けいおん!の第二期が決定したそうですね。


なので、けいおんをまだ見てなかったのでみたのですが、普通に面白かった(笑


あぁいう人たちってなんかいそうだよなぁ・・・wと思いながら観賞してましたわw



そういや、けいおんみてて思い出したのですが、本来、音楽というのは元々哲学の一つだということを知ってましたか?



え?何故、音楽が哲学なの?と思われるかもしれませんねぇ。


まぁこれは古代ギリシャのソクテクスという人物の経歴をたどっていくとわかるのですが、まず哲学が本来は何なのかですね。


まずそれを説明します。


今の哲学の始まりというのはソクテクスと呼ばれる人物から始まったのですが、まず、ソクテクスは自分は何も知らない、無知だということを自覚することをしたそうです。


そして、それを受けつつソクテクスの弟子であるプラトンは次にこう考えたそうです。


物事、そのものの本質を知ることが哲学の目標だとした。


これにより哲学は真理の愛へと確立することになった。

また、哲学を「死の練習」と捉え、魂
の不滅性を信じて平然と死
ぬことができるように心の訓練をすることが哲学の使命だとした。


そして、哲学問答を学ぶための準備としてピタゴラス派の知の訓練が役立つと判断し、数学を取り入れたのです。


その結果、国家でも数論と算術、幾何学、音楽、天文学を学ぶのが良いとして少年時代にこれを学ばせたそうです。


また、音楽は古い頃は数学と関係しているといいましたが、その理由が、音階と比率は深い関係があったからだそうです。


なので、昔は音楽というのは数学の一部だったんですよ。


今となっては、現代と考え方は違いますが、こういう歴史をたどっていくと自分たちが何故、因数分解なんていう使いもしないものを学んでいくのかという理由が見えてきますよね~。


実際、今のいう自然科学というのも昔は哲学の一つであり、第二哲学とも呼ばれていたそうです。


それが段々とわかれていた結果、物理学、社会科学、文学・・・などに別れていったんでしょうね。


本来、これらを学ぶ理由としては今では多分、物事の本質を知るということが本来の目的なんでしょう。



今の社会でも、やはりどこかズレているきがしますし、本質を見失っているのかもしれませんね。


もし、本質を知ろうと思うのなら、きっと人は何かを学んでいくべきということでもあると私は思います。



現代において好きなことが見つからないということは決してないと思いますし、それを見つけ出してやることで物事の本質が見えてきて面白さや楽しさがでてくる。


そして最終的に、物事の本質をしることができる。


きっとこれは何をやっても同じことなのかもしれません。


ただ、それに気づいていないだけで、見えているんだと思います。



勉強をすることでも、絵を描くことでも、楽器を演奏することでも、運動をすることでも、きっとそれを続けられる人というのはその本質そのものをもう知っているからなのかもしれません。


いわば本質というのは面白さや、厳しさ、楽しさのことなのかもしれませんね。


おそらく、まだ私がしらない本質はあると思います。


本質にとらわれず、何かを見つけ出せるかもしれません。


その辺の考え方は、人それぞれなので自分自身でもよく考えてみると面白いかもしれませんね。^^



きっと私以外の考え方というのはあると信じています。


人の数だけ考え方があるということはそういうことなのです。



End




皆さんは情報はどういったものだと思いますか?


人々に社会の現状を教えてくれるものですか?


戦争の悲惨さを教えてくれるものですか?


日常にどのようなものがあるのか知らせてくれるものですか?


そして、最後に問います。


情報は変わっていくものと思いですか?



多分、殆どの方がそれはそうだと納得するでしょう。


しかし、私は違うと思います。


情報というのは確かに私たちにいろんなことを教えてくれますが、それはごく一部でしかも大事な部分なんてものは、隠されているのです。


そして、情報というものは、その情報はその情報として、次にでた情報はその情報という形。


私が思うに情報というのは形があるものではないかと思います。


それは文章という形で残せるし、写真という形で残せますし、絵という形で残せます。


だから、私が思うに、何かを伝えるのは確かだとは思いますが、私たちが知っていることというのは制限されているのです。


そして、どんな情報でも形があるもので、そのなかには後世に語り継がれるものもあるのです。


それが情報というものだと思います。


だから、私は思います。


それが、情報というものが形のないものと思わないでほしい、そして、報道されているものがすべて本当の情報であると思わないでほしいと・・・・。


そんな物に振り回されてはきりがありません。


だから今、自分に何が必要なのかをよく考えてみてください。




End

アインシュタイン150の言葉という本を読んで、なんかすごく不思議な感動が自分の心の中で取り付いているのに気づいた。


それにこの本を読んだことによって、なんでそんな当たり前のことに気づけなかったのだろうと思ったし、なんかそれが当たり前のことなのにとても新鮮なものに感じられたのだ。


何故アインシュタインはそういう当たり前だけども新鮮だと思わせることのできる言葉を発せたのか


考えてみると彼のような荒波の人生だった人にとって、当たり前のことが当たり前でなくて特別な意味を成していたのかもしれないし、気づかないうちに自分の中でそれが当たり前だけども、人間としてそう想うことが普通だったのかもしれない。


それに、アインシュタインはとても謙虚な人のようで、不思議な想いを与えるようなそんな人なのかもしれない。


もし、彼が生きていた時代に僕がいたら、多分そう感じたかもしれない。


彼こそ、僕にとって心に救いをくれた人だとおもえるだろうが、彼がもし今存在していたとして、彼にそんなことを言ったらなんと彼は答えるだろう?


多分、彼ならこう答えるかもしれない。


わたしが君を動かしたのではない君が君自身で動かしたのだ、というだろう。



彼のことだから謙虚で、しかも当たり前のようなことを言う。


だから、そういうだろうと僕は想う。



End