イ・ミョンウ監督 「17対1、七姫、扶余の白虎、こんな伝説聞いたことある?」

クーパンプレイ <少年時代>

 

 

 

 

 

 

1989年、忠清北道の扶余 (プヨ) は熱かった。学生たちは「数学の定石」(数学の参考書) や「成文総合英語」(英語の参考書) ではなく、鍬とつるはし、三角定規とプライヤー、モンキースパナを手に学校の名誉と男の存在感を見せつけようと血眼だった。このジャングルのような町にイム・シワンが現れ大騒動になる。果たしてイム・シワンは生き残ることができるのだろうか。イ・ミョンウ監督のクーパンプレイシリーズ <少年時代> の話だ。
 
SBSドラマPDで <チャミョンゴ> <ジャイアント> <大物> <武士ペク·ドンス> <ファッション王> <パンチ> <熱血司祭> など数多くのヒット作を出したイ・ミョンウ監督に会って <少年時代> について聞いてみた。イ・ミョンウ監督は2019年にSBSを退社し「THE STUDIO M」を立ち上げ自分の作品を作っている。キム・スヒョン、チャ・スンウォン主演の <ある日> に続き、クーパンプレイ作品2作目だ。
 
 

<ある日> (2021) に続き、クーパンプレイとは2度目だ。
<ある日> の時、いい経験をした。今回の作品でも、クーパンプレイ側から尊重されている感じがしたし、クリエイターの領域で護られているような雰囲気が良かった。<ある日> で培った信頼関係は確かなものだった。監督は創作面で自律性を持つのが重要だが、100%信頼感を与えてくれた。表現のしかたから始めてポストプロダクション段階に入ってもそうだった。迷わず今回の作品もクーパンプレイとする事にした。登録者数が重要ではないが、影響力はあったと思う。
 
 
<少年時代> は (監督が) 今まで見せた映像よりソフトすぎる。どちらかというと <英雄本色> (男たちの挽歌) のほうが似合いそうなほどだ。
最初の段階で仮題は <臥虎杖竜> だった。臥虎蔵龍の意味には、このシリーズのヒントが詰まっている。この作品がどこを目指すのかが明確に出ていた。ところが撮影に入ると事前広報のための本当のタイトルが必要だった。いくつか話し合った。監督としては <少年時代> が見せようとする内容、テーマと合っているようだった。青少年期に経験しそうな話、もちろん膨らませた暴力はあるが、これには二つの意味がある。少年時代を経験した中高年層には「俺たちも昔はああだったよな」と思い出す過去の郷愁があるだろうし、今体験している、あるいは経験したばかりの人も似たような少年時代があるということだ。<少年時代> とは言っても、もう少し身近に感じられそうだった。大げさな話ではなく、素朴な話の方が似合うと思った。


イ・ミョンウ監督はSBSで多様なジャンルのドラマを演出してきた。<不良カップル> <チャミョンゴ> <武士ペク・ドンス> <ファッション王> <熱血司祭>などだ。ところが前作 <ある日> に続き、この <少年時代> だ。強弱をつけているのか。
どんなジャンルでもうまくやればいい演出家といえる。貪欲ではあるが色々なジャンルをやりたかった。重めのディープなジャンルをしていると、少しは軽い作品をやりたい気持ちになる。それで正反対の作品をすることにした。軽いながらも、次はもっと重い作品にしたかった。コメディーとは違うジャンル物 (犯罪、サスペンス、ミステリーなど、パッと分類できるもの) の撮影だと現場の雰囲気もかなり違う。そんな現場では力が入ってしまう。一つに偏るのではなく、さまざまなジャンルをやってみようと努力している。それが楽しい。人生は常に学ぶものである。世の中を覗いて、悩んで、踏み出したい。そんなメッセージを伝えたい。一つのジャンルに偏ればマンネリズムに陥ることもある。


<応答せよ> シリーズの演出者が、1980年代のソウルの様子を画面に収めるのは難しいと言っていた。どこを写しても (昔と) 変わっているところが多くて。衛星放送の丸いアンテナがあちこちにあると。今回の撮影では、ロケをどう進めたのか。
まったくだ。1980年代の街並みが残っているところがない。それに今回の作品は市内の1か所だけではない。田舎の風景、市街地の風景、学校などすべて揃った場所が必要だった。それは不可能だった。それで全国各地を歩き回った。場所を分けて撮るしかなかった。それでもやむを得ない今風の景色があって、ひとつひとつCG作業で消した。監督の私と作家は、あの頃「ビョンテと同年代」で生きてきた経験があるし、あの時の状況を確かめるのに有利だった。私と長く仕事をしてきたスタッフ、撮影、美術など主要スタッフもあの時代を生きたおじさんなので、楽しく盛り上がりながら作業した。「これだよ、これ」と楽しく作業した。撮影していると思い出の旅に出るようだった。不思議な体験だった。
 
 
撮影で一番大変だったのは?
ロケが大変だった。地方の撮影で移動が大変だった。出張撮影の難しさには寂しさもある。撮影が7、8、9月だったので、今年は本当に記録的な暑さで雨も多かった。それを避けて撮影しなければならなかった。チャレンジャーのようだった。
 

俳優のキャスティングは?
ビョンテを任せられる俳優は誰だろうか。イム・シワンという良い俳優がいた。何よりもその俳優が持つ真面目で誠実な姿が気に入った。ビョンテをうまくやってくれ、10話が終わる頃にはさらに成長しているだろう。このキャスティングは挑戦だった。ビョンテだけでなく、他の俳優も新人を多くキャスティングした。それは、すでに視聴者に刻印されたイメージではなく、新しい人物としてキャラクターが受け入れられることを望んだ。オーディションを半年以上かけて熱心に取り組んだ。そこで多くの新しい顔を見つけられた。
 

ビョンテを演じたイム・シワンの演技変身には驚く。イム・シワンは今まで「コミック」のイメージとはかけ離れている感じがした。
今までコメディーを何本か演出してノウハウを身につけた。イム・シワン俳優は慎重なタイプだ。構成に私の戦略があるのだ。最初から「笑わせようとするな。絶対コメディーをするな。キャラクターだけ見て行け。コミカルなものは私が他のところで考えてあるから」と話した。誰が見てもコミカルなイメージの俳優をキャスティングしないようにした。どの役も。なるべく避けようとした。
 
 
「扶余の黒クモ」を演じたイ・ソンビンは?
ビョンテ役とジヨン役は、自分を捨てられる俳優を見つけた。どうしても男性俳優などは撮影が進むと格好よく見せようとする傾向がある。取るに足らない演技をしながらも一度くらいビシッと決めたがる。そんな気持ちを捨てられる俳優が欲しかった。イ・ソンビンは今風の俳優であり、今まではセクシーなイメージに近かった。そんな女優を80年代の忠清道の少女に変身させるのは大きな冒険だった。1話を撮っている時にイ・ソンビンの顔にそばかすのメイクをしたかったが「壊れてみよう」とは言えなかった。女優は次の作品をしなくてはならないから。撮影を始めた時にソンビン俳優が「私、うまくできていますか?」と言うので、私がポソッと一言言ったのだ。「あ、よくやった。そばかすを撮りたかったが…···」と。すると「監督、私もです。壊したいです」と言ったのだ。そこから生まれた。キャラクターのために可愛いさとかっこよさを捨てなければならない。それでキャラクターが完成するのだ。そこがコメディには重要だ。この作品にはアクションシーンがたくさん出てくるが、視聴者に真実性を与えるためにも必要だった。


<少年時代> と地上波のドラマとの大きな違いは「喫煙」シーンかと思う。地上波を辞めてOTT作品をするようになってから変わった点だろうか? タバコを吸うシーンが溢れていることについて。
SBSでは20年間ドラマを作った。最初の頃は喫煙シーンがあった。ある時から喫煙シーンがなくなった。すると酒を飲むシーンが増えた。表現する術を止めると他のものが出てくるのだ。表現の自由とは別に、クリエイターが何かを作ろうとする時に規制がかかると代わりを探すのだ。素材が進化し、作家と監督は自分が考えたものを表現しようと悪い方向に探しているようだ。(OTTで) シリーズ物を作っていると、表現の自由はできたが、そのような別の悩みはある。喫煙シーンが入ると「15歳以上観覧可」のハンディキャップを抱える。にもかかわらず悩まざるを得なかったのは、このシリーズを最後まで見る視聴者にメッセージを伝えるために必要な表現、アイテムだと思ったからだ。多少やりすぎかと思うほど出てくる。それは私に与えられた自由だが毒にならないようにうまく生かそうとした。放送局で長年働いてきたので自分でチェックしながら (喫煙シーンが) 必要だと思ってやった。究極のアイテムだったと思う。
 
 
高校生が大活劇を繰り広げる。「美しい時代」を描いたわけではないかもしれないが。
これは企画段階から「18歳」にすると始まったのだ。テレビシリーズは誇張がどれほど上手くできるかの芸術だと思う。「これは現実なんだ」と自覚するのが大人になる18歳だと思う。18歳以上なら作品で言おうとしているテーマが十分わかるだろう。素材には限界があり賛否両論あると思う。まだ4つのエピソードが残っている。全部を見たら製作者が言おうとしていることがわかるだろう。ここまでは順調に進んでいると思う。


監督は地上波のテレビドラマの演出者を務め、放送局を飛び出した。以前からPD/監督になりたかったのか。
私が少年だった頃、夢がたくさんあった。「僕がテレビに出られたらどんなにいいだろうか」と思った。私が子供の頃はテレビが一大 (いちだい) エンターテインメントだった。TV業界に漠然とした憧れがあって映像/映画の仕事をしようと努力をたくさんした。関心もたくさん持ち、大学院でも勉強もし、自然と放送局に入った。SBSにいた時を思い返すと、みんな学校に通っていた時に勉強を頑張って、人文系 (工業高校、商業高校以外の高校) で言論考試をした人がほとんどだが、明らかなのはみんな学生時代にそのような夢や情熱、才能があふれていた人だった。私はPD、プロデューサーをして監督に落ち着いた。道が違うそれだけで基本的な欲望は同じだと思う。

そして、なぜ放送局を出たかというと、私が作った作品が知られ、知名度があがっても枠に縛られず様々な作品ができる自由を得たかった。放送局で働いている時は段階がある。CPと協議してOKをもらい、本部長に通して部署会議を通して、とドラマ化されるまでの過程が多い。そのシステムを通す事によって失敗の確率を減らすことができるが、フィルタリングを通していくうちに丸くなりエッジが取れていく感じがした。そうではなく、自分の勘と、自分が全てを考える作品を作りたかった。それでフリーランサーを選んだのだ。

今は製作会社をしているが、この作品も私が企画し、作家と一緒にドラマを作る一連の過程に味があると思う。私たちがドラマを一つ作ることが価値を作ることだ。社会問題をリードし、文化を作り出すのに一役買うのは難しいことだが、それが面白い。もっと時間をかけたほうがいいとも思うが、それでもいい。
 
 
<少年時代> の反応を肌で感じるか。
ドラマに出てくるセリフをみんなが真似してくれて「イ~」「~イン」といった忠清道の方言をよく耳にする。バスで、地下鉄でその言葉を聞くと「ああ、本当にたくさんの人が見ているんだな」と思った。


<少年時代> はどのように企画されたか。最近の傾向だとウェブトゥーンのような原作をドラマ化するのが主流だが。
これは100%オリジナルだ。私が製作する側として一番聞かれる質問でもある。ラクな道が多いのに。マッチングした作家と一緒にやるのが簡単だ。それよりも最初から全くないところから何かを作るのが面白い。私もリメイクしてみたし、今は原作をもとに準備中のものもある。どちらが優れているかに価値は置かない。新しく何かをすることは世界観を作ることができるし、明確なメッセージを伝えることができるということだ。<少年時代> の世界観は広い。ここから派生するシリーズが出ることもあるだろうし、また別の作品を作る踏み台になることがあると思う。難しくはあるが、面白さもあり、自分が望む色、形で物語を作れるという点が創作の大きな喜びだ。このキャラクターの名前を「ビョンテ」にしようと名前を決めた瞬間、そしてそのビョンテのストーリーが撮影チームとの連携で描かれる時、胸がいっぱいになる。そして、10部が終わった後、ビョンテは何をしているのだろうと考える楽しさがあった。そこに意味があると思う。


監督の作品意図と視聴者の解釈の違いについては?
コミュニティで、作品を見た様々な解釈を見た。苦言も。それはどれも関心かと思う。大衆文化の核心は関心を持ってもらうことが重要だ。<少年時代> のネタは学校で生き残っていく記録だ。簡単な素材ではなかった。最後まで楽しく見ていただきたい。終わった後に、こんなメッセージだったんだ、考えもしなかったと思ってほしい。今年一年が終わろうとしている。休息が必要な方々には幸せの価値を十分に感じることができると思う。


<少年時代> はクーパンプレイで公開される。クリエイター、製作者としては、もっと多くのグローバルなプラットフォームでの公開を望むのではないか?
制作会社としては国内を越えて世界的に多くの視聴者数を持つことが重要だと思う。それが大きな宿題でもある。<ある日> も程度の差があるが世界市場に放たれた。より広い市場に参入は解決すべき課題である。<ある日> はATA (アジアンテレビアワード) で監督賞を受賞した。どれだけ多くの国に公開され、どれだけ多くの人が視聴するか製作陣としては損得をよく確かめなければならないだろう。集計方式も違うだろうし。
 
 
コメディーということで特に気を遣った点は。
コミックジャンルをする時、一番悩むのが本当に面白いかだ。現場で撮っている時はとても面白いと思っていても編集した後に笑えなければ失敗するのは目に見えている。以前、コミックドラマを撮る時に感じたのは、まず中高年男性には通用するという確信はあったが、もっと若い視聴者、女性視聴者にも通用するかどうかに一番悩み、チェックした。それで現場で「面白い? 本当に面白い?」と聞き続けた。今回のドラマでも編集本が出るとCG、DI、音楽チームなど各パートに反応を聞いてみた。今回は、みんな「面白い」という反応だった。それで「これはいける」と期待した。

 
扶余を鎮めた拳について。あの時代、そういった学校の伝説が必ず一つはあった。監督の学校もそうだったのか。
似たような年代だった。だからよく知っている。伝説の中に出てくる「17対1」のような「お約束」の設定を全部集めてしまおうという不埒な考えから始まったのだ。オリジナル企画では、ソンファは七姫の一人だった。ところが製作費の関係でトロイカ (3人体制) に変わった。過去に聞いたことがあるような話、事実かどうか全く確認できないが、皆が事実だと信じていた、そんな漫画のような話をしてみようと企画したのだ。キム・ジェファン作家も同じような年代を生きてきたので話を面白くできたと思う。


全10部作だ。今後、話はどう展開していくのか。
<少年時代> は全般的なトーンがコメディーだ。わかりきったハッピーエンドにはしないようにした。結論をそうはいかないだろうと想像できるし、予測から外れることはないだろう。漫画のようだが現実のようなものだ。そんな予想を超えたくはない。大げさでコミカルに、そこに焦点を置いた。

エンディングはまず楽しく豪快にしたかった。つまりは監督が伝えたいメッセージをコミカルに甘さで包んで視聴者の口に入れたかった。全部を見て、私のメッセージがうまく伝わるといい。キム・ジェファン作家と話をたくさん交わした。
 
 
 
 
 
作品をいくつか準備中だ。法曹シリーズ、テレビドラマ「ロマンティックコメディ」を準備中だ。ハリウッドとも2つほど準備中だ。来年下半期の撮影を目指している。映画とドラマだ。THE STUDIO Mで作るのだ」と打ち明けイ・ミョンウ監督は「<少年時代> 面白い。9話、10話はかつてない面白さ」と重ねて強調した。

じゃじゃん!「ニセ白虎」という事実がばれたビョンテ、厳しい扶余農高での日々を無事に終えられるのだろうか。<少年時代> はクーパンプレイで毎週金曜日に公開される。全10部作。
 

 

まだ見ていないのにブログにあげるのは心苦しいのですが、監督のお話を聞いてますます見たくなってきました。

監督、演出する作品によってヘアスタイルが違うんですって。

< 少年時代> は、このロン毛なのですねグラサン