<ミスターサンシャイン>

ピョン・ヨハン「イ・ビョンホン、ユ・ヨンソクに多くを学んで撮影した」

 

 

 

tvN<ミスターサンシャイン>で、キム・ヒソンは新聞社の編集長になって歴史を残し、演じた俳優ピョン・ヨハンは歴史の中に埋もれた幾つものキム・ヒソンを再確認させた。冗談によって隠された本心は重く、努めて作った笑いは切なかった。ピョン・ヨハンが表現したキム・ヒソンは無用なものを愛した独立活動家以上だった。遊び人のように見えるが、常に何かをしていたキム・ヒソンのように、1年半の休みでさらにたくましくなったピョン・ヨハンに会った。

 

 




<ミスターサンシャイン>の撮影が終ってどう過ごしているか。
短編映画を撮影しに済州島に行ったし、このようにグラビアも撮って休めなかったです。それでも1年半の間、自分に必要な時間を過ごせたので仕事ができてありがたいし幸せです。

 

 

 


作品を選ぶ時、キャラクターよりメッセージに重点を置くといったが、<ミスターサンシャイン>にはどんなメッセージがあったか。
重みのある話でした。歴史的な話を慎重に扱っているでしょう。その時代にこの方たちがいたので今の自分たちがいるんだと思います。感激して慎重に参加することになりました。

 


<ミスターサンシャイン>は、自分が生きていない時代なのに、どうアプローチしたか。
まずは外見から、髭を伸ばして。歴史の勉強、日本語の練習などしました。本やインターネットでも勉強したし、ハン・サンジン兄さんが出演した歴史バラエティ、チャンネルAの「私心充満 オー! 快男」を教科書のように視ました。歴史的な部分やスタイル、言葉が少しずつ身に付いて、台本を見た時に視野が広がりました。

 

 




製作発表会の時に「不安だ」と言っていたが。
撮影中に製作発表会をしてヒソンという人物に心が揺れ動くことが大きかったです。その時は不安だと言ったが、心の中ではいろんな感情がありました。ドラマではキャラクターも歴史的な部分も表現しているが切なかったです。今は撮影が終わって間もないが心寂しかったです。寂しいという言葉はあまり使わないが、そんな気持ちになりました。

 


キム・ヒソンは一番明るく見えるのに悲しいキャラクターだった。キャラクターを解釈するにあたって最も重点を置いたのは?
世の中で見動きできなくなり自由を探し求め、やっと息をして生きているが、ある人に会って目覚め、心が揺れ動き、前からわかっていた恥を今になって思い知らされた人物です。その恥に対して自分から申し訳ないと言う人物だったんです。多くの苦悩と、強い想いがあったと思います。それを上手く表現できたかどうかは分からないが、作品に臨む時は「ほんの数パーセントでも表現したい」という気持ちでした。愉快で楽しいセリフを言っているが、心の中は腐りきって収拾できず辛い人だったので、笑っていても悲しくても孤独でした。

 





撮影当時、キム・ヒソンが持つ力に負けたくなかったと語っていた。撮影が終わった今、どんな気持ちか。
撮影は終わったが、まだ放送中で最後の回が終わった時に感じそうです。今は視聴者として見ているが、気楽に見られない作品でおもしろいだけではありません。

 

 

 


キム・ヒソンが持つ力は何だったのだろうか。
本当に素敵な男だし、男である前に素晴らしい人でした。誰かに心から謝罪すること自体が簡単ではないでしょう。その真心を感じてこそ相手方も謝罪を受けるのだから。心から恥じて謝罪すること、愛する人を送ること、銃と剣が自分に向かっても動じないで笑えること。そんな決意がとても強く感じられました。表面では遊び人のようで、信念が曇る人のように見えるが何かをしていたと思います。表面に現れないだけで、中では思いめぐらせていただろうって。日本に留学して知識と信念が満たされた時に朝鮮に来たと考えました。

 


コ・エシン(キム・テリ)は、そんなキム・ヒソンに起爆剤のような役割をしたのか。
キム・ヒソンにとってコ・エシンは、最初から賢い人に見えていました。貴族の淑女がハム・アンテクと洗濯物を干している姿からして人間らしくて美しかったです。それで「花のようだ」という表現が出たのだと思います。どこかにただ座っていただけなら一目惚れしていないと思います。それまでの精魂者の姿を崩させたでしょう。

 

 

 

 

コ・エシンとの愛は切なく、ユージーン・チェ、ク・ドンメとのブロメンスが目をひいた。彼らとの友情はどうだったか。
言うまでもないです。後輩の立場で、先輩方に多くを期待できて、多くを学んで感じた時間でした。

 


キム・ヒソンと同じ状況ならどんな選択をしたか想像したことがあるか。
以前は考えてみたこともありました。深くは知らなくても歴史的な関心と考えがあったが、<ミスターサンシャイン>を撮影してからは気軽に話せなくなりましたよ。独立活動家がとても尊くて素晴らしくて、当時はどれくらい怖かったか見当もつきません。それで、ああだこうだと言えないと思います。ですが<ミスターサンシャイン>をやって僕も目を覚ましたのでしょう。





キム・ヒソンは文の力を信じて新聞社の編集長になった。自分としては文の力と銃の力のどちらが強いと思うか。
その時代は文の力が強かったようです。実際もそうでしたし。文がなければ世の中を生きていけますか? 僕は生きていけないと思います。文も聞くことができて香りがあると思いますね。これは作品をしながら感じた部分でも、心の底から感じた部分でもあります。銃はすべてを消してしまうじゃないですか。文は残っているということだよ。

 

 

 


もし、現実に編集長になるなら、書きたい文やインタビューしたい人がいるか。
両親にインタビューしたいです。子供と親との関係ではなく、インタビュアーとインタビューイーとして。自分の知らない事を全部聞いてみたい、もっと知りたいです。30代になって両親とよく話すようになり、愛情表現もたくさんしたが、今の気持ちはどうなのか、どうやっていくか、したい事は何なのかを聞いて覚えておきたいです。

 


ふだんから何でも残しておくほうか。
ドキュメンタリーが大好きで自分の姿をなんでも撮ります。自分を知りたくて。健康状態、やってみたいスポーツ、甥を初めて見た時、犬と散歩する時など残しています。自分のドキュメンタリー、ピョン・ヨハンライフを撮っているんです。どこかに見せる為ではなく、覚えていないような部分を覚えていたいから。

 

 




人気より演技欲があると言っていたことがあった。作品選択や方向性にかなり悩んでいそうだが。
人気を得たいと言って得るわけでもなく、作品が上手くいきたいと言って上手くいくわけではないとわかっています。演技をする側としておもしろい事をしたいです。メッセージも重要ですが。1年半の休みの間にいろんな事をしてみましたよ。でもやっぱり演技が一番おもしろかったです。

 

 

休みをとる理由は特にあったのか。
ただ、休みたかったです。早すぎるんですよね。出会ったキャラクターも、自分の中にあっという間に来てあっという間に離れて行って、他の作品をしながら整理がつきませんでした。頭が休んでいないうちに、また元に戻るようで色々と感じることができなかったです。自分は複雑なのが好きではない人なのに、頭の中がごちゃごちゃして休みたかったです。その時、遊び人とよく言われました。皆が「今は熱心にしなければならない時なんじゃないの」というその言葉は聞きたくなかったです。「あえてここでしなくちゃ」と、遊びたかったし、勉強したかったです。いい夢のような時間でした。会いたかった人たちに会って自分を探すことができる時間だったようです。




休みの中で何が一番おもしろかったか。
出来上がったフィギュアを買って来て、そのあとでパーツを買い足して一体作りました。好きだった思い出のスター、憧れの人物を。水泳、ボクシングなどもしたし、ドラム、ウクレレ、ギターも買いました。映画<ウィプラッシュ Whiplash>ではないが、好きな映画のOSTを自分で演奏してみたかったんですよ。花もいろいろ買って家に飾って料理もして。仕事をしていればできない事を全部しました。色々なものを学んだが、一番良かったのは古い友人に会って話をする時でした。幼い時の香りを感じながら純粋に話をする時が一番良かったようです。

 

 

 


自分が出演した独立映画をたまに見るといったが、昔の作品を見る理由は?
昔の作品を見ると、その時を思い出します。作業していた環境と激しかった気持ち、その時の自分が感じられますね。どんなに寒かったか、どんない大変だったか、どんなに辛かったのかを全部思い出します。そんな事を思い出しては今に感謝、その時の感謝を感じます。よく持ちこたえた気もして。一方では、その時の演技は飾り気がなくていい感じです。もう戻れないとわかっているからです。

 


韓国映画アカデミー(KAFA)出身俳優ピョン・ヨハン、イ・ジェフン、リュ・ジュンニョル、パク・ジョンミンの集まりを「KAFAZ(カッパズ)」と呼ぶよ。4人で作品を撮るならどんなジャンルが似合うだろうか。
ぱっと思いついたのが、カーレーサーだったらおもしろいかなと。カーレーサーになって延々と走ったらおもしろいんじゃないかと浮かびました。それぞれに違った四人が運転した後、みんなでカフェに集まって話をするんです(笑)。

 





独立映画から始めて足場を固めて来た。韓国映画を導いていかなければという責任感、プレッシャーもあるか。
どうやって引っ張っていきましょうか(笑)。それには選ばれなくては。押す人になることはできると思います。引っ張っていく人は別にいて、自分が押す人になるとはいっても、韓国映画のためになら何でもできるでしょう。

 


<ミスターサンシャイン>で「ハンサムな朝鮮人」と「바등쪼(바보-バカ 등신-あほ 쪼다-まぬけ)」の中で「まぬけ」を担当した。ニックネームに満足しているか。
おもしろかったです。もっと面白いのは「ハンサムな朝鮮人」というニックネームをもらったのに「まぬけ」だなんて。僕はピョン氏なので、小さい時からニックネームがなかったです。あっても「ピョンヨ」ぐらいでしたよ。それで「ハンサムな朝鮮人」「まぬけ」どちらも良かったです。바등쪼の中で優位を選ぶのは難しいが、それでも「まぬけ」は可愛くないですか(笑)。


 


キム・ヒソンは、月、星、花、風、笑い、冗談といった無用なものが好きだと言った。ピョン・ヨハンが好きなものを詠んでみるなら。
無用なものも、有用なものも好きです。10代の時はどれも好きではなかったです。不満が多く、やりたい事だけしました。20代は、人が怖くて会いたい人にだけ会っていました。なのに今は、みんな好きです。変わってきたんですね。むしろ良い人が多いなと感じて。誰もが人に対する傷があるだろうが、傷つくことになっても「そうか。しかたないな」と考える術を知るようになりました。

 

 

 


キム・ヒソンは「流されるまま生き、止まった所で死ぬのが夢」と言っていた。同じ理由で夢があるなら。
とてもかっこいいでしょう? そこを学びました。俳優生活をして自然に流れるように生き、止まらなければならない時に止まりたいです。

 


あるインタビューで「幸せに暮らさなければならない」とよく思うと言っていた。幸せに暮らすために失わないでいるものがあるなら。
感謝することだと思います。それがかなり大きいです。感謝することを知らずに生きてきた事が多かったんですよ。お母さんが作る家のご飯がどれほどおいしいのか、そばにいてくれる友達がどれほど大切なのか、10代の時にはわからなかったんです。今はすごくありたがい。忘れないように「ありがとうございます」と事あるごとに言って暮らそうと心がけています。

 

 

 


エディター チェ・アルム

インタビュー パク・スイン

フォトグラファー イ・ギョンジン

ビハインド フォトグラファー ユン・ダヒ

スタイリスト パク・チョロン

ヘアー キム・スチョル(スンス清潭胸のときめき)

メイクアップ パク・チョンアン(スンス清潭胸のときめき)

 

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