忙しい年末だというのに

アニばらのシャルロットの回と続いてあった「フェルゼン名残の輪舞」を見てしまいました。

 

シャルロットの悲惨な可哀相さしか覚えてなかったけど、今回はガブリエル(友達でも呼ぶ扱い(笑)、ポリニャック伯夫人のことね。)をよく見てみた。アニメでは未婚でロザリーを産む状況とニコールと恋敵関係であったことは出てこないのね。

この回はロザリーがたくましくガブリエルと対決しているわ。シャルロットはオスカルさまの胸から白いバラを奪い取るのね。

なんかやっぱり男の人の演出だからだろうけど、シャルロットは白いバラに象徴される純潔を失なうのが嫌で飛び降りたという文脈だよね。ギーシュ公爵にキスされたのを手を洗ったから大丈夫と白いバラを持つところとかね。でもって正常な意識を失う展開。

ガブリエルは「女はいずれ殿方に愛されねばなりません。」みたいなことを言う。原作とは違ったタイプの悪女だな。

この展開だとシャルロットは男に愛されなくても一生独身可能な清いオスカルに憧れていた感じになるなぁ。

あれだけ人がいてオスカルもいるのに誰もシャルロットを救えないのね。

アニメのオスカルの男性性はとても低いです。原作以上にシャルロットの王子さまになる気まったくなしね。

 

フェルゼン名残の輪舞なんですが、もともと絵が綺麗な回なんだけど、今日、フェルゼン視点で見て、すごいこれは傑作だ!と思いました。

それでわかった。アニばらの19話から後半のあの著名な演出家は、フェルゼン押しのフェルオスだったんだーーー!

アニばらはアンドレが超ずうずうしい。従僕のくせによく馬で主人のオスカルの前に出てるし、家でも足をテーブルにのせる、あぐらを組むなどお行儀悪い。1話でジャルジェ将軍をおじさんと言った時は自分の耳を疑いましたよ。アニメのアンドレは将軍の妹の庶子だと思います!おまえ、本当はオスカルの従兄なんだろ?!

 

戻るとアニメのフェルゼン無茶苦茶カッコいいです。パーフェクトな男らしさです。全然気がつかなかったけど同郷スウェーデンの恩師の戦死を聞いてアメリカ行きを志願するのね。でもってオスカルも無茶苦茶フェルゼンに惚れています。アンドレがオスカルの男性の礼装姿を勧める演出なのね。だからアニメのオスカルは原作以上に父とアンドレという男から男装をさせられているんだよな。

ああ、これだとあの蛍の回の「私はかつて フェルゼンを愛した・・・おまえに愛されているのを知りながら」という、”なぜにここでフェルゼンが出てくるんだ!”セリフがわかるわ。

この演出家はフェルオス推奨なんです。アニばらはもちろんいいところいっぱいあるんだけど肝心のところで腹立つ演出がいっぱいあるんだよな。夫婦になった、夫に従うとかさぁ。

 

でもわかった。これからアニばらを見る時は、これはフェルオスの人が作ったアニメなんだと思うことにするわ。だから、オスカルアンドレが如何にして1歩1歩、男と女の役割を交換していきながら、男女の性の本質に目覚めて、身分差を乗り越えて結ばれたなんてことには、これっぽっちも興味ないわけね。

 

原作なかったらアニばらのフェルゼンはどこかで男らしく不倫を振り切って、ずっと思っていてくれたオスカルと結ばれる方向で行きましたね。これだとオスカルは一人の人を思い続ける伝統的女性の役割なのよ。男の姿をさせられているけど心は優しい一途な女性。アンドレはそれを見守る幼馴染役。

 

いやー、泣くわ、泣いちゃうそれ。アンオスorオスアンとしては。

 

アンオスorオスアンが圧倒的に多いベルばらですが、たぶん、たぶんね、連載時はフェルマリもいたし、ベルロザもいたんですよ。

でもフェルマリは不倫ものの傑作なんて世の中に山程あるし、ベルロザもさらわれ願望の作品なんてハーレクイン・ロマンスにいっぱいあるんだよね。ベルばらでなければならない意味がない。だから、50年を月日をものともしないコアなファンは、結果的にアンオスorオスアンが残るのだと思う。

 

オスカルアンドレの関係性は他に例を見ないから。

オスカルはただアンドレの愛にほだされて応えたんじゃないのよ?

彼女自身が真の愛に覚醒し、性に目覚めて行く過程が描かれないと辛いなぁー。

今度の劇場版はその辺がわかっている制作陣でありますように。