう。
そこでフェルゼンの登場です。
長くなるので一旦、切ります。