ハンス・アクセル・フォン・フェルゼンは、ベルばらの主役の一人です。

何をいまさらーーっという感じですよね。うん、あらためて。

1巻の一番最初に彼が出てきてその出自を紹介され、最後の巻の最終ページにはその惨殺死体が載っている。まさに主役といえば主役なんですよねえ。エピソード編14巻の最後も彼の殺伐とした総傷だらけ状態でこんな姿でアントワネットさまとオスカルに会いに行くのかとか言っていますし。フェルゼンの死をもってベルサイユのばらが終結するのは間違いないです。

 

でもって、フェルゼンのファンももちろんいるけど、相当少数派ですよね。

だいたいフェルゼンてフランスにあんまりいないしね。

むしろ、物語が最終、オスカルとアンドレが亡くなってからが彼の本番ですよね。

私は負けの美学が好きだから、この最後の部分はいいと思います。ルイ16世との2度に渡る静かなる戦いとか。彼は耐えて耐えて、力を尽くして必死に負けていくのです。

彼は非常に男らしい生き方で、彼の生きた時代とその時代の規範を持ってすれば、非常に正々堂々と負けたと言っていいと思います。

 

でもベルばらではあんまり魅力的に描かれてないんだよね。そうそれは少女漫画だからね。

独立戦争の不在の間に国王夫妻には王女、王子が生まれちゃうし。愛に壮絶な嫉妬がないはずもなく。アメリカ大陸の戦争中、あとなぜか熱病で帰ってこないなんて、どう考えても現地で身を持ち崩してるんだか、あるいは現地妻がいるだろうっとか。

ベルばらはいろいろ相当スキップしてます。

 

大人のフェルゼンはもっと良くない意味で魅力的だと思います。そう、堕フェルゼン。2人の女主人公、アントワネットとオスカルに愛されるフェルゼンですが、完璧な貴公子であるはずがなく、相当にダークな部分もあったはず。

 

それでねえ、オスカルさまは性自認の問題があったので、フェルゼンを好きになる過程でという考察はしたし、オスカルさまの側の追考察はまた別に機会にしようと思うんですが、

 

今回はフェルゼンにとってオスカルは何だったのか?

を考えてみようと思います。

 

最初は生意気な自分より美形な近衛兵、王妃の信頼も厚いらしくできる男なのだなと見る。王太子妃の馬暴走の時追いつけず、その男が妃を抱いて落馬。従者を庇い男が王に訴え出た時、フェルゼンも訴え出る。

ここなんですけど、フェルゼンてバカ(いえちがいますね)いや非常に純粋な青年だと思います。確かに外国人だからここで前に出ても国外追放くらいにしかならないと考えたという可能性もありますが、無制限に牢に入れられる危険はあります。なにもわざわざこんなところで、他家の従者アンドレを庇ってやることなどない。ここではフェルゼンはオスカルのことを男だと思っていますから弱い相手を救おうとも思ってない。オスカルには兄同然の幼友達の従者アンドレを救う命がけの動機がありますが、フェルゼンにはないわけです。

事実まわりの人たちは恐ろしい専制君主ルイ15世の力を恐れて誰も何も言えない状態です。

フェルゼンの動機は「正義」。うん、信じられない。彼は奇妙なほど「誠実」な人間だと思う。だからこそ、アントワネットの騎士として国王にも信頼され、そばにいることを許されたのでしょう。

 

フェルゼンはどノーマルだと思うというのも書きました。フェルゼンはオスカルが女と知っても「誠実」さは変わらないんですよねえ。世の中には女と知れるととたんに下に見たり弱い者として扱う人もいるんですが。でもって、オスカルには心配して「女なのに寂しくないのか?」とか聞いてくる。

この辺にオスカルはどんどんヤられて、好きになっちゃうんですが。もともと「家族の一員アンドレを救うのに一緒に立ってくれた正義の人」ですからね。外には出さないけど、女心をちゃんと持っているオスカルのハートを揺り動かしまくりですよねえええ。

 

フェルゼンから見たオスカル。

フェルゼンはオスカルを女としては愛していないのですが、彼にとって彼女は特別な位置にあると思います。それは、なんというのかな、ある種の「指標」です。星座や灯台のようなもの。

フェルゼンはオスカルの忠告をよく聞いています。アントワネットさまのために忠告されれば国外に去るし、結婚の時もよく相談し言うことを聞いている。

「愛があれば結婚できるのか?」の後、オスカルに「おまえは結婚しないのか?」と聞かなかったのかなあ?オスカルが「いや、わたしは誰とも結婚しない。」と言ったなら、それを受けてフェルゼンは自分も結婚しないと決めたのではないのか?

フェルゼンは、フランスという異国での生活もあるのでしょうが、オスカルの影響を非常に受けていると思います。それは愛とはちょっと違うけど尊敬とか慕う感情ではあると思う。

独立戦争の時「わたしは逃げる」とオスカルにわざわざ告白しているんですよね。愛に迷った時、気弱になった時、くじけそうになった時、フェルゼンは必ず、オスカルに報告し、その位置を確認しているのです。

フェルゼンにとって、オスカルは灯台のようにまぶしく1点に立ちつづけてくれて、自分のアントワネットさまへの愛の道を照らしてくれる存在なのだと思います。

 

独立戦争終結後、堕ちた生活をしていた彼にフランス帰国の決心をさせたのも、たぶんオスカル的な何かであるような気がするし。

 

7月14日後、パリへ戻る馬車の中で「オスカル、オスカル、アントワネットさま」

とオスカルを呼ぶのも彼の中での指標がオスカルにあるからだと思います。

最後にジャルジェ将軍にオスカルのことを語るのも、そして物語の完全な最後で、アントワネットさまだけでなくオスカルが天国への道で出てくるのも。フェルゼンにとってオスカルはアントワネットという女性への愛とは別の人生を正しく進んでいくための指針のようなものだったと思うのでした。

 

フェルゼンは、オスカルとアントワネットさまがセットになっていたと思うのです。オスカルにアントワネットさまを守ってくれとお願いしているしね。

それが、馬車襲撃の時「わたしのアンドレ」を聞いて、

でもって、「フランス衛兵反逆」を聞いて、王室に反旗を翻したオスカルを聞いて、

どう思ったんでしょうね?このへん全く本編に描写がありません。

愛する男が平民だから、そっちに行ってしまったのか?と思ったか?

あんなに王妃さまに良くしてもらったのに。とか思ったでしょうか。

少なくてもフェルゼンは市民たちの革命思想などにはこれっぽっちも理解は示してないので「何故?」という気持ちはあったでしょうね。

 

でもそれからどんどん革命が進んできて、ついに国王一家逃亡の時、フェルゼンはたぶん、ここにオスカルがいてくれたらと思ったでしょうね。ミラボー伯が革命を裏切って王室派にもどっていたように、暴動はどちらが正義かなんてわかりません。

後のフェルゼンにとっては、あの日の逃亡がなければ国王一家の処刑がなかったかもと思ったかもしれないです。

そんな暗黒の日々ののち、神に召される日にはやはり彼の女神アントワネットとともに指標であるオスカルが現れたのだと思います。

 

 

 

 

それで、ぜんぜん別なんですが、

もし、アントワネットもアンドレもいない世界で、フェルゼンとオスカルが出会ったらどうでしょう。

2人とも戦士だからね。戦いの中、女戦士と歴戦の戦士が一緒に戦って、なんかで塹壕に閉じ込められちゃったりしてね。案外いいかもね、庇い庇われ合ったりしているうちに、仲良くはなるね、絶対ね。フェルゼンはオスカルの射撃の腕とか誉めたりしてそうね。うん。問題ない。ただ、話がベルばらでないだけだわ。

なんかどこにでもある話になりそう。戦士と女戦士の物語。やっぱりベルばらの核はOA、AOなんですかねええええ。