<スマートフォンを落としただけなのに> イム・シワン
「この役をせずにはいられなかった」
 
 

<スマートフォンを落としただけなのに> で、ジュニョンは拾ったスマートフォンから情報を集め、そこから殺人を計画する。映画の製作報告会でキム・テジュン監督は、ジュニョンを演じたイム・シワンについて「最新のスマートフォンが人になったとしたら、それは彼」という話をした。<スマートフォンを落としただけなのに> は連続殺人鬼、いや、それ以上にスマートフォンが恐怖の対象になる作品だ。そこにイム・シワンのきちっとした個性をちょっとひねれば、新しいタイプの恐怖を生み出せる。
 
 
 
ネットフリックスオリジナルの映画ではないが、ネットフリックスのプラットフォームとよく合っていると思った。
これは自画自賛になってしまうが……(笑)。仕事が終わって家に帰るとネットフリックスをつけるのがいつしか習慣になっていたが、<スマートフォンを落としただけなのに> の予告編を見て、これは自分が参加しないにしても見たい映画だと思った。ネットフリックスでこの映画を見たが、ネットフリックスのロゴが (本編の) 前に出るとどこか感じが変わった。映画を見るとさらに引き込まれる感じが良かった。確かにネットフリックスならではの感性があるようだ。
 

キャスティングにオファーされた経緯は。
(キム) ヒウォンさんが「久しぶりに会おう」と僕を呼んだ。コーヒーを飲みながら何時間もおしゃべりした。帰りはヒウォンさんが家まで車で乗せてくれた。降りる時に「実は良いシナリオがあるが、一度読んでみないか」と持ちかけてきた。今まで読んだシナリオの中では群を抜く、しっかりしたプロットの文章だった。最初はジュニョンが社会悪のキャラクターなのでオファーを断った。名が知れている立場として良い影響力を見せたい気持ちと、俳優として良いシナリオを選ぶ使命感がせめぎ合って悩んだ。ところが断った後もシナリオがずっと頭に残った。演技をせずにはいられなかった。「どうせやるなら思い切り悪い姿を見せてやろう」という気持ちで参加することになった。
 
 
YouTubeでスマートフォンの修理を学び、AI音声機能を犯罪に使う、新しいタイプの犯罪者キャラクターのジュニョンをどう解釈してアプローチしたのか。
ジュニョンのキャラクターを形にする時、設定よりも彼が心酔する情緒に集中した。人より機械の扱い方や心理戦に長けて優越感があったはずだ。何度も人を殺してきて、他人のアイデンティティを集める過程が彼には面白い遊びであり趣味だった。
 
 
 
 
設定が気になるキャラクターだが、設定よりも今現在に集中した演技が興味深い。
善悪が区別できない犯罪者を演じた <非常宣言> では、自分で幼年期から設定を作った。<スマートフォンを落としただけなのに> のジュニョンは自分の手で収集するアーティストに思えるが、そう考えてアプローチすると全体的なストーリーラインが描かれて、あえて設定を作らなくても役にアプローチできると判断した。
 

映画 <サーチ> 以後、スマート機器の画面を活用した演出が新たなトレンドになったようだ。
映画を見るほうとしては、撮影の専門知識がなくても新しい感じを受ける。ジュニョンは観察する立場なので、ナミ (チョン・ウヒ) ほどアングルを正確に合わせる撮影は多くなかったが、今、編集されたカットの中からカメラを携帯電話のように取って顔が出るように撮ったシーンがある。感情も重要だが技術的にも難しく、本当に気持ち悪くなるくらい (笑)そのカットを何度も撮った。
 
 
同年代の俳優の中では、演技力に長けた俳優との共演だ。ナミ役のチョン・ウヒ俳優との作業はどうだったか。
さすがだった。ウヒさんは我が国屈指の俳優だ。あえて僕が言わなくても皆は認めざるを得ないだろう。そのような俳優と共演することに意味があった。以前から挨拶をする間柄だったので、すぐに親しくなり楽に撮影に臨むことができた。今回、知ったのが、ウヒさんのように吐き出すエネルギーを見せる俳優は、普段も気が強そうに思えるが、普段はとても落ち着いているということだ。それでも撮影が始まると、ものすごいエネルギーを見せてくれる。テイクが何度も続くと感情が薄らいでいくこともあるが、それを気にも留めず最初のエネルギーを最後まで通すウヒさんの姿に、演技に対する熱い執念が感じられた。